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Project Eden

プロティノス

(204年-270年)
「新プラトン主義」といわれる哲学の一派を創始したローマ時代を代表する哲学者。
エジプト出身で、アレクサンドリアで学んだ後、ローマに移住した。
プロティノスの思想はプラトンのイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものであった。 プラトンの『パルメニデス』に説かれた「一なるもの」を重視し、語りえないものとして、これを神と同一視した。 万物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイデア)である「一者」から流出したヌース(理性)の働きによるものであるとした(「流出説」)。
その後、近代日本に転生し、谷口雅春として活躍するなかで、生命の實相哲学を説いた。ローマ時代、哲学者として知の原理のもとに哲学を構築した後、さらに多くの人びとを神の子として神の道に誘わんと、近代日本においては、宗教家として光一元の光明思想を説いたという。

第3章2 プロティノス:我が弟子よ

1.光の天使たちは自らを責め過ぎる傾向がある

2.あなた自身を裁くことをやめなさ

3.自らの弱さを愛し、取り巻く環境に感謝しなさい

1.光の天使たちは自らを責め過ぎる傾向がある

プロティノス: あなたが考えている以上に、あなたの責任ではないって。致し方なかったことである。この人ーー。
アマーリエ: 私をだしに使うなって。

プロティノス: この人を見てみなさい。この人だって多くの神の使命、神の子たちに、自らの人生をもって仕えようとして、自ら傷つき、多くの流れの中で自分を見失っていった歴史がある。でも、この人も自らを責め過ぎて、そこの中から自分を責め過ぎたがゆえに、はい上がってこられなかった。

あなたも似たところがある。愛深き人というのは、必然的に起きることであっても、誰の責任でないことであっても、自らが悪かったと思って自分を責め過ぎるのであるのが、愛に人の、光の天使たちの傾向性である。その意味においてストイック過ぎるのである。

致し方ないこともあるのだよ。自らばかりを責めて、その中で頑なになってはいけない。新たな人生を生きると思い、愛というのは他の者たちとともに共存し、分かち合うことをもって、愛の人生という。

あなたが自身が幸せであり、愛の人とならなくて、どうして弱き者たちを愛の人生に導くことができるのかい? それはあなた自身の心の傷の中で、自らを責めることの中で、自己防御本能が働いているのに過ぎないのだよ。
この人に相談してごらん。同じだよ。自らの使命を果たさんがために、必死になったがために、自分を追い込んだ結果である。

人にはそれぞれの人生がある。光の天使たちというのは、他の人以上に多くの使命を任され、自らに厳しくこの地上に出て行く。もっと、もっとできたのではないかと、自分が間違っていたのではないかと、自らを追求し過ぎるがためにーー。
「このような結果でなければ、もっと別のことができたのに」というふうに、自分の中に言い聞かせ過ぎてしまうものである。
でも、けっして、あのことはねーー。

アマーリエ: 何のことかわからない(笑)
プロティノス: あのことはあなたのせいではないよ。もっと気持ちを緩ませて、和ませて、多くの人びとと、喜びも悲しみも、傷みも、共有し分かち合うということをあなたは学びなさい。

そうすれば、多くの人びとがあなたに救いの手を差し伸べてくるよ。あなたの中に感じているそれだけの感性を、多くの人びとがあなたに救いの手を差し伸べてくるよ。あなたの中に感じているそれだけの感性を、多くの人びとはわからないし、でも多くの人びとと共有するのは、あなたにガードが強過ぎるから。

けっして、あなたの誇りを傷つけるようなことは言わないけれども、でもあなたはそこから出てこなくてはいけない。

2.あなた自身を裁くことをやめなさ

それだけの今回は集大成の時期であるということは、たびたび重ねて言われている。あなた自身がやることはいくらでもあるけれど、あなた自身がやる大きな使命と、あなた自身のカルマの解消がある。

この人もそうでしょう。大きな使命を降ろされたと同時に、この人自身の魂の修復というカルマの解消があって、今霊言が嫌だと言っても、霊言をとらされているということがある。
でもこれは、神の慈悲であるということ。嫌だということを、逃げ続けていたらーー。

アマーリエ: 悪かったな(笑)
プロティノス: 嫌だということを逃げていたのならば、そこから目を背けていたのなら、永遠に完成の道は開かれない。嫌であれども、そのような経験が繰り返し要求されるということは、自らの完成の道として、神の大いなる慈悲の手が差し伸べられたということを思い、我々が数々のメッセージを送るということが、今集中的にあなたに向かってメッセージが行われるということが、どういうことであるかということ、あなた自身がもっと理解していただきたい。

あなた自身の魂が悲鳴をあげているよ。あなた自身が他の誰でもない、他の誰よりも強くあなた自身を、あなた自身の魂を裁くから。
もっと優しくしてあげてほしい。我々は誰一人として、あなたに対してそんなことを言っていない。もっと優しくして、いたわってやってほしい。我々はみな、あなたを愛しているから。

自分自らをほんとうの意味で愛せない者が、他の者たちを愛せない。
他の者、自分自らの弱さや、過ちを許せない者が、他の者たちの弱さや、甘さや、悲しさを許してやることはできないよ。
それが人間だ。
完全である必要はどこにもない。その傷みも、苦しみも、悲しさも全部しょって、人は必死に生きようとする。

ここにいる者たち、みなそうだし、そうやって、このレムリアは動いていっている。それが血の通った人間であることの素晴らしさでもあると思う。
完全である必要はどこにもない。その傷みも、苦しみも、悲しさも全部しょって、人は必死に生きようとする。

ここにいる者たち、みなそうだし、そうやって、このレムリアは動いていっている。それが血の通った人間であることの素晴らしさでもあると思う。
完全を目指すことは大事だけれども、けっして完全である必要がないのも、神の子である人間であると私は思う。

かくいう私も、けっして完全ではないのは、そなたがいちばんよく知っているではないか。でも、そなたは私にとても優しく、寛容でありながら、自らにはこれでも、こんな必要があるのかと思うほどに、自らに厳しいのだ。

だから、どうかそのことを、気持ちを他の人に対する優しさとともに、自らに対する優しさにしてほしい。
もっと弱音を吐いていいんだよ。
もっと無防備になっていいよ。
もっと悲しいと言っていいよ。苦しいと言っていいよ。
それが出たときに、あなたは他の人の悲しさや苦しさがわかる。

魔に落ちていった今回の者たちを見てみよ。他者に厳しく、己に甘いではないか。落ちていった者たちの傾向性は常にそうである。魔界の者たちも常にそうである。他者に厳しく、中傷、なじることが多くて、自らにとても甘いのだ。

そなたはそれを、魔界の者たちと戦った歴史の中において、それはいけないと戒め過ぎ、自らに、神の子としての自らの欠点に対して、必要以上に厳しくあり過ぎるのだ。

そんな必要はない。みんな、いいところもあり、悪いところも持っている。それが人間であり、神の子の素晴らしさなんだよ。弱いところがるから、悲しいとこがあるから、他者の痛みや弱さがわかり、そして優しくなれるんだよ。
わかるかい?
小林: はい。

3.自らの弱さを愛し、取り巻く環境に感謝しなさい

プロティノス: 強く、強くあらねばならぬ。魔界の者に対して、自分に対して、厳しくなければ魔にやられると、思い込み過ぎてはいけない。
そなたは十分素晴らしいし、十分に謙虚でもあるから、人生においていかに、どれだけ高い資質のもとにおいて神に貢献できるかという効率ばかりを考えて、自らを追い込むのではなくてーー。

よいか。その結果ではない。
神が望んでおられるのは、我々がやったことの結果ではない。どれだけ懸命に生きようとしたか。どれだけ他者のねーー。そして忘れてはいけないのは、自らも愛深き人生で、愛することができた人生かということを、神はいちばんにお考えになられているということ。

そなたは他者を愛するということに対しては、ひじょうに理解があり、命がけになるのに、どうして自らを愛することに対しては、そのように片手落ちになるのかと思っている。

自らの弱さも愛しなさい。そして、その取り巻く環境に感謝をしなさい。そしてできるだけのことを、結果を考えずに、自らできることだけをやってきなさい。そうすれば過去世からあなたが蓄えてきたもの、正義、愛、知恵、そして多少仏陀光線なり、あらゆる光線を巡っている。そなたはあらゆる光線を巡りながら、自己完結の道を永遠に修行してきた魂なのです。

でもね、それがすべてに生かされるのも、殺されるのも、今世、集大成として、あなたがやってきたことの中に、すべてが具現化されていくことによって、ほんとうに意味があったのか、あなたがそれだけ放浪しながら修行してきたことが、ほんとうに報われたのかということが問われるのだよ。

小林: はい。
プロティノス: だから、それを他の仲間たちは言っているのだ。あなたがいろんな光線を放浪すればするほど、いろいろな光線の者たちがあなたの魂に感銘を受け、激励に来てくれているのが事実なのです。

だから自分が、自ら何光線と言う必要はない。放浪した分だけ七色の光線の友人たちが、たくさんあなたを期待し、誇らしく思い、今ここに来て、馳せ参じているのが現状であるということ。

そして我が弟子よ。私はあなたを心から指導し、心からあなたを誇りに思い、ともにこの近世の、近代の日本に時を少し違えて生まれてきた者なのです。
それを信じる、信じないのはあなたの勝手。しかれども、我が教えに対して感銘を受けるのであるならば、我が教えを活かし、その上で今のこの現状において、私が生きていたら何ができたかということを、私の手足となって生き切ってほしいというのが、我が弟子に対する、あなたの師の願いであるということを、あなたは感じ取ってほしい。

小林: はい。
プロティノス: 知恵にはやり、知の中で、哲学的な意味で、学問の極みを達した我々ではあるけれど、そのものは一部の学識集団の中でしか愛用されず、相変わらず虐待され、多くの知的な意味において、救いを求めても与えられなかった者たちにおいては、いっこうに幸せになる道を開かなかったということ。

その現実を、我々は天上界に帰ってきてからひじょうに反省したのです。
それゆえにあなたは、弱き者、知恵のない者、学問のない者の味方になろうと、ひじょうにあのときに、深く、深く決意をした。

それからいろいろなところに生れていって、多くのパーニャパラミタを学ばれたというのが事実。それがまず核があって、それぞれの修行があるということを思わなければ、あなたのような魂は、自分がどういうルーツの者かがわからなくなってしまう。

でもまず原点は、私との対話にあったということ。だから私は、私との対話をもって、今生、ほんとうの意味であなたが今生の使命を発動、再会することをもって、今日出てきたのです。

ひじょうに深い反省、そして知の素晴らしさを極めている我々なればこそ、最後このすべてが、総編纂、集大成されるこの時期に出る意味もあるのだということ。
そのことをどうかお考えいただきたい。
小林: はい。

プロティノス: 自己限定しないこと。
自分を責め過ぎないこと。
あなたが十分、愛の深い謙虚な人であることは、みなが知っていること。
そのことを思って仲間たちとともに、これから残された時を、精一杯、頑張っていただけることを私は希望いたします。
よろしいでしょうか。
小林: はい、ありがとうございました。

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