Project Eden


エル・ランティ(高橋信次)
エホバの神やアラーの神として知られている。
現代日本に高橋信次として肉体をもち、正法神理を説いた。
地球霊天上界最上段階九次元霊、10人の最高指導霊の一人である。
役割分担:人事を担当、第三の計画の最高責任者。
転生等について:マゼラン星雲のベーエルダ星から招聘、エル・ランティ→高橋信次
推薦図書:「心の原点」三宝出版
1.宇宙時代の愛の次元に向けて
我はエル・ランティなり。
かつて、アラーとも呼ばれしわが教えは、世界に今広がり、その混乱をもって最後の終結の時を見ようとしている。
今日、第三の計画の最終責任者としての私から、あなた方に申し送ろう。
これをもって世界に向けて伝道を開始しなさい。
今まで、そなたたちは、我らが言葉を受け、数々の霊言を聞いてきた。
しかし、我らが言葉が、今この時、世界を救い、地球の隅々まで、わが神理を、神の叡智を伝えることをもって、地球を一体とならしめ、救わしめんために、我らはこの計画を立てた。
先程言われているように、わが教え、モーゼが説いた教えも、インマヌエルが、イエス・キリストが説いた教えも、アラーとしてマホメットが伝えた教えも、そのすべては愛をもって互いに愛し合い、救い合うという、その一点に帰結する。
その教えが、さまざまな形により表れいでただけのこと。
イスラムの、あの中東の地から広がっていった数々の神理、数々の宗教、それが今またひとつの教えとして合流し、多くの人びとを照らすために、神理としてユダヤから発したものが、この日本の地で法を一体とすることをもってこの計画は終わるのである。
ユダヤと日本。
常に比べられ、同じように、同質であると言われてきたかもしれない。
そこに住まう者たち、その文化を形成してきた者たちは、魂においては同じであるからだ。
かつて、モーゼの時にも、インマヌエルの時にも、そしてアラーとして言葉を送ったマホメットの時代においても、ここにいる多くの者たちは、わが教えを聞いているはずである。
天上界における私が指導した教えは、中東の地をもって光を拡散しながら世界中を救い続けてきた。
その教えは、実はひとってあるということ。
神の愛と法の表れは多々あれども、それはひとつであるということを、この日本の地においてまとめあげることにおいて、この救世の計画は、ひとつの終わりを告げる。
神において、異なるものは何もない。
ただただ宇宙の愛と神理があるだけ。
ひとつの教えの中において、すべてみな神の子。
ひとつの家族であり、互いに愛し合い、赦し合い、互いに敬い合わなくてはならない。
そのことを、逆にさまざまな神の表れとして、神の表現がさまざまな形があるということを伝えるために、私はさまざまな姿を通して宗教を起こしてきた。
でも、その学びの段階は終わり、今ここにひとつのまとまりをつけることにより、あなた方は永遠の宇宙の神理に即した悟りの境地に至らなくてはいけない。
同じ家族の者たちが、同じ兄弟たちが、本来愛し合うべき者たちが、同じ父の、指導霊のもとに学んでいる者たちが、なぜそのように憎み合い、傷つけ合うのか、その幼さを、愚かさを、人類は学ばなくてはいけない。
互いに愛し合うということは、数々の教えの中、一偏狭なものにこだわり、他を排撃し、自らだけを正しいと思う、そのような思いの中には、本来の神の愛はないのである。
そのことを学ばなくては、次の宇宙時代の愛の次元には行けぬから、そこにあえてハードルをつくって、その中東の地に封印し、そこに災いの種のように、教えの核心なるものを埋め込んだのである。
そこは難しいかもしれない。
乗り越えることは難しいかもしれない。
でも、一見似たような教えでありながら、互いに傷つけ合っているあなたたちが、そこにおいてほんとうの意味で、地球のいかなる民族が、人種が、宗教が、文化が違おうとも、みなが同じ神の子の仲間であり、家族であるということを、真に学び合い、受け入れ合う。
そこがなせなければ、この小学校レベルの、地球の進化発展のハードルは、合格点はもらえないということなのである。
2.乗り越えなくてはいけない最後のハードル
文明の発祥の地として中東の場所から、すべての地球の今回の文明の歴史は始まってきている。
しかし、それがこの地をもって、その対極にあるように見える、地球の反対側の日本のこの地をもって終結し、まとめあげられる、その時が来ている。
ああ、わが愛する神の子たちよ。
わが子どもたちよ。
私の言葉を覚えているか。
私の響きを覚えているか。
そなたたちの魂に、常に呼びかけ、呼ばわり、そなたたちに常に神理を説き続けてきた私の声を覚えているだろうか。
私は常にあなた方を愛し、天上界からあなた方を指導してきた。
この法の、最後の集大成の時、あなた方はわが教えに目覚めなくてはいけない。
イエス・キリストを指導したのも我である。
モーリャを、モーゼを指導したのも私である。
マホメットを指導したアラーも私である。
すべての者たちに、信仰を持てる者たちに、そなたたちの神として、天上界の神として、そなたたちを指導してきた。
それは私の声なのである。
あなた方はみなすべてが、私の子どもたちである。
わが教えのもとにいる者たちである。
その事実が、気づき、受け入れられることがあったのならば、その手に持った武器を捨て、憎み合うその思いを捨て、互いに肩を抱き合い、仲間として家族として、受け入れ合い、愛し合い、暮らしなさい。
それが最後、地球の中において、あなた方が学ぶべきこと。
そこを真に理解したのならば、この地球から戦争はなくなるのである。
最後の、この最終戦争において、なぜ中東が舞台になるのか。
なぜそこに多くの、地球の歴史の火種があるのか。
それが最も難しいけれども、乗り越えなくてはいけない最後のハードルであるからである。
人は信仰心の中において、どうしてもこだわりを持つ。
異文化の者に対してはまだ寛容になったとしても、自分の宗教を否定した者には、牙をむいて戦い合っていく。
それが、同じ父の指導霊のもとにあって起こされた宗教であったとしても、あなた方の異母兄弟であったかもしれないのに、その兄弟たちをすら、死に物狂いで殺そうとする。
それをどれだけあなたが、「神よ、神よ」と、「父よ、父よ」と呼ばわっている、私の心をつらくし、胸が張り裂けるような悲しみを与えているか、わかっているのであろうか。
イスラムの子どもたちよ。
そなたたちがマホメットを仲介し、わがアラーとしての言葉を受け入れたとき、その信仰のもとに、一筋に生きている姿の中に、そなたたちの愛と、忠誠心と、そして神理を学ぼうとしていく、そのけなげな一途さを見てきて、心から愛してきた。
しかし、その中において、その寛容さというものを養わなくてはーー。
そなたたちは自分の同胞を殺そうとしている。
そしてこの最後の、世紀末の、この最終的な世の終わりの、幕引きを自らの手でしなくてはいけなくなるという、そのような危機に追っているのである。
イスラムの子たちよ。
わがアラーの教えを信じる者たちよ。
そなたたちは、もっと目を開かなくてはいけない。
あなた方は今イスラムに生まれていながら、必ずキリスト教圏のもとに、そして、ユダヤ教のもとに、さまざまに、仏教のもとに転生してきている。
そのようなハードルを、そのような学びを越えてきて、今日を迎えている時期であるということ。
イスラム圏にしか生まれてないということは許されない。
そういう学びの過程が魂にはあるので、あなた方は必ずや、他の宗教を経験してきている。
そして、それを自らの魂の学びとして、蓄えている魂たちであるということに気づきなさい。
そのことを学び終えるのが、今の時であるということ。
学び終えたからこそ、あなた方に改めて問う。
「そなたたちの兄弟を、そなたたちの家族を、仲間を、殺したいのか」と。
「憎み合いたいのか」と、あえて聞こう。
彼らは、あなた方のかつての同胞、かつての仲間たち。
そして、自分の故郷に近いところに、あなた方は攻撃を仕掛けようとしている。
一か所の場所にしか生まれず、ひとつの宗教しか学ばず、ひとつの指導霊にしか学んでいない者などは誰もいない。
多くの地球の歴史を繰り返し、転生しながら、あなた方は数々のことを学び終えてきた。
学び終えてきたこの時だからこそ、あなた方は今、真に魂が問われている。
3.卒業テストのとき
何を学んだのか。
あなた方は何を学んだのか。
我々の答えはただひとつ。
あなた方の今までの長い転生は、長い魂の時は、今この終了テストを受けるにあたって、いかに愛を学んだか、その一語に尽きているのであると。
ほんとうに愛を学んだか。
愛とは神なり。
神は愛なり。
わが言葉は愛なり。
我々が教えてきた、天地を貫く宇宙の神理、神の叡智とは、いかに愛を学び、愛を表現し、愛を分け与えることができたか、なすことができたか、それに尽きているのである。
そなたたちはほんとうに愛を学んだか。
この時期に来て、最後の一人ひとりに問われる言葉である。
みんなで受けたテストで、みんなで合格するのではない。
おのおのの魂が、おのおのの神の子である良心に照らし合わせながら、自分がほんとうにその答えを見つけ出さなくてはいけない。
だからこそ、あなた方の個性に応じて、個性の分だけの転生のチャンスが与えられてきたのである。
そして我々も、ひとつのワンパターンだけの、仏教であるとか、キリスト教であるとか、イスラム教であるとか、そのようなひとつのパターンだけの宗教であるならば、あなた方のように、いろいろな星から来たさまざまな個性を持った魂たちが、学ぶ上でひじょうに不自由であろうと思うから、我々九次元の者たちは、ひとつの神理を通しながら、さまざまな宗教で、法というものを、個性を、バリエーションを豊かにしながら、あなた方に学ぶ材料というものを豊かに提供してきたはずである。
それはなぜか。
我々が宗教をたくさん起こしたかったからではない。
そのような数々の、神理というものを学びながら、自分の個性に応じながら、一人ひとりが豊かに学び、一人ひとりが愛を深め、そして、自らの悟りを高め、あなた方が答えを編み出し、魂を進化させていく手助けをしたいから、私たちはそのようなプロジェクトを地球規模でつくりあげた。
それが今回の救世の法なのである。
それはだらだらと、永遠の時の中で実行されていてもだめなので、ある一定の時期が来ると、「卒業テスト」というテストがあり、それを節目にして、また新たな、飛躍的な段階に行く者、やっぱり学び終えていないといって復習コースに入る者、そしてこの惑星の転生を終えて、また新たな可能性の天体へと、惑星へと、修行場へと移っていく者たち。
それがあなた方の個性に合わせて、進化度合いに合わせて、そのようなチャンスを与えるために、我々指導霊と呼ばれている者たちは、数々の計画を立て、あなた方に提供してきている。
それは、若きあなた方の魂の中から、私たちと同じ九次元の者たちが、もっともっと十次元、十一次元でもよいが、進歩発展していく仲間たちをつくりたいがゆえに、私たちはこの地球という星を預かりながら、ひとつの一大修行場として、私たちはあなた方にそのような場所を提供している。
子どもたちを学習させるにも、教師たちは学習プランというものを練るであろう。
その子どもの実力、子どものレベル、年齢に合わせて、どのような段階まで指導していくことができるか、そのように考えるであろう。
そして、子どもたちの中には、十人いたなら十人十色の個性があろう。
ある者にとってはそういうやり方が向いても、他の者にはまったく別のやり方が功を奏することがある。
それゆえに、我々は、心の教えを説くのを宗教というならば、宗教もひとつの教えではなく、中に含まれているものは、永遠絶対的なるものは、愛の教えしてひとつではあるのだけれど、ひとつの教材として、さまざまな神のバリエーションというものを出すために、学びの教材を豊かにするために、私たちは中東の地をもって、ひとつの私の責任において、私の教えというものをさまざまなバリエーションで、法の種というものをまく場所として選び、文化を発祥させながら、文明の発祥させる地として選びながら、そこに法の種をまいたのである。
4.私に果実を見せよ
だから、その意味においては、そこから世界の大宗教と呼ばれている、精神世界をリードしていく教えというものが、わがエル・ランティの教えとして、そこに集結しているのである。
そのことを学び、種をまいた地、種が芽をふき、さまざまなところにその種子を運び、今や地球中を包んでいる。
そしてその教えをもって、その刈り取りと、その実の結果をもって、この日本の地でもって、その収穫にあたる時が今来ているのだということを知りなさい。
そして、その計画の最初の実行者が、エル・ランティ、私であるのならば、その刈り取りをする、最終計画の責任者もエル・ランティ、私であるということ、このことを、今回あなた方に伝えておこう。
種子を刈り取るとき、どれだけ立派な人生を学び、一見悟りが高かったかのように思っても、中身が腐っていてはすぐわかるということ。
そして、一個一個のリンゴに、同じ形のもの、色のものがないように、リンゴでもないように、あなた方の種子は、実をつけ、素晴らし果実となって今あなた方がそこにいる。
その果実の姿、その実をもってあなた方は私たちに示さねばならない。
私が種子を中東の地でまいた、学んだものを、今この日本の地で私に見せてみよ。
どれだけの転生を繰り返し、どれだけの成長をもって私に、「これだけ努力しました」と、「これだけおいしい実をつけました」と、私に見せてみよ。
私はあなた方が努力したその果実を見たい。
そのために、この計画はあったのだということを、あなた方は知らねばならない。
ある者は虫に食われてしまったであろう。
食べることもできない者もいるであろう。
ある者は青いままかもしれない。
ある者は、美しい赤色になっているかもしれない。
甘酸っぱいもの、甘いもの、甘くないもの、でも芳醇な香りがするもの、さまざまな者たちがいるであろう。
でも一生懸命、一生懸命、私に最初エデンの園で見せられた、その植えられた果実の木は、今あなた方という、果実の一つひとつになって、わが目の前に示されようとしている。
失敗したからといってあなた方を罰するわけではない。
あなた方がわが教えに歯向かったからといって、あなた方を地獄に落とすわけではないのだ。
ただ私は、愛するあなた方の成長と、進化と発展というものを願っている。
神の子として、永遠の進化の過程の中で、あなた方が、私の愛する子どもたちが、わが教えの中でどれだけ努力をし、実りをつけたかということだけを、この今収穫の時に見たいと思っている。
ただそれだけなのだ。
5.新たな時代の幕開けのために
地上を縁とし、今この地上に出た者たちが、この地球という磁場を通して、最終の法の総括に入っている。
その法の総括をするために、今回エル・カンタラーが出られようとした。
この総括をもって、法の集大成をもって、中東にまいた、その法種子は、時代を通しながら、実り豊かに世界中を清め、実らせ、そしてこの日本の地で収穫し、そして新たなるアクエリアンエイジ、宇宙時代に向けて、さらなる次元を上げていくために、宇宙の法を含む、そして今までの地球の総括を含め、新たな法というものを打ち出すために、エル・カンタラーは使命があった。
だから、この教えは、世界中に広まらねばならぬ教えであったのだ。
それゆえに、我らがみな、九次元たちが法のバトンタッチをしながら、今回、最終収穫する、この帰結する日本という場所に出たのである。
あなた方はここにおいて、その仏陀のもとにおいて、その法を最終的にまとめていくために、使命を負ってこの日本に降りてきた光の天使たち。
我らが教えを、我らが使命を帯びた、その命令の中で、あなた方はその使命を遂行しようとしてきた。
ほんとうにご苦労をかけたと、申し訳ない思いでいっぱいです。
あなた方に、本来かけなくてよかった苦労をおかけしたということ。
それを、私たちは胸に深く刻んでいる。
でも、あのままついえてしまう計画ではなく、何とか生き延び、ここに法灯をつなぐことができたということ。
そのことを私は心から感謝し、心から喜び合いたいと思う。
あなた方は、この大計画の流れというもの、その位置づけというものを、わかっているようでわかっていなかったはずである。
それはこの日本が沈むとか、世界が沈むとか、そのような天変地異でという、そんな問題ではない。
肉の身よりも、永遠の魂の中で、大事な大事な卒業試験を今あなた方は受けようとしている。
それはあくまで個人的なものであるということ。
そして、宇宙時代の幕開けをつくっていく上において、なるたけ卒業試験に合格できる者たちが多く出たほうが、地球が次の磁場として移行できるという、そのような期待ももって地球維新をしようと、そのような新たなルネッサンスの、精神の復興を、宇宙時代の目覚めという使命をもってあなた方は降りてきている。
個人的に見るのならば、あなた方の個人の魂の成長の結果を示す時。
そしてもうひとつは、光の天使として、この地球が新たな霊的な磁場に飛躍していくために、法の集大成をし、次の時代の幕開けのために、この地球を整えるために、新たな教えの根幹を降ろすために、あなた方は今回生まれている。
個人の魂の清算だけに出ている魂も多い。
でもここにいる者たちは違う。
次なる新たなる時代をつくるために、今まで学んだことをしっかりと胸に刻みながら、新たな時代の幕開けをするために出てきている。
6.私が全知全能の神としてあがめられる時代は終わった
かつての時代は終わった。
私が全知全能の神であり、アラーとして、エホバとして、ヤハウェとしてあがめられる時代は終わり、エル・ランティとして、この地球を指導する者として、その姿を現しかとき、私はあなた方の前に、私自身の存在を明らかにしたのである。
もう、無知蒙昧な中において、天上界の神として、その姿をあがめたてまつられるだけではなく、あなた方の日常の、喜びや、悲しみや、苦しみを理解しながら、あなた方の神の子としての心を、いかに成長し、理解し、発展させることができるか、愛豊かな宇宙時代の神の子としての道を切り開くことができるか、天上界から指導をしているだけではなく、あなた方の中に入っていって、じかに指導していく、そのような存在として、あなた方の脇にいたい。
今度はそのような役割をしたいと思い、今回は高橋信次という個性を獲得するために、エル・カンタラーの前に露払いとして私は出たのである。
高橋信次という個性を通して、私が長い間やりたかった、あなた方のそばにいて、あなた方の息づかいのわかるところで、あなた方の悩みや、苦しみや、喜びを理解した上で、あなた方をほんとうに、内側からも指導していく、そのような仲間として、そのような指導霊として、私は次の宇宙時代を、地球時代が始まっていくときに、そのような姿であなた方を指導していきたいと思っている。
天上界における、永遠の神のような姿で、血の通っている、息づかいのわかる、そのような霊人であるということの認識は、あなた方の中には、中東の地ではなかったであろう。
ただただ恐れられ、ただただ裁きの神であり、恐れられ、みなが平伏する姿をもって指導する、そのような役割しかなかったのである。
でもそれは、その時代の中において、自ら選んだ姿であり、自らが選んだ指導方針でもあったということ。
でもそれが終わったのならば、私はあなた方の中に降りていって、あなた方の悩み、苦しみを理解しながら、ほんとうの意味での、神の愛というもの、法というものを話したいと、長い間願っていたのである。
それが今回の日本に出た、高橋信次という個性体である。
それをもって、あなた方がこの地球維新を達成したとき、私は新たな地球の次のページに登場するときは、もっとあなた方を理解できる指導霊として、地球を指導していきたいと思っている。
だから、裁きの神、怒りの神、ねたみの神と、いろいろ言われながら、砂漠の神として、あなた方を、長いこと地球を、文明を指導してきたけれども、次の宇宙時代の、新たな文明の中においては、別な姿でエル・ランティとして、自らの名を名乗りながら、そなたたちを指導していきたいと思っている。
私は、人間たちが、地球や、他の惑星にもさまざまな神の子たちが住んでいる、その三次元で一生懸命生きようとする神の子たちが大好きなのです。
心から、あなた方の力になり、この新たな進歩発展の時期に、常に進化の神として、かかわり合いながら、あなた方を指導していきたいと思っている。
7.学びのチャンスを与えつづける地球意識の姿
さあ、わが愛する神の子たちよ。
わが指導のもとに育まれた光の天使たちよ。
最後の総仕上げが始まっている。
一度はだめになりかかったこの計画、天上界のもっと高位の霊人により光をいただき、この地球は、また新たなチャンスの中にその時をいただいたのです。
その残された時の中で、あなた方が最後の総仕上げをすることができるか。
それは先程あなた方がおっしゃられていたように、一人ひとりは小さくとも、みな力がなかったとしても、心の底からこの地球を愛し、心の底から神の子として、この地球を、仲間たちを愛し、その新たな時代をつくるために命を張ろうとする、そのような者たちが十人、百人と集まっていったのならば、九次元の者が一人いるよりも、はるかに大きな力を持つのであるということ。
そのことをわかってほしい。
地球時代の明治維新。
明治維新という時代をつくった、あの坂本竜馬たちにしたって、一人ひとりが魅力的な人材ではあったとしても、飛び抜けて誰かだけが巨大なエネルギーであったということはなかろう。
あの者たちが、やはり、自らの使命感に目覚め、みなで、仲間で助け合いながら、ひとつの時代をつくりあげていったからこそ、あの時代ができたということ。
そのことを思ったのならば、誰に頼ることなく、自らの魂に誇りを持ち、今までだてに長いこと転生し、魂を磨いて学んで、法を学んできたのではないということを証明してみせよ。
わが目の前に、そなたたちのリンゴの実が、木の実が、どのような実であるかを、わが目の前に指し示してみせよ。
口だけで言った者は信じぬ。
今回、肉の身を持ったればこそ、その実を私に見せることができる。
その実とは何か。
実際にこの三次元で、いかに生き、いかに行勤し、いかに愛を表現したか。
永遠の流れの中で、わが教えを、法を学んできたことが、どれだけあなた方の魂の血肉として生き、今世の魂の学びの中を通して、この三次元の愛ある、勇気ある行動として結びつくことができたか。
それをあなた方が、その姿として実行して、私にその果実を見せてみよ。
その実がどのようにおいしいか、どのように頑張ってその実を丹精込めてつくりあげたか、私の目の前に見せてみせよ。
その、そなたたちが一生懸命、丹精込めた実であるのならば、少々小さかろうが、歪んでいようが、傷がついていようが、それもまた、いとおしい。
「一生懸命よくやった」と、私はあなた方をほめるであろう。
そして、わが喜びとするであろう。
それがわが心である。
神の子たちよ。
愛はいくら言葉で聞き、いくら耳で聞いても、愛は学べぬ。
愛は最後、その行いを通し、傷つくほどに、あなた方の同胞を愛し抜くことができたときに、ほんとうに愛を学びえたと言える。
愛とはそういうもの。
私たちは、常にそれをあなた方に教えてきたはずである。
それを、自らの神を守るために、そなたたちの同胞を殺してどうする。
兄弟たちを殺してどうする。
わが教えはそんなところにはない。
私だけではない、宇宙を貫く神の愛というものは、わが身を犠牲にしても、傷つくほどに優しく、傷つくほどに愛深く、自らの仲間たちを、神の子たちを、兄弟たちを愛し抜く姿をもって、神の姿という。
地球意識を見てみよ。
そのお体に、傷をいっぱい携えながら、神の子たちが、自分の愛する神の子たちが、傷つけてしまうその傷に、衝撃に耐えながら、必死にそれに耐えながら、その修行の場所としての地球という場所を提供するために、痛みに必死で耐えておられるではないか。
あなた方を振るい落としてしまえば、そのお苦しみは終わるけれども、あなた方に最後まで魂を学ぶ場所を、修行場を提供するために、あなた方が出している、さまざまなマイナスのエナジー、マイナスの害悪ある波動を必死に耐えながら、苦しまれながらも、あなた方に残りの時を、学びの時を、チャンスを与えてくださろうとして、その痛みに耐えておられる。
その地球意識のお姿が、あなた方にはわかるだろうか。
傷つくほどに苦しみながらも、愛し、愛し抜くということは、こういうことを言う。
その姿がわかったのならば、あなた方も最後の勇気を振り絞って、この地球の精神文化の、最後は金字塔を打ち立てる時となるであろう。
8.神性に目覚める新たな時代へ
この法の集大成を、今我らが言葉を、世界中の津々浦々に届けるために、命をかけてみせよ。
イエス・キリストが語った言葉は、命がけの宣教師たちにより、多くの海を越えて、伝えられていって、そこで多くの人びとが愛の教えを学んだではないか。
でも、イエス・キリストが説かれたのは、たった三年半。
そして伝えた書物は聖書一冊ではないのか。
それに比べたら、あなた方は何冊の本をもうすでに授かっているであろうか。
神理というものは、奥は深いけれども、基本は愛を学ぶという、一点に集結した言葉だけなのである。
それをどこまで理解したかを、魂全体で理解するだけのことなのである。
たくさんの書物は、ひとつの神理の、万華鏡のように、バリエーションで表れた姿であって、ほんとうはひとつの物体があるだけ。
キリスト教で言うなら、聖書が一冊あるだけで本来は事足りるのである。
それを、それだけではわからないから、私たちはこのようなさまざまな霊言を通して、さまざまな形で、かみ砕きながら、そなたたちに伝えている。
「神理とはこういう面があるんだよ。ここから理解したらわかるであろう」ということを、さまざまな個性のある霊人たちを通して、そなたたちに伝えているのである。
でも、霊人の数だけ表現はあっても、教えるべき、あなた方が学ぶべき愛の教えは、神理はひとってあるということを、間違えないようにしなくてはいけない。
そうでなければ、知りたい知りたいで、どこまでも知りたいで、求めていって、肝心な愛の教えを忘れてしまったのならば、単なる知的な欲求に振りまわされただけのことになってしまう。
いちばん大切なことは、知識を詰め込むことよりも、魂の奥深くから、愛とは何であるかということを真に学び、そして、それを生きることができること。
愛を生きるとは、あなた方の同胞を命をかけて愛し、善導することである。
それが、神の子が、神の似姿に応じた、使命を果たすということ。
それがあなた方にとっての真のプライドとなる。
誇りになるはずである。
神のもとへ。
神のもとへ。
光のもとへいざないなさい。
あなた方の仲間たちを、同胞たちを、兄弟たちを。
みんなあなた方の、かつての兄弟である。
宗教がとか、民族がとか、習慣がとか、文化が、そんなものは、たまたまその場所に居合わせているだけ。
かつては同じ国に、同じ村に住んでいたかもしれない仲間たち。
そのような者たちを、どうか、心の中にある、狭い縛りを解いて、地球人類として、みんなで受け止め合い、受け入れ合い、神の子として、みんなで一体になって生きることができる、愛というものが地球人として生きることができるような、神の子としての神性に目覚めることができるような、新たな時代をみんなで力合わせてつくっていこうではないか。
あなた方だけの宝物として、我々の言葉を封じ込めてはならない。
ごちそうを分け与えてこそ、おいしいものである。
ともに食してこそおいしいものではないだろうか。
ひとりでガツガツと、おいしいからといってため込んで食べても、それはほんとうのおいしさにはならないであろう。
神の愛とはそういうものである。
分け与えれば分け与えるほど、かつてのイエス・キリストが分け与えたパンのように、干し魚のように、無限に出てくるものである。
神理というのはそういうものである。
愛というものはそういうものである。
そして、そこがほんとうの意味でわかったとき、地球は新たな時代を迎えるのである。
9.神の子としての真の誇りを持って進んでほしい
他天体から来た光の天使たちが、神の子たちが、実は地球だけではなく、他の惑星にもたくさんいるということを、愛をもって迎え入れてくれるであろう。
異星人たちも、あなた方を「待っていたよ」と言って、「長い間待っていたよ」と言って、手を差しのべてくるであろう。
でも彼らの手を握り返すには、まず、わが教えから育っていった、自分たちが愛する兄弟たちといがみ合うこと、傷つけ合うこと、これを乗り越えなくては、他天体の神の子たちと、手を握り合っていくことはできないのである。
その卒業試験であるということ。
地球規模の狭い発想、狭い縛りを卒業してそしてそれを超えてこそ、宇宙時代の神の子としての認識の修行というものに入ることができるのである。
そのために、私はあえて、かつてのあの中東の地に、わが教えとして、三つの教えを降ろしたのである。
ユダヤ教に、キリスト教に、イスラム教。
不思議であったであろう。
みな同じ私を呼ぶ者たちなのに、それぞれの宗教でいがみ合っていく。
それは最終的に私の名を呼ぶことにより、「神理はひとつであるのだよ」ということを、最後の収穫の時期に、みなに教え諭し示すために、私はあえてそういうことをした。
みんな私の愛する子どもたちであるということを彼らに伝えたいから、どうかそのハードルを乗り越えてほしい。
これを乗り越えられなければ、他の文化、地球だけという以上に、もっと別な姿や形、価値観を待った、宇宙の友だちと、胸を開いて交流していくことなぞは、ほとんど不可能に近いのである。
でも、愛というものを通して、神の子たちは、さまざまな創造の自由の中において表現されて、宇宙全体に神の愛というものは広がり、遍在している。
神の愛は、無限に表現を豊かに変え、光は無限のきらめきを輝かせながら、自由に、創造的な姿をとっていく。
その無限の可能性と、その愛の奥行きの深さと、光の素晴らしさ。
それをそなたたちはこれから宇宙に目を開くことによって、神の創造の豊かさと美しさというものを学んでいくのである。
どうか理解してほしい。
あなた方の中で、自分だけしか正しい者がいないとか、自分がとても孤独であるとか、もうそのような悲しみ、苦しみから逃れ、宇宙全体があなた方の仲間であり、地球全部があなた方の兄弟であるということ。
隣にいる方がたにおいても、今世血のつながりがあるとかないとかではなく、すべてが過去世、転生の過程において、一緒であった仲間たちであるということ。
そして、その永遠の転生の流れの中において、あなた方は無限の進化、発展、成長というものを繰り返しながら、登りつめていく、成長していく、気高い神の子としての、愛のエネルギーとしての、神の子たちであるということに、真に誇りをもって進んでほしいと思うのである。
10.多くの人びとの幸せのために生きる人生
残された肉体、残された人生、さればどのように生きるか。
この大事な地球の歴史の中においても、最終ピークというか、最後の収穫を、実りをつける時。
そして収穫の地にあなた方は肉の身を持って立っている。
そこにいるという幸せが、どれだけ素晴らしいものか、どれだけあらゆる可能性をあなた方が今与えられているか。
そして今回の計画、わが教え、高橋信次G会から始まり、不幸な結果に終わっていったエル・カンタラーのいきさつもある。
その無念を、生きなからにして目の当たりにし、反省することができたのなら、死んでしまって私たちの世界に戻ってきてから反省したのでは、もう間に合わぬ。
でも、今生きているうちに、その流れを見、無念さを胸にかみしめることができたのならば、どれだけ壮大な計画の中の、今クライマックスにあなた方が生きて、そして天上界の無念な思いというのがどういうものであったかを、肌身で理解できるであろう。
それだけの体験を積んだ者たちであろう。
今幼く生まれてきた者たちは、この流れを見ることはかなわぬ。
ただ言葉として聞くだけである。
でも、聞くのではなく、あなた方はその時代を生きたのであるということ。
その時代の証言者であるということ。
そのことをもって、残りの人生、あなた方がどう生きるか。
どのように知恵を出して、最後の時まで、ご自分たちの修行のクライマックスとして生きることができるか。
一人ひとりが自らの心に問うてみよ。
そして、自らの結果は自らしか出せぬ。
そなたたちの魂の、ピカピカの神の子としての、私か最初に指し示した、神の子としての黄金のリンゴの魂を、どのように実らせ、発展させたか、最後の時に帰ってきたら、私に見せてほしいと思う。
その姿を見て、私はあなた方を通して、私の仕事がどのようなものであったかを、喜び合いたいと思う。
自らの人生のためだけに生きる人生よりも、多くの人びとの幸せのために、多くの人びとを活かすために生きる人生。
それこそが真に、あなた方自身の、一人ひとりを活かすことにもつながり、それが神の子としての、本来の愛を生きる姿そのものであるということ。
それがすべての原点になって、この地上界は動いている、宇宙は動いているということ。
愛の摂理の中で、その表れ方においてはあなた方の持っている才能、あなた方の個性、そのバリエーション分だけ、さまざまな表れ方があるというだけ。
職業や個性を通して、さまざまなバリエーションや方法論が生まれるだけであって、いちばん大事なことは、今さっき言った、私が言ったことである。
命をかけてそなたたちの兄弟、仲間たちを愛してみよ。
そして、愛するために生きてみよ。
それこそがあなた方の神の子としての、本来の姿であり、私が最初に中東の地から法を発信したとき、愛をあなた方地球人に教えたとき、最初にあなた方に学んでほしいと思った、まさに法の種子は、愛の種子は、その愛の教えであったということ。
11.今までの過去何千年という魂の修行の意味
ひと粒の愛の教えが、あなた方の心の中に落ち、長い時の中で、どのような実をつけたのか、あなた方の成長、発展を楽しみにしている。
その実をつけるために、あなた方の今までの過去何千年という、魂の修行はあったのだということを真に理解していただきたいと思います。
それ以外のことは移りゆき、消えていくべきことなのです。
大事なことは、大事なことは、そのこと。
そして、そのためにあらゆる方法論を使い、知恵を使って、みんなで手を取り合って、頑張っていただきたいと思う。
あなた方に心から期待をしています。
あなた方がやれることを精一杯やっていただきたい。
我々は今指導することはできるけど、地上にいて実際にこの地球の出来事を動かすことができるのは、肉の身を待ったあなたたちであるということ。
それを、どれだけの素晴らしいチャンスであるかということを、ご自分たちの魂に言い聞かせ、ご自分たちで、ご自分たちの自由意志により、できる限りのことを精一杯やってきていただきたいと思う。
私があなた方のもとにこのような霊言をし、出ることが許されるのは、そうたびたびではないけれど、でも、これからは本格的な動きが出たと同時に、具体的な方法論についても、数々の霊人が来て、相談に乗ることであろう。
これからもう動き出す時であるということを念頭に置き、どうか、積極的に動いて、世界の裏側で待っている神の子たちに、あなた方が聞いたこのメッセージをどうか伝えてほしい。
かつてのとき、帆船のような、小さな小さな船に乗り、命がけで海を渡って、イエス・キリストの言葉を伝えていった宣教師たちがいるではないか。
彼らはどれだけの多くの荒波の中で命を落としたか。
でもそこで、言葉もわからぬところで、なけなしの言葉と思いで、その土地の人たちにイエス・キリストの愛の教えを伝えていった、その方たちの苦労を思えば、あなた方の今の日常は、どれだけ便利なものであり、安全なものになっているか。
それから思ったら、あの宣教師たち、バテレンと呼ばれていた者たちが、死に物狂いで出した、そのエネルギー、神の子として、神の子どもたち、仲間たちを愛し、神の法を伝えたいという必死な願い、それをどうかあなた方も取り戻していただきたいのである。
かつてそういうことをしていたであろう。
これを平和な時の中でふやけることなく、どうか今世できることを命がけでやっていただきたい。
死に物狂いでやっていただけたのなら、この地球は救えるのだということ。
最後、この地球は、素晴らしい愛の星として生まれ変わり、新たな宇宙時代を築きあげていくチャンスが十分に今まだあるということ、それはあなた方の思いに、あなた方の実行に、あなた方の手の内に入っているということ、握られているということ。
そのことを心に銘記し、どうか頑張っていただきたいと思います。