Project Eden
1.キリスト教の聖母マリアとしての役割を果たしてきた
聖母マリア
今日ここに神よりのお許しをいただきまして、あなた方の世界ではキリスト教の聖母マリアと呼ばれておりますわたくしが、あなた様方のもとにごあいさつに参りました。
わたくしは長らくキリスト教を指導する女性霊として、神よりその天職をたまわり、お仕えして参りました。今、五百位の天使たちと共に、今日あなた方にごあいさつに参りました。
長らくキリスト教社会において、天国と地獄という発想の中で、わたくしは地上の女性霊たちに対して、そして、家庭に、平和と愛と天上の神の赦しというものを人びとに伝え、女性霊たちを指導することにおいて、この地上に天国を、神のみ国を実現させようと、ささやかながら努力してきた者でございます。
あなた方のような認識をお持ちの方がたから見ましたら、わたくしのようにキリスト教の聖母マリアであるとか、処女受胎であるとか、そのように言われていることを、とても稚拙なことのように思われ、わたくしもあなた方の認識を見ますと、わたくしの役割とはいえ、そのような限定されたものの中で、わたくしを偶像化され、聖別化されてきたということを見て、多少恥じ入るものでもあるのです。
ただ、それはわたくしの役割であったということ。
キリスト教というその宗派の中において、わたくしはいつもあなた方がイエス・キリストと呼ばれている、インマヌエルという方を補佐することにより、神のみ心をこの地上に伝え、そして、この地上に愛と平和と祈りというものを伝えるために、わたくしは神の代弁者としてこの地上に降り、そしてあのように、天上界に帰ってのちよりも、そのような役割の中において、わたくしはその神聖なる役割を果たしてきた者なのです。
第1章1 聖母マリア:母として愛する子どもたちへ

聖母マリア
イエス・キリストの母。救世主の母であることから聖母と呼ばれている。聖書の中では夫ヨセフと結ばれる前に、処女でありながら聖霊によってイエスを身ごもり、ベツレヘムという町の馬小屋で出産したとされる。
彼女は信仰深く、常に神に対して従順な女性として聖書に描かれており、キリスト教においては、現代に至るまで女性たちの手本として尊敬されている。
霊言の中では、聖母マリア自ら処女受胎を否定しているが、謙虚で愛に満ち、神の意思をやさしい言葉で地上に伝えようとするその姿勢は、聖書の記述の通りである。
20世紀末の天変地異や不安定な世界情勢を回避するため、聖母マリアはファティマやルルド、秋田など世界各地に現れ、終末の訪れと悔い改めを説いた。
冷戦が終結し、天変地異も起こらなかったことから、聖母マリアの出現は過去のこととされがちだが、むしろ彼女の警告は現在の人びとに向けられていることが明かされている。

3.地道に法を残すことが、最終的にこの地上を救うことになる
あなた方は理解できるでしょうか。
今この救世の計画に、天上界のありとあらゆる天使たちが、神の御使いたちが期待をし、そのためにわたくし自身も、今日あなた方がやることの基盤を整えるために、わたくしの出現もまたあったということなのです。
しかし、大いなる計画が二度までも挫折をし、そして三度目の立ち上げとしてあなた方が立ち上がられました。
どうか、そのような危機感が、あなた方にはまだつかめないかもしれない。
日本列島の中でも数々の地震が相次ぎ、そして今回インド洋上でも大きな津波という、地震というものが起きました。
しかし、これはね、始まりにすぎないのですよ。
あなた方、わかってほしいのです。
あなた方がやることがね、多くの人びとに少しでも、神の国があるということ、神の子の価値観ということ、愛の波動を広めていくということ、そのことが最終的にこの地上を救っていくということ。
今それは間に合わず、天変地異という業想念を清算するために、今回の出来事というのが起きております。
しかし、これが過ぎていくならば、あなた方が残してくださったその法が多くの人びとを救い、この地球神霊のそのお体である、この地球自身も浄化せしめ、新たな神の国、ユートピアというものを、次の未来に展開させていくことができるのです。
けっして天変地異があるからといって、災厄が降り注ぐからといって、けっして、けっして終わりなのではないのです。
あなた方の努力が次の未来の人びとに、地球人にとって大いなる救いとなり、ほんとうの意味での地球のおかれた立場、ほんとうの意味での神の存在というものを多くの人びとに提示し、認識力とともに人びとの生活の中に、ほんとうの意味で息づいた信仰心となっていったとき、この地球もこのような大災害というものに見舞われることもうなくなっていくのです。
地道なことに思われるかもしれないけれども、天変地異ということのほうが、当たった、外れたということのほうが派手で、とても興味を惹くことのように思うかもしれないけれども、今わたくしたちの言葉をあなた方が伝えていってくださるという、この地道な作業の積み重ねにこそ、
人びとが神の子であるというおのれ自身に気づいて神の国をこの地上に出現させるという、大切な、大切な基本的なルールというものを、あなた方が降ろしていってくださっているのだということ。
2.地球は今、末期的状況を迎えている
わたくしがこのように、思わぬことの中で、この二十世紀後半におき、ファティマをはじめ、数々の場所において霊言を行い、子どもたちの前に姿を見せ、数々の予言をしてきたことを、あなた方はご存じだと思うのです。
数々の場所におき、最後この地上の天変地異を未然に防ぐためにも、わたくしの愛する子どもたちを一人でも神のみ国に連れて行きたいがために、涙を流しながら、彼らに「悔い改めなさい。神のみ国に戻りなさい。愛あるひとり子のもとに戻って、天上の神の言葉に素直に従いなさい。
この地上はもうすぐ天変地異のもとに地獄化するのですよ。
あなた方が悔い改めれば、けっして地下の世界に行くこともない。神のみ国に帰れるのだ」と、
わたくしは繰り返し、繰り返し、心の清らかな子どもたちを通し、あと心の清らかなわたしの子どもたち、子どもたちというのはわたくしの司祭職にある者たち、ローマ法王をはじめ、わたくしのもとに仕えているシスターたちを通して、聖人たちを通して、数々の出現を行ってきたのです。
しかし、それを地上に知らしめるということもかなわず、二十世紀も終盤を終え、そして新たな世紀へと入りました。
あなた方は今、そこで何食わぬ幸せな生活をしていられることが、けっして当たり前ではないのだということ。
先日、モーリャ様という方がお出になられ、モーゼ様といわれる尊いお方でございます、このお方を通してあなた方も数々の厳しいことを言われていたと思いますが、今このたび地上に起きた大津波のこと、天変地異、相次ぐ地震、天災ということは、わたくしがファティマでもさんざん繰り返し、数々の出現の中において、わたくしが人びとに伝えてきたことなのです。
負のエネルギーというもの、マイナスのエネルギーというものが天上の波動より勝ってしまったということ。
その時に大清算というものが起こり、第一次、第二次世界大戦という、人類が生み出した悪想念というものをね、清算する時期がきたということ。
それにより天変地異も揺り動かされ、この地球自体が震え、あなた方のもとに二十メートル、三十メートルを超える大きな津波がくるのですよ。
「あなた方は一日も早く悔い改めをして、神のもとに、神の懐の中に帰りなさい」と、わたくしはどれだけ涙を流しながら世界各地に出現して、繰り返し伝えてきたことでしょう。
しかし、それもかなわずーー、ローマ教皇に出現したこともあるのです。
ファティマだけではなかったのです。
しかし、それもかなわず、人びとの罪深い想念の中でこの地球は今、末期的状況を迎えているのです。
4.わたしは平凡な大工の妻であった
それをもう、キリスト教であるとか、ユダヤ教であるとか、日本神道であるとか、もっと言うならばカトリックであるとか、プロテスタントであるとかね、そのようなことを超えて、多くの地球人として、ひとつの天体に住む地球人として、人びとが神の懐に見守られ、天上の天使たちに指導されているのだという、その事実を彼らが魂の底から受け止め、理解したとき、その時に戦争はなくなるのです。
互いに憎しみ合い、傷つけ合うこともなくなるのです。
そのことをひじょうにーー、キリスト教の中におきまして、わたくしやインマヌエル、イエス・キリストという方や、モーゼ様という方がた、大天使と言われている方がたを通して、わたくしたちは初歩の初歩から伝えてきたのです。
そして、イエス・キリストにおきましても、神格化されるがあまり、あのように神のひとり子であるとか、そのようなことを誤解され、はりつけにあわれました。
わたくしにおきましても、処女受胎とか、そういうふうな伝説化されたものの中でね、わたくしたちを神格化することによって、人びとはその信仰心という命のリレーを、信仰というリレーのバトンを渡してきたのです。
しかし、もう今や、そのような幼いものではなく、そのような無知なものではなく、一歩知的なレベルにおきましても、認識力におきましても、ほんとうに地球人としてのグローバルな視点というものを通して、あなた方は我々の言葉を伝えていかなくてはいけません。
わたくしはもう、キリスト教における一使徒である、聖母マリアというものではなく、そのようなことを超えた一人の、大いなる宇宙の愛の法則のもとにお仕えする、一人の端女(はしため)としてわたくしは大いなる神の前にぬかずいている、小さき小さき存在であるのだということ。
そのことをもっとあなた方の言葉を通して伝えていただきたいのです。
インマヌエル、イエス・キリストと呼ばれる、アモールと呼ばれる方におかれましても、たまたま今世はキリスト教のイエス・キリスト、メシアと呼ばれる役割を持っているのです。
ミカエルもそうなのです。
ミカエル大天使というキリスト教の大天使であるというふうに、言われていますけれども、ミカエルもかつて、いにしえの頃よりわたくしたちと共に、この地球に住む方がたに、わたくしたちの、神の、宇宙の法則である、神の愛の法則をどのようにお伝えしながら、多くの人びとを神様のもとにお導きしていくことができるかということに常に心を砕き、思いを砕いてきた者たちであるのです。
それをあなた方が、たまたまメシアであるとか、大天使であるとか、聖女であるというふうに、そのようにお呼びになっているだけであり、わたくし自身はまだまだ力のない端女にすぎないと思っているのです。
けっして特別な力があるわけではなかったのです。
わたくしがインマヌエル、イエス・キリストの母親として、この地上に出たときも、けっして特別な力や、けっして特別な言葉をもって人びとを指導したり、認識力があったわけではなかったのです。
ただただ愛の思いで彼を包み、彼のもとに、いつかは彼の使命が果たされるということを、彼に大いなる使命が果たされるということを、わたくしは存じておりましたので、その彼をどのように育てればいいのかということに常に心を砕いていた、平凡な、平凡な、田舎に住んでいた大工の妻であったということ。
それにすぎなかったということなのです。
ですから、後世において、わたくしを聖女であるとか、聖母であるというふうに、あなた方の世界ではおっしゃられるかもしれないけれども、わたくし自身はそれはどの役割というもの、それはどの能力というものを持って、あのナザレの時代に出たわけではなかった。
5.聖母としての役割で、いろいろな地に出現して警告してきた
ただひとつ信じたこと。
インマヌエルという子どもは小さな時から数々の問題を起こした子なのです。
数々の苦労をわたくしは子どもに、インマヌエルによって起こされたのです。
霊道を七歳において開いていたこともあり、ひじょうにある意味で、突拍子もない子であり、わたくしは母親としてとてもーー。
ひじょうに突拍子もないことをし、パリサイ人や祭司長と呼ばれる、時の宗教的指導者の人たちに対しても、平然と宗教問答というものを吹っかけるというような、そういうところがあったのです。
いろいろな意味で、近隣の田舎の村の中においては、彼は白眼視されていたというところもあったのですけれどもわたくしはそれでも、わたくしはそれでも彼の力というものを信じたのです。
「この子はいつか、大いなる使命の中に神の国をつくる子である」と、そのようにエッセネ派時代に言われてきた言葉を、ただただ無知であったかもしれないし、教育もなかったかもしれないわたくしであるけれども、でも、ひたすらに彼の可能性というものを、神様がこの子に与えられた役割というものをね、信じてあの子を愛して育てた、それだけの平凡な母親であったのです。
それを後世、インマヌエルが大いなる仕事をしたということの結果において、わたくしまでが聖母であり、聖女であるというふうにされ、中世になりそれが、あなた方がよく見られておられる絵画というものの中で、どんどん偶像化され、聖別化され、美しいものとしてあなた方の世界の中で表現されてきた。
それはけっしてわたくしの意思ではなかったけれども、でももし、そのような役割を通すことにおいて、わたくしを通して天上の神というものを、大いなる愛の意思というものにつながっていけるのであるなら、わたくしもあえてその役割を受け入れていこうと受け止めて、その役割を果たしていこうと思って、聖母マリアというその役割を、今日に至るまで、役割を果たさせていただいたというのが実情なのです。
しかし、これから、あなた方の世代におきまして、そのような神話的な偶像的なものがあってはいけないのです。
わたくしは最後に、そのキリスト教の聖母としての役割を通して、ファティマーー、あらゆるところに、この日本においても秋田とか、いろいろなところに出たことがあるのです。
そのような出現を通して、多くの人びとに「悔い改めよ、悔い改めよ。神のもとに戻りなさい。神は今泣いておられる」と、「心を悔い改め、地獄的な思いをはずし、神のもとに帰っていきなさい。我が神の子たちよ」ということを繰り返し、繰り返し告げてきたのです。
しかし、その結果は、わたくしの力が及ばなかったのか、力が足りなかったのか、人びとの心の中に信仰心というものが根づかず、悔い改める気持ちもなく、マイナスのエネルギーというもののほうが勝つたまま、二十世紀というものが終わっていったのです。
6.自分の罪を正当化してはならない
本来ならばこれで、わたくしが語っていったように、ノストラダムスという方がおっしゃられたように、その反作用というものが起きてもおかしくなかった。
でも、それが大いなる、わたくしを超えるメシア界の、救世主の方がたの計らいにより、そして、それを超える地球神霊の方がたとの協議により、新たなる計画を再度、再々度、起こすということにおいて、今一度、神の地上を打つ手というものを止められ、あなた方の計画になったということなのです。
どうか頑張っていただきたい。
あなた方がやられていることを、まだどれほどあなた方が認識されているか、少し心もとないこともございますけれども、今なぜわたくしがインマヌエルの母親として語ったことを、あなた方に告げに来たか、おわかりになられますか?
今、あなた方の心はどういう気持ちで、この仕事に向かっておられるかということを、わたくしはあなた方に問うているのです。
信仰心というものは謙虚なる愛の思いというもの、そこなくして神のみ言葉は降りません。
あなた方は知に長けた方がたではあるけれども、わたくしのように田舎に住んでいた、教育もない、無学な者であっても、人びとを愛のもとに指導できるのが神の使徒であるということを、わたくしはあなた方に伝えに来たのです。
一人ひとりのお心の中に考えていただきたい。
争いを持ってはなりません。
何を言っているか、あなた方わかるでしょう。
この最後のパイプラインを切るようなことをしてはなりません。
あなた方は大いなる勘違いをしています。
なぜ今このように、何も求めぬ一主婦であるこの方に、今この役割が起きるかを、男性方はもっともっとお考えなさい。
母である母性に包まれながら、あなた方が本来の神の仕事をしていくということが、どういうことであるかということをーー。
何を神がお喜びになられるかということを、もう一度、原点に帰って、あなた方はお考えなさい。
神の世界というのは互いにいたわり合い、相和し、互いにほめ讃え合う、それが天国なのです。
天上界なのですよ。
互いの欠点を突っつき合って、裁き合って、それがけっして優秀なことでも、それがけっして神がお喜びになる方法手段にはならないということなのです。
それを、いちばん無知であるわたくしの仕事をもって、あなた方に問いに、今日参ったのでございますよ。
なぜ今回、この方が立たれたのであるかということ。
もっともっとお一人ずつお考えください。
自分に言い訳をしてはなりません。
自分の罪に関して、自分の罪を正当化することをしてはなりません。
すべての面においても知性で補えること、それ以外にも、この世的なルールにおきましても、間違いは間違いなのです。
間違いを正当化することをしてはなりません。
罪はあらかじめこの世の始めより、神により罪と定められたものは罪なのですよ。
罪を正当化してはいけません。
そして、この最後のこの時に、あなた方がこの大いなる使命を与えられたことを原点に立ち返り、自らの心をしっかりと反省することをもって、初心をもって出直していただきたいのです。
7.あなた方しかできないよ
本来、あなた方が最初に持っていたような磁場では、とてもではありませんが天上界の波動を受けることはできないのです。
わたくしはたいへん残念に思います。
せっかくこのような最後の、最後の崖っぷちのような計画を必死に行って、努力しているミカエルやモーリヤ様たちのことを思いますと、わたくしは、あなた方がどれほどの覚悟をもって、今これをやってくださっているのか、もう一度、反省を促したくて参りました。
神の目におきましては、あなた方が思っていること、あなた方がしていること、すべてガラス張りであるということ。
全部わたくしたちはわかっているのです。
罪は罪なのですよ。
男女の道においても、間違ったことは間違ったことなのですよ。
それをけっして正当化してはなりません。
そうすれば、その方はもう神の使徒としては使えなくなっていくということ。
そして、知性において他人を裁いてはなりません。
神の使徒は互いに赦し合い、愛し合い、受け止め合い、大いなる神の計画を地上に具現するために派遣されたる者、それが光の天使というのではないのですか。
あなた方の中にある裁きの波動は何ですか。
かつて、そのようなものをわたくしたちは天上界で見たことがあります。
そして、間違っていかれたのではないのですか。
わかってほしいのです。
あなた方の代わりはもういないのだということ。
わたくしはあなた方の母として言いましょう。
あなた方の母として、あなた方にあえて叱責をしましょう。
あなた方がこれだけ、今地上の、このような素晴らしい役割を、天の大いなる父によって与えられた人生であるということ。
それをどれだけ感謝しても感謝しきれない場所に、あなた方一人ひとりはいるのだということ。
それを、あなた方のこのような心の思いで、その資格をなくし、この計画をつぶしてよいのだというのなら、自分で去りなさい。
人に言われなくても自分で去りなさい。
みんな残念がっているのですよ。
でも、母はあえてあなた方に来て、言葉をかけましょう。
わたくしはいつも涙を流しながら、ファティマでも、わたくしの愛する子どもたちに向かって、語りかけてきたのです。
あなた方を愛しているから、あなた方を愛しているから、この使命を全うなさい。
あなた方しかできないよ。
母はけっして賢いことは言ってあげられないけれども、神の子として純粋なるおのれ自身に、あなた方の中に、魂の中に埋め込まれた神の子としての良心と呼ばれている、そこに問えば、あなた方は一人ひとりが反省できるのではないですか。
そこをもってしか、そこをもってしかあなた方は神の入り口の扉をノックする権利は与えられていないのですよ。
難しい方法論に走りすぎて、その赦し合う心、愛し合う思い、そのような波動に、そのあなた方のその思いに、天上界は応えて、このようなメッセージを送ってくるのだということ。
男性のあなた方には理解しにくいかもしれないけれども、わたくしたち女性霊がこの地上に愛の波動というものを、このやわらかさというものを、常に発信しながら、人びとの傷を癒し、思いを癒し、包んできたということ。
その母の余計な、お節介なことかもしれないけれども、あなた方がほんとうの意味で互いに赦し合いながら、生かし合いながら、このメンバーの中でやっていくことができなければ、地球全体の人びとを赦して、受け容れていくなんていうことはできないのではないのですか。
8.愛に満ちたものではなくては何の価値もない
天上の天使たちは、天国の御国の使徒たちはね、みんなお互いにいいところをひとつでも認めたら讃え合っているのです。
そして、互いに他人に対しては、ほかの者に対しては、少しでもいいところがあったら讃え合うのだけれども、自分自身に対してはたいへんきびしい者、それが天上界の天使たちの姿なのです。
そこの基本を学ばねば、天国に入ることは許されないのです。
あなた方はただ天国に入るだけではない。
天国にこれから来る地球の多くの人びとを導く、その灯台として、その指導者として、あなた方はこれから立とうとしているのであるのなら、難しい方法論や理屈以上に、愛の原点というものを、神の御心の原点というものを忘れてしまっては、もうこの救済計画そのものができなくなるのだということ。
そのことをもう一度、わたくしは今日伝えたくて参ったのです。
わたくしはけっして、ロザリオの祈りを何回あげていただいたから、あなた方が清らかな波動でなければ、降りないということではないのです。
わたくしのような端女におきましてはわたくしのような者を、このような場に送っていただけた天の神様に対して心から感謝し、分不相応な役割であると、常に恐縮しているものなのです。
でも、最も心低き者、最も自分自身を小さく思う者、その者のみが天国に入れるという言葉をあなた方はご存じでしょう?
であるならば、どれだけあなた方が優秀であろうと、力を持っていようと、心低き者になりなさい。
心貧しき者、聖書でいう心貧しき者ということは、謙虚な者であるということですよ。
謙虚でありなさい。
愛深くありなさい。
けっして他人を裁く波動を出してはなりません。
その裁いた波動によって、おのれ自身も裁かれるのです。
それがインマヌエル、イエス・キリストがおっしゃったことではないですか。
そんな原点を忘れて、あなた方は地球人類なんか、どんなことをしたって救えないのです。
もうこのような大津波、インド洋上の大津波とかを見れば、これから次々と地球的規模の天災が起きてくるということ、そのことは嘘ではないということが、あなた方だってわかってきたでしょう。
であるならば、あなた方の仕事はとても、とても尊いことなのです。
尊いお仕事ではありますが、それは謙虚さに満ちたものでなくてはなりません。
愛に満ちたものでなくては何の価値もないのです。
どれだけ優秀な仕事をしても、愛に満ちていない仕事など、どれだけしたって、何の役にも立たないのです。
これは神の使徒としての仕事なのです。
普通のビジネスではないのです。
わかっていただきたいのです。
自分自身がおかしなことをしたと思ったならば、自分自身、反省をなさい。
それができないのならば、ここに座る資格はなくなっていくのだということ。
そして、あなた方一人ひとりが神に選ばれている者たちなのであるということ。
そうでなければここにいる一人とて、わたくしたちの言葉を聴くことはできないのです。
ですから、お一人おひとりが自信を持って、ご自分の魂を光らせ、大いなる神に貢献するチャンスを与えられた者として、どうか活躍され、残された地上での命を燃やされていただきたいと思うのです。
9.悔いを残さず、精一杯頑張っていただきたい
いずれキリスト教もなくなっていくでしょう。
ローマ法王庁ももう、時間を経ずしてなくなっていくのです。
天皇家がなくなり、ローマ法王庁もなくなっていき、多くの宗教がひとつのるつぼに投げ入れられ、大いなる根本的な地球教としての、ひとつの神理体系というものが打ち出される時代が参ります。
その基本をあなた方が打たれているのです。
今までローカルな宗教と呼ばれて、打ち出されてきたものが、これからは地球教の神理として、地球人をひとつにまとめていく。
大いなる地球的な規模の政府機関というものを通して、地球人としての意識として、この地球がまとめ上げられる時代がくるのです。
そのための大いなるひとつの時代の変換点として、あなた方はひとつの相反する潮流の狭間の中で立ち上がらなくてはいけない。
ターニングポイントの中にいる、ひじょうに大いなる使命を得られた方がたなのです。
でも、どう見ても、わたくしが思いますに、この地上に生きながらえるよりも、天上の世界のほうがとても美しい、幸せな世界なのですよ。
であるならば、今この地上に降りて、この大いなる使命を果たすことができる、この数十年を神の使徒として精一杯、燃焼して、この天上界に戻っていらっしゃい。
そうしなければ、あなた方、お一人おひとり、後悔なさるでしょう。
悔いを残されることでしょう。
悔いを残してはなりません。
このような素晴らしいチャンスに恵まれたあなた方であるのならば、どうかこの仕事を立派に果たされ、我が母の胸に戻ってくる日を楽しみに、わたくしも待ちわびて、あなた方が戻ってくる日を待ちましょう。
その日のために、頑張っていただきたいのです。
天上界の高級諸霊は、もう必死で頑張っておられるのです。
いよいよ天変地異が起き始めました。
もう地球神霊の支えておられるこの手を止めることはできないのです。
徐々に、徐々に、人びとは信じられなかったと、考えもつかなかったと思うような情報をテレビで見ることでしょう。
そのたびに驚かれることでしょう。
でも、もっともっと悲惨なことが、もっともっと巨大な南極の氷が溶けて押し寄せてくるような、そのような地球レベル的な大災害というのがこれから起きてくるのです。
それを少しでも未然に防ぐためにも、そのようなことがあっても必死に体を張り、裏神道の方がたやミカエルたちが護っているように、あなた方がその中で、法の基本というものを降ろしていかねばなりません。
そのために精一杯、頑張っていただきたいのです。
そして、そのようなものを降ろしたならば、どうか芸術においても一刻も早く、人びとに芸術というものを通して、言葉のわからない方がたにおきましても、わかっていただけるという方法手段をとっていただきたい。
その果てに宇宙の法というものを通しまして、他天体からお越しになられておられる光の天使、彼らは宇宙人ではないのです。
わたくしたちから見たら他天体におられる天使の方がたなのです。
あの方がたと共に手を取り合い、地球の、この地上の御国というものを、ユートピアというものをこの地上に出現させ、この宇宙の光の天使たちの仲間入りを、この地球の光の天使たちとして、合流していけるような、そのような新たなる時代を、わたくしたちも望んでいるわけです。
10.神理というのはとてもシンプルなもの
どうか、あなた方の今のお立場ということを考え、ひじょうに次から次へと足をすくわれるようなことが起きているのはわかるのですけれども、でも、原点に帰るということを忘れないでいただきたい。
そうでなければ、もうこの言葉が、この御言葉が天上から降りなくなりますよ。
その時に慌てても遅いのですよ。
何が間違っていたか、あなた方はもっと心をオープンにして、話をしてごらんなさい。
そうすれば、本来持っていた、愛の波動というものを取り戻していくことができるでしょう。
原点に戻っていってください。
シンプルなものなのです。
神理というのはとてもシンプルなものなのです。
でもとても力強いものなのですよ。
わたくしはけっして、そのような難しい神学理論を語ることはできません。
でも、わたくしがあなた方を愛していて、母的な気持ちであなた方を神の子として、わたくしの子どもたちとして、わたくしが今思い、気づかっているということ、その中において、あなた方に母として何を伝えなければいけないのか、何を叱責しなければいけないのか、何を励まさなければいけないのか、それを今日伝えたくて参りました。
もう、わたくしのような姿をとって人びとを指導する時代は、終わりを告げていくのです。
この方におきましても、過去世だけの断片を見たならば、数々の一部分的な偶像というのがあるかもしれない。
でも今回、彼女は何ひとつーー、そのような看板を外すというーー、彼女は一主婦であり、一母親であるという、そこで勝負してきているということ。
看板を持たぬ人。
看板を持たずして御言葉を語れる人、こういう人をほんとうに強い人というのですよ。
ひとつの、誰かが祭り上げ、絵画や教会建築の中で美しく偶像化したもの、その看板と役割をもって、わたくしのように言葉を語るよりも、何も持たずして人びとの心に、言葉で人びとの心を震わせ、波動を直撃していける、そういう人のことを、ほんとうにわたくしは強い人なのだと、力のある人なのだと思っているのです。
であるならば、あなた方も無名でよいではないですか。
あなた方の生きざまをもって、語る言葉をもって、する仕事をもって、人びとの心に、「ああ、あなたは神の子だ」と、思わず手を合わせられるようなそのような生きざまをなさい。
理屈だけこねてもね、どれだけ優秀なものを出してもね、人びとはあなた方に手を合わせないのです。
神の臨在を示すということ。
それはあなた方の言葉や行い、そして、生きざま、そのすべてに出てくるのが、それが神の臨在を著現するという光の天使、地上に降りた光の天使たちのすることなのですよ。
そのことの意味において、神はけっして優劣はおつくりにならないのです。
あなた方の個性の中において、与えられた役割において、精一杯、あなた方がこの地上を愛していこうと、地上に住む神の同胞たちを愛していこうと思われて、一生懸命努力し、役割を果たすのであるのならば、そのすべてが尊く、すべてが神に、天の父に喜ばれる行いであるということ。
そのことの意味において、我々はけっして優劣もなければ裁きもかけないということ。
その意味において、すべての方がたにおいて、尊いのであるということ。
それを認識するのが、わたくしたち天上界の者たちの共通理念になっております。
ですから、あなた方もわずかなこの仲間の中においても、そして、外の世界の方がたに対しても、そのような目で見ないで、多くの神の子たちを自分たちと共に誘い合わせて、気楽に鼻歌でも歌うような気持ちでね、みんなで肩を組み合って行進していくような、そんな気安さがあってもよいのではないかと思います。
11.自信を持ってわたしたちのルーツを明かしていく
カトリックの教会において、あまりにも堅苦しかった。
あまりにも戒律にがんじがらめになり、あれをしてはいけない、これをしてはいけないということで、神の子たちの本来の喜びをすべて封じてしまうような方向に、キリスト教の教義というものがいってしまったから、そこで追いつめられた本来の本能というものが、別な形で吹き出たように、ひじょうにいびつな化け物のような形で吹き出していったのが、中世のキリスト教の内部事情だったと思うのです。
ですから、あなた方はそのような足かせからは解放された時代にいるのですよ。
ですから、人間神の子であるという、神の讃歌をもってこの地上の計画というものを、地球人に神のメッセージとして伝えられる時代がきたと、ゼウス様もおっしゃられておりましたけれども、わたくしもそう思います。
一時的には、あれもまた意味があり、美しかったと思うのです。
しかし、もうこれからはそのような過渡期的なものではない、根本的な意味で、「さあ、あなた方もここまで成長したから真実を教えるよ」と。
子育てをしていても、そういう時期がくると思うのです。
第一次成長期、第二次成長期がきたときに、子どもたちに本来の姿というものを教えていく時期があるでしょう。
それと同じなのです。
やっと地球人がその時期にきたということなのです。
あなた方の魂は、本来は他天体から来た。
宇宙にも、ほかの銀河系にも、外宇宙にもたくさんの素晴らしい方がたが、神がおつくりになった神の子たちがいるのよ。
わたくしたちの祖先もそこから来たのですよ。
その上で、ひじょうに指導者的にあった方たちがメシアと呼ばれ、この地球を統治し、指導してきたお立場にあっただけで、みんな同じ神の子なのですよ。
あなた方もお一人おひとり、七色の個性を分け与えられた、素晴らしい神の子として、さあ、いっしょにお役を果たしましょう。
信じ合いましょう。
裏切ることなく、お互いに愛し合い、讃見合い、ほめ合いましょう。
それが、それがほんとうにわたくしたちが、わたくしの愛する子どもたち、地球人に言いたかったことなのです。
やっと言える時がきたのです。
ですから、あなた方はそれを言ってもよいのです。
わたくしがナザレの時代に、そのようなことを言えたでしょうか。
言えませんでした。
インマヌエルにしても同じだったのです。
モーゼにしても同じだったのです。
仏陀にしても同じだったのだと思います。
今このような認識が、このように銀河系や外宇宙というもの、銀河系宇宙、小宇宙、大宇宙という意識が、実際にもう理解できる段階になったからこそ、わたくしたちの言う言葉が、おかしな絵空事ではないということを、多くの人びとが理解できるはずなのです。
であるならば、どうか自信を持って、わたくしたちのルーツというものを明かしていっていただきたいのです。
そして、神の愛が本来どこにあるのか、神というのは絵に描いたような、ひげを生やしたおじいさんでもないし、天上界ですべてをわかって玉座に座っているものでもないし、わたくしも聖女ではないし、神の使徒であるということ。
そのような者たちがたくさん、天上界からあなた方を愛して見守っているのだということ。
いつも応援しているのだということ。
12.愛こそすべてであるということ
今日わたくしは五百位の天使たちを連れて参りました。
この天使たちの応援も、あなた方は受けているのだということ。
けっして、けっして難しいことを知らなくても、愛ある思いの中に神は宿るのです。
その真実を忘れてはなりません。
愛ある思いとは、互いに赦し合い、ほめ讃え合いーー。
そして、愛の根本的な法則である、宇宙の大法則である愛の思い、それを神というのです。
その神に、愛に直結して生きていくということ。
それがわたくしたち、光の天使と呼ばれている者たちが、光を発信する源であるということ。
あなた方も知っているようにスウェーデンボルグという方が、霊天上界には霊太陽という太陽があるということを、おっしゃられているはずなのです。
その霊太陽というものはね、大宇宙の根源の愛の思い、愛のスフィアという、そういうものが、この地球の霊天上界にも引かれてきた、その姿であるのです。
わたくしたち天上の者たちは、何も食べなくても生きていけるのです。
地下の者でなければ、霊界の太陽によって、霊天上界の太陽によって、エネルギーをいただいているのです。
それをご存じだと思うのです。
それは何かというと、宇宙の法則の中にある愛の思いの化身である、太陽に直結しているということなのです。
だから、愛を持てるかどうかが、天上界で生きていけるかどうかの、大いなる分かれ目になるということ。
わたくしたち一人ひとりは、大いなる宇宙の根源である神の愛を、愛のエネルギーをいただいて毎日、毎日を、生かさせていただいているのです。
肉体を脱ぎ捨てたら、わたくしたちの心に宿るのは思いだけなのです。
思いにおいて愛なき者は、天上界に入ることは許されないのです。
遂に言うと、愛こそすべてなのです。
愛こそすべてであるということ。
その愛の理解というものは、人それぞれにおいてまちまちなのです。
だからそこにおいて、いろいろな認識力の差というものにおいて、いろいろな世界が展開するのかもしれません。
でも最後は、神の統一された見解の中におかれる、愛の思いというものをみんなが持つことにおいて、多くの人びとが直結して、本来の天上界の神の愛の太陽に連結されていけるということ。
それこそが神の子が神の子としての光を発信できるということ。
13.真実は愛であり、美であるということ
いかがでしょう。
さっきこの方が、「きれいね、きれいね」とおっしやられていたでしょう。
わたくしの天使たちは、わたくしの愛する天使たちは、ほんとうに美しいのです。
ほんとうに美しく、光り輝いています。
わたくしの誇る、わたくしの子どもたち、わたくしの愛する天使たち。
そして、その天使たちの群れにはあなた方もいるのです。
美しく光りなさい。
美しく輝きなさい。
あなた方は光の天使、神の子どもたちなのですよ。
今わたくしの周りにいる、この五百位の天使たちと共に、あなた方も美しく輝きなさい。
本来、神が与えられ、あなた方を創造された美しさをもって、愛を自分の体に直結させることにおいて、光り輝き、羽ばたきなさい。
大いなる翼を広げ、大いなる美しき光を、この地上に生きた肉体をもって発信していきなさい。
光り輝きなさい。
一言ひと言、語る言葉の中に愛が宿るかどうかで、人びとはあなた方が光の天使であるかどうかを直感的に見分けるのです。
周りの人びとが自分を評価しないから悪いのではないのです。
言葉を超えて、思わず手を合わせたくなるような美しさを、神性を発現するような、そのような生きざまをしなさい。
肉体を持っていてもそれはできるのです。
それこそがほんとうに美しいということ、美であるということ。
真実は愛であり、美であるということ。
そのことをわたくしはあなた方に伝えます。
けっして、善であり、美であり、美しく生きるということは、難しいことではないのです。
わたくしのような者ですら体現できるのなら、あなた方におかれましては、もっともっと素晴らしい光を放てるはずなのですよ。
ならば、もう一度、原点に戻られて、その上でどうか素晴らしい愛の憩いの集団として、神の言葉を降ろせる磁場というものをおつくりになって、本を一冊、一冊、地道にお出しになっていただきたいと思います。
これからも多くの方がたが、あなた方の扉を叩いたとき、いらしたとき、どうかわたくしの教会の牧師、神父といわれている者たち、シスターと呼ばれている者たちがどのように彼らに接していたかを、少し参考にしていただけたらと思うのです。
わたくしの愛するシスターの中に、マザー・テレサという、最近、帰天した者がおります。
彼女がどのような思いで、人びとの手を握っていかれたか。
難しいことを言わなくても、彼女はどのような思いで、亡くなっていかれる方を看取っていかれたか。
その思いはね、けっして理屈なんかないかもしれない。
あなた方の好きな難しい神理はないかもしれないけれども、いちばん、これからの時代に必要なことかもしれないのですよ。
愛の思いで人びとを包み、愛の思いで人びとを看取っていく。
「あちらに神の国があるよ」と、「あちらが神の国の方向だよ」と、指し示していただきたいのです。
死んでいく人たちをーー。
彼らはどちらに帰ればいいのかわからないのです。
そのような時になってね、難しい理論書なんて、何にも役にも立たないのですよ。
ただ、あなた方一人ひとりがどこまで神の愛がわかり、どれだけ表現できるか。
多くの人びとを救いたいという愛の思いで、人びとの手を握ってあげることができるか。
その思いを忘れてはなりません。
そこを抜きに信仰心などはありません。
そこを語る女性がーー、母性がなさすぎるのです。
そして、それはわたくしの愛するブラザーたち、神父と呼ばれている者たちの中に、わたくしが時間をかけて育ててきた者の中にもあるはずなのです。
そのような神の愛に包まれた優しさというもの。
裁かない。
ただただ無心に、虚心に受け止め合っていく。
神の国は難しいことわからなくても、「こちらですよ」と、「神はおられるのですよ」と伝えていく。
そのような初歩的なものも、どうかあなた方は馬鹿にせず、伝えていただきたいのです。
それを、日蓮様がおっしゃられる根本法というのです。
14.愛というものは循環していくものである
であるならば、あなた方は時間を惜しんで仕事することがあるでしょう?
本を書けるでしょう?
そして、語っていく場というものを持っていったらよいと思うのです。
まあ今は、皆さまは初歩的な立場であられるかもしれないけれども、天変地異は待ってくれないのです。
その人たちにこそ、苦しんでいる方たちにこそ、神を、神の存在というのはどういうものか、伝えるチャンスがあるというのもまた事実なのです。
そうでしょう?
健康で平和に生きているときにはわからなくても、重大な病気をしたときに、「神よ」と言って信仰に目覚める方がたは多いはずなのです。
命はいつまでもあると思い続けていても、けっしてねーー。
神がどんな一人においても、永遠の命を持つなんてことはあり得ない。
限られた命のものなのであるということを理解した瞬間、命が有限であるということを知った瞬間、人びとは人生の価値観をガラリと変えていくということがあるはずなのです。
そのためにある意味で、病気を設定してくる者たちもいるのです。
そして、この天変地異で親兄弟をなくし、多くの人びとがひじょうに苦しい立場におかれていったときこそ、逆に言うと神の光というものがどこから射して、どこに向かっていくのかということを伝える絶好なチャンスとして、人びとの心に届く、その時期でもあるかもしれないのですよ。
ですから、けっして簡単なことをおろそかにせず、シンプルで初歩的なこと、でもそれを最大限の愛をもって、思いやりをもって、神への圧倒的なる信仰心を込めて、あなた方は伝えていかれたらよろしいと思うのです。
わたくしはほかの方がたのように、難しい、崇高な宇宙の理論とか、そのような難しい理論的なことはお話しできませんけれども、女性が女性として与えられた、神様からの、神よりの役割というものがあるのです。
その意味において、今疲れ、何を信じていいかわからなくなっている人びとに対して、励ましと勇気と、そして深い愛というもので、あなた方を包んであげたいと思います。
わたくしの愛する子どもたちよ。
どうかこの試練に負けないでいただきたい。
そして、この天上の天使たちと共に。
天使たちもみな、あなた方のつらさをわかって、涙を流しているのです。
わたくしがずっとこのように涙を流しているのと同じように、あなた方のつらさがわかるから、わたくしはあなた方のために何もしてあげられないから、あなた方の分まで、あなた方のつらさまで、泣いてあげることしかできないから、泣くのです。
だから頑張っていただきたい。
どうかこの神が、どれだけあなた方に期待を込めて、この地上の救済計画をお立てになられたかということ。
そして、時期が時期であり、これからも打ち重なる天変地異というものを通して、多くの魂が天上に引き上げられていく、魂の清算の時期であるということ。
彼らにわかりやすい道標としての手段というものを残していただきたい。
魂を輝かすものは、神の国に直結するものであるということ。
このあなた方が掲げる大いなるたいまつが、「こちらに行けば神の国はあるのだ」と、「こういうふうに信じていけば、神のみ国に帰れるのだ」と、「わたしたちは神の子なのだ」と、高らかに宣言するような、そのような生き方をなしていきなさい。
今はそれがどう影響するのかわからなかったとしても、いつかそれが実を結び、次から次へと大いなる愛の連鎖反応により、この地球をドミノ倒しのように、愛で包んでいく。
そのような時が必ずくるのです。
信じてください。
そのように愛というものは循環していくものなのですよ。
それが神のご意思であるということ。
それがわたくしたち天上界の者が、いちばん喜ぶ姿であるということ。
どうか、どうか、この大いなる使命を与えられた、今回の人生を心から愛し、多くのあなたの仲間たちを、そして、あなた方を道しるべとして頼って来る多くの方がたを、どうか導いて救ってあげていただきたいと思います。
今日はこれにて失礼させていただきます。
心よりあなた方のご健闘を、お祈り申し上げております。
失礼いたしました。