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Project Eden

第5章4 マヌ:わたしはいつも盛装して出てきています

1.レムリア的なゆとりある魂の効用

2.しっかりとしたビジョンに焦点を合わせていく

3.地上の一瞬一瞬が試験である

4.謙虚でありなさ

5.知性と感性を兼ね備えること

6.九次元の中にもいい意味でのランク付けがある

7.難行苦行ではなく、ダンスのステップを踏むように

8.みんなで力を合わせて神の国をつくりましょう

マヌ

1.レムリア的なゆとりある魂の効用

皆さま、マヌです。
わたくしは今回この計画におきまして、補助役としてこの地上にときどき協力をしに来ているのですけれど、なぜかわたくしが語りました霊言におきまして、わたくしが期待していた以上のファンができたようで、わたくしとしてはとても機嫌をよくして、また出しゃばらせていただきました。

この今回の計画におきまして、何度も申し上げておりますが、メインとしての責任者はやはりエル・ランティであり、アモール、イエス・キリストであり、モーリャ、モーゼであり、セラビム、孔子であるということ。その方がたの責任におきまして発動された、まあ、ミカエルもそうですけど、計画であるということ。そのことをわたくしは立場上しっかりと、あなた方にもう一度伝えるものなのです。

しかし、この「レムリアの風」の雰囲気というものは、やはり彼女が出ていることもございますが、我々の星であったオリオンというものを通しての雰囲気というものを反映しておりーー。まあ、仏陀サンガーというものを通してひじょうに深刻であり、禁欲的な風がものすごく流れておりまして、普通の肉体を持った人間たちにおいては、体に毒であるのではないかと思うような、そのような教条主義的なものがはびこってきてしまったので多少解毒剤として、我々のようなレムリア的な雰囲気というものがあってもよろしいのではないかと、わたくしは思っているのです。

先ほどミカエルが出て、必死の思いで語っていました。わたくしはミカエルの気持ちがひじょうにわかる者として、あなた方にミカエルの気持ちもわかってほしいと思うのです。そして、ミカエルのような必死さ、このような断崖絶壁に追いつめられた状況であるということとともに、わたくしやゼウスなんかが申しますと、ひじょうにいい加減に思われる方もおられるかも知れない。仏陀光線の方がたから見たらば、何といい加減なことを言い出すのかと思われるかも知れないーー。

でもそのゆとりのようなもの、人間愛的な部分、ひじょうに、人間らしさというもの、そのような部分を許容し、受け入れ合っていくということ。それもけっして神の道からはずれたものではないのだということを、わたくしは、わたくしの立場をもってあなた方に伝えていきたいと思うのです。

あまりわたくしのような者が出しゃばりますと、今回の文明というものがひじょうに変わってしまうので、仏陀にしても、わたくしという者が理解できずに、終わったということがあるかも知れない。

でも、やはりその弊害から落ちていってしまったということを考えますと、わたくしのような者も多少出て来て、レムリア的な芸術を基盤とした意味での、ゆとりある魂の効用というものを、打ち出してもいいのではないかというふうに思っているのです。

そうでないとねえ、仏陀光線のような刻苦勉励ですか、勉強、勉強として頑張るような、悟り、悟りといつも汲々とし、女性と口をきいても堕ちる、女人禁制であるとか、シスターであるならば男性と口をきくのもけがらわしいような、そのようなことでしか、神理の道というものが説けないのであるのだとしたならばね、やはり神の国というものを求めることを、大多数の多くの人びとは、やはり敬遠してしまう、毛嫌いしてしまうという結果になるのではないかと、わたくしなどは懸念しているのです。

神の世界というのは、これからあなた方は、我々九次元であったとしても、かつて昔においては根源神であるかのように思われてきたかも知れないけど、あなた方と同じ一人ひとりの個性を持ち、人格を持ち、その中で我々の仕事、役職というものを通して、修行している一人の個人霊であるのだ、人格霊であるのだということをあなた方が知る段階にきたということ。

そして、それをもってあなた方一人ひとりが、神の子であるという素晴らしさに目覚めるということ。何度も申します。神が期待してあなた方に塗り込められた個性というものを全開することにより、神の国をつくっていくのだということ。そういう誇りある一人ひとりの魂であるということ。そのことを伝える時代がきたのだということ。

そのことをあなた方はわかってほしい。そのようなことが認識できなくては、どれだけ荒行に耐え、修行、修行と言ってみたところで、神の国からは遠く離れてしまうということをもっとわからなくてはいけません。

そのようなゆとりの部分、おおらかな部分、人びとをーー、肉体を持った、特に肉体を持ったですよ、肉体を持たなければ、またこういうことも別になってくるんですが、やはり肉体を去りましても、やはりゆとりの部分、明るさという部分は必要なのです。

そういう意味も全部含めまして、地上におきましても、霊界を含めましても、やはりそのような部分でゆとりのある明るい神の子として、研さんして生きていくという、その部分を打ち出す意味で、わたくしマヌや、カイトロン、この間、出ていましたねえ、カイトロンとか、ゼウス神とか、あのあたりは意見が一致いたしているものですから、そのような部分で、陽気な明るい部分の神の国という、神の子の側面というものを打ち出していこうというふうに思って、いつも話をしているのです。

そういう意味においては、ひじょうに話が合うのです。その部分も今回の第三の計画において入れるべきであるということ。それは我々、九次元の会議の中においても決まり、この第三の計画における色づけとして我々は与えられたのです。

もともと芸術家というもの、我々、オリオンが呼ばれたときにおきましても、最終段階におきまして、わたくしやゼウス神というものが呼ばれているのです。まず法という骨格において、その星の基本理念というものを立てる方がたがおられるのです。そして、できてきてから、最後の部分でやはり芸術という色づけでその星のムード、その計画のムードというものを決定づける役割というのが我々にあるのです。

そういう意味におきまして、わたしたちは最後の最終段階において、あまりにも悲惨であり、あまりにも悲壮である、そして、あまりにも傷ついた光の天使たちが多すぎるという、第三の計画において、陽気な大らかなものを出すということにおいて、わたくしやゼウス神が選ばれそして、その延長上の中で、この者が、まあ、計画の責任者として選ばれたという事実があるのです。そのことをあなた方はもっとわかっていただきたい。

2.しっかりとしたビジョンに焦点を合わせていく

だからミカエルが言ったことも、けっして間違いではない。そして、ミカエルたちだけでいたならば、あまりにも苦しいでしょう。あまりにもつらいでしょう、あなた方。だからわたくしのような者が出て来て、そのムードを和らげ、そして、生きているということが喜びをもって、感謝できるものであるのだということ。

五感を通しての喜びというものが、けっして罪悪ではないのだということ。それが神の贈り物であるのであるのだということ。それを節度をもって楽しむということ。そして、それを通して究極に高めている中にだって、神の国の悟りというもの、神の子としての悟りがあるのだということ。それをあなた方に伝えに来ているのです。でも、けっしてメインではないのです。

わたくしは今日参りましたけれども、でもできたら、もっとモーゼとかを呼んであげてほしいと、わたくしは思うのです。さっき日蓮も弾かれておりましたけれども、どうも堅いお坊さん系とか、厳しいことを言う者は、やはりこう、まあ、毛嫌いとは言いませんけれども、あまり望まれない。わたくしのようにちょっとこう、いい加減なところがあるようなことを言うほうが、皆さま方にしてみると、楽しいかも知れません。

でも、モーゼたちも必死ですからね。日蓮も必死です。日蓮を弾き飛ばして、ミカエルも出て来ましたけど
皆さま、この高級神霊、今この場にたくさん来ておられるんです。あなた方が見えないだけで、ものすごいたくさんの方がたが出番を待っているのです。わたくしがあまり長時間、専有すると申し訳ないかなと思うくらい、モーゼも来ておりますよ。モーゼも言いたいこと、いくつもあるように思います。どうかモーゼをとってあげていただきたいと思います。

あなた方の中で、オリオンという星を認識することの中でね、やはりこれから先の地球がどういう展望の中で発展していけばいいのかという、ひとつの指針というものが、漠然としたものではありますけれども、つかまえられたのではないかなというふうに思うのです。そのような把握をすることは大事なのです。やはりしっかりとしたビジョンを焦点として合わせていくと、その方向に向かって努力目標というものが絞られるのです。

ですからやはり、けっして地球の未来がね、オリオン的であることは、別に全然、あの、そのような必然はないのです。でもやはり、オリオンのような星、ベーエルダ星と呼ばれている、高橋信次、エル・ランティが来られたそのような星というもの、そういうものはひじょうに進んだ世界であり、ある意味で、見本とし、手本としていくような星であるということ。

そのようなことをあなた方が認識するということは、ひとつの未来に対する間違いのないビジョンとして、そして、それをあなた方、おられる一人ひとりの気持ち、あなた方の個性を通して地球的な個性ある未来へと、地球の将来というものをつくっていかれればいいのではないかなと思うのです。

そのサンプルのひとつであるということですね。それがオリオンという星であるのです。オリオンという星は素晴らしい星であり、やはり調和度の高いところであると思います。やはりオリオンにはオリオンの弊害というものも、多少はありますので、やはり地球のオリジナルなものをつくっていかれることを、わたくしは協力したいと思っているのです。

3.地上の一瞬一瞬が試験である

まあ、仏陀光線というものだけで、法理論だけで蓄積してきた方がたにおきましては、多少、物足りなく思われるかも知れないけれども、実際問題ね、どんな難しい理論を知っていても、修行形態を知っていたとしてもね、やはり現実どう生きていくことができるか、どのような言動をし、どのような言葉を吐けるかということがね、結果的に悟りすべてを決めていくのです。それを清算し、自分が実感するためにね、この三次元に肉体を持つのだということですよ。

その三次元の意味、あなた方、ほんとうにわかっておられますか。あの世にいて修行することは、「ああ悟った、ああわかった」という気持ちになっても、実際、肉体を持ってそのような環境の中で、具体的にどういうふうに生きることができるか、そして、友人や神様に対してどのような言動を吐くことができるか、そのようなことをもって、結果がすべて出てしまうのだということ。そのような試験段階に一瞬一瞬あるのだということ。そのことをおわかりになれればね、この地上の意味というのは、ただ安逸に惰性の中で生きるということではないのだと思います。

今の時期において、このような計画が降りていると言われ、そして、招かれているのであるのならば、そこにおかれてあなた方はどう生きる覚悟をなされるか。どのような生き方をしていく覚悟ができるのか。それが天上界でここに出られるまで、何百年、何千年、何千年まではいかないでしょう、何百年という、あちらの世界で修行してきたことの総決算が、たった一瞬のあなた方の言動によって、清算がついてしまうことがあるかも知れない。それがこの地上世界の意味であるということなのです。

思いだけではいくらでも思えるのです。言うだけではいくらでもできるのです。この地上において肉体を持った、こういう規制された立場において、あなた方がどのように生きることができるか。どのような言動をし、どのように多くの人びとを助け、どのように目に見えぬ神というものに対する忠誠ある信仰心というものを、もっと表して人生を彩ることができたか。その試験の結果をもって、あの世に帰って行くのですよ。

だから肉体を持つということは尊いことなのです。肉体を持たねば、やっぱりほんとうの意味では、わかったかどうかという試験は通らないのです。思った、理解したというだけで、あの世で思っても、実際、生まれてみたら、前と同じことをするのであるのだとしたならば、それは何も学んでなかったということではないのでしょうか。やはりそのことをあなた方は考えてほしい。

このようなビッグプラン、神の大いなる計画の中で、セレモニーとしてのひじょうに素晴らしい大きな計画の一員として、あなた方が参加してくるということ。そのことをもって、あなた方が呼ばれているという今回の人生というものを、どれだけ感謝し、どれだけ実際の言動として生きていくことができるか。もうすでに数名の方がたが脱落しているのです。

その意味におきまして、あなた方がどのような生き方をもって、あなた方が対応していかれるか。そのことがいま即、試験であり、あなた方がどの程度の境地の、光の天使であったかということを、もう厳然と発揮して世の中に示している、神の目にもさらしているのです。

そして、アドバイスがもし間違ったならば、仲間だけではない、天上界においてこの間、高橋信次、エル・ランティがおられたように、あのようなことは今までの人類の歴史の中で一度もないのですよ。そのことを考えなくてはいけない。逆に言うと、そのときに「信じない」と「神の言葉ではない」と言った者が、あとでわたくしたちの世界に帰って来たときに、どのような申し開きをするのであるかと思うと、その者を逆に、わたくしなどは不憫に思ってならないのです。

4.謙虚でありなさ

謙虚でありなさい。ありとあらゆる思いをすべてが神の尺度において、どのように自分が貢献できるのだという、それだけが神を、ほんとうに神の計画が間違っていないかどうかをみる尺度になるのです。その思いがなさ過ぎるということでしょ。

「自分が」ではないのです。自分の思いを、その時、一時、通したとしてもね、あとで本人が考えられないような償いをしなくてはいけないということ。そのことを考えたら割が合わないですよ。それが嫌であるのならば、この計画には参加しないことです。それぐらい第一線の計画であるということです。

第一の計画、第二の計画、ミカエルが言うように、常に魔によって引き倒されてきました。八正道を中心とする反省、そして、神の子であるということ、愛と感謝ということを通して人類は学んできたはずなのです。でもね、それだけをもっては、我々は勝ってはこられなかった。この地上をユートピアにすることはできなかった。やはり地獄が異常に拡大したということ。

彼らが、光の天使たちを落とすことにひじょうに精通しているということ。ミカエルが必死にあなた方に呼びかける、必死に訴えかける気持ちというのも、わかってあげていただきたいと思うのです。実際問題、第一、第二の計画が引き倒されてきたのは、魔によってやられてきたのです。

魔によってやられるということはどういうことか。一人ひとりの人びとの中にね、どんなに素晴らしい神の子であるあなた方であったとしてもね、やはり肉体を持つ以上、ささやかなプライド、ささやかな自我、ささやかな自己優越感、そして、野心、野望というものが、特に男の人の場合にはムクムクと出てくるのですね。そして、普段は彼らにしたって無私な思いでやっていたのです。でもやはり、いざこういう計画で、上に、四合目、五合目と上がって行くにつれて、どんどんその部分があぶり出されてくるのです。

そのあぶり出されたときに、うろたえず、周りを非難するのではなく、「ああ自分にもこんな弱いところがあったんだ。自分はやっぱり気づかなかったけれども、こんなところに執着していたんだ。気づかせてくれてありがとうございます」という、そのくらいの気持ちに人びとがなれたときに、やはりこの計画を通して、大いなる魂の進歩というものがあると思うのです。

そのときに仲間を恨んだり、神を信じないとか、ここに降りている霊言が間違っていると、まあ、百パーセントとは言いませんが、わたくしも今の段階ではこの状態で、百パーセント天上界の意思を伝えているものだと思いますので、まあ「部分的にグレイゾーンである」という面白い言葉を聞きましたけれども、グレイゾーンというのは基本的にあまりないのですよ。

もう下の者を受信できる時っていうのは、その人の気持ちの中に、ひじょうにマイナスのエネルギーが入っていることなのでね、天上界は語るのを止めてしまうことが多いのです。今の段階では、隙あらば、天上界の霊人たちがこぞって出て来て、あなた方に通信をしていきたいという状態ですので、まだまだわたくしの気持ちでみたらば白です。ホワイトです。グレイではないということでしょ。

ですけど、そういう状況になったときにね、「ありがとうございます」と、「気づかせていただきました」と、この計画に参加して活躍することができたからこそ、このような自分の落ち度も発見することができました。ありがとうございました」ということが言えてこそ、本来の神の使者としての格があるというものですよ。

わたくし一人にしましてもね、やはり欠点というのはあると思いますよ。やっぱりどんな者におきましても、あなた方、ショック受けるかも知れませんけど、イエス様たっておありになると思いますしね。仏陀だってあるのです。エル・ランティだってあるし、モーゼだってあるんです。セラビムだってあるのです。そう考えていくとね、やはりパーフェクトであるということが、けっしていいことではないのです。

いいところがあり、悪いところがある。それゆえに個性があり、それゆえに人びとの気持ちがわかり、それゆえに個性の比重というものにおいて、世界を違う花によって彩ることができるのですよ。たとえばバラが美しいとしてですよ、地球に咲く花がすべてバラの花だったら、あなた方どう思いますか? 少しも美しくないんじゃない? 「もう飽きた。もうバラはいいよ。ノーサンキュウ」と言うかも知れませんよ。でしょ?

だったらいろんな花があっていいのです。スミレがあり、ね、タンポポがあり、バラがあり、ユリがあり、素晴らしい花がたくさん咲くところに、この地上を彩る意味があるのです。神の計画の意味があるのですよ。

であるならば、いいところ、悪いところ、短所、長所というものを通してね、人びとというのは個性を形成しているのです。であるならば、どんな素晴らしい方におきましても短所というものがあるということ、その短所を通して自分が成長させてもらっているのだということ。それを感謝して、謙虚に、謙虚に受け入れていく。

死んでも、間違っても、仲間のせいにしないということ。そして、けっしてそれを神仏のせいにしないということ。そのことをあなた方がしっかりわきまえていただければ、これからのレムレアの発展は間違いないと思うのです。

5.知性と感性を兼ね備えること

レムリアというのは基本的に、かつて古代のインド洋上にありましたレムリア文明というものを模範として動いているのは、あなた方ご存知でしょう。その時代のときには、やはり多くの人びとをーー、感性の文明と言われていました。その中で、三年に一度わたくしは、彼らの技術を研鑚させ、そして、神託をこの者にとらすことにより、人気投票、国民投票みたいなものも含めまして、多くの種族の中で、どの種族がイニシアチブを取るかということを決めていったのです。

そういう意味におきまして、ひじょうに高度な感性というものを通して神の国に至るということ、そのものを指導したものなのです。感性というものの良さということにおきましては、彼らはひじょうに感覚的に素晴らしいものがあるので、最終的な神の国に至るということ。

人間、神の子であるならば、最後は神の国に至るという原型というものを、直感的に感覚的に得られるということ。そして、それをどこまで高次元的なものがキャッチできるかということが、それぞれの個性の悟りであるということを打ち出すことができたのです。

だから、今日的な知性とか、理性に偏った教条主義的なものが、悟りのすべてということはなかったのです。感性だったから待ったなし。その人を見て、みんなが素晴らしいと思うものは素晴らしいのです。

あなた方の今の流れている流行歌においてもそうだと思うのですが、大ヒットしている曲というのは、やはり万人の心を震わせる、好き嫌いは別として、やはり大ヒットしているのは、多くの方がたの心を震わせるものがあるのではないでしょうか。

絵においても同じだと思うのです。好き嫌いは別にしても、やはり感性の部分で、やはり素晴らしいと思う、神の子の感性として素晴らしいと思う。

その意味においては理屈を越えているのです。そこの部分においては、神の子としての感性というものがむき出しになってくるのです。そこを競い合うということが、一人ひとりにおいて神の子というものを自覚させる、神の子としての素晴らしさを一人ひとりに認識させるという、そのような意味があったのです。

そして、理屈を越えて神の国のビジョンというものを、それぞれが見ることができた。それを指導する者たちがほんとうに国を指導するのだということ。まあ間接的な意味におきましては、祭政一致というもの、そういうものがあの時代にはあったのです。

そういう、感性の文明に比較しまして、今日はひじょうに知性的な文明というものを、指導霊たちにより計画されてきたのです。まあ、科学の文明というアトランティス的な部分もありますけれども、今世の文明は、知性の文明というものが仏陀を中心にされまして、まあ、時代の総結集、総再編纂期としての立場というものをもたされてきたのです。

でもやはり、知性だけにおきまして、理屈だけで、理念だけで悟りというものを言っても、逆に知だけに偏り、理屈を越えて、やはり神の国を、希望を持つということがわからない。科学というものを通しましても、アトランティスのときもそうでした。今回の文明もそうでした。どうしても頭でっかちになり、知性が入れば入るほど、神の国の偉大さというもの、感性を通して、神の子としての素晴らしさというもの、神のご計画というものをキャッチするということが難しくなるのです。

ですからこの計画に集われておられる皆さま方は、ひじょうに知的な水準の高い方であるということ。ひじょうに知的な水準が高くて科学的な面もお持ちでありながら、なおかつ、この感性の部分におきましても、この計画は本物であるということを認められ、そのために命を張って、この無私なる思いで今日、集われようと思われている。このあなた方の価値というものを、もっともっとあなた方一人ひとりは、自分に対して、いい意味で自信を持たなくてはなりません。よろしいですか。

感性の文明だけでは、感性の文明の弊害も多少はありました。どうしても退廃的に流れ、感性だけでまとめて、知的な理念としての裏づけがないから、一度狂い出すと、いくら語り伝えても、感性だけの自己満足の世界に落ちていくという欠点もあったのです。それはわたくしも認めます。まあ両面あるのです。

知的な文明におきましては、科学的な文明におきましてもそうなのです。しかし、この宇宙時代の最後の、この総決算のときに、あなた方本体が出ているということ。アトランティスに生まれ、レムリアに生まれ、ムーに生まれ、そして、この文明におきましても、イエス・キリストの時代に生まれ、仏陀の時代に生まれ、ね、ひょっとしたらマホメットの時代に生まれたかも知れない。

そして、原始の時代から通して、この近現代に向かって、科学文明に向かっても、転生を分霊たちがされてきて、多くのパーニャパラミタという、過去世の智慧というものを学ばれてきているのではないでしょうか。

でもその総決算として、あなた方のような人材が育ったということを、わたくしたち天上界の者はひじょうに心からうれしく思い、感謝しているのです。理知的な、知性的なフィルターというものをしっかり持ちながら、感性というものでしっかりと神の計画を見分けることができる、見極めることができる。

その意味において、「わたくしが、わたくしが」という思いではなく、無私なる思いにおいて、神の計画のために貢献しようと思って来られる方が、このようにテーブルに集まられるということ。それがどれだけ我々、第三の計画を立ち上げた者たちから見て、素晴らしいことであり、感謝するべきことであり、喜ばしいことであるかということ。そのことをわたくしは今日、ほかの九次元の仲間たちに代わってあなた方に伝えたいと思うのです。

6.九次元の中にもいい意味でのランク付けがある

わたくしは呼ばれれば、すぐそばにおります。わたくしは今回そういう役回りなのです。通信機として、この者は九次元ではありません。それは皆さま方もご存知でしょう。九次元として九次元の通信を受け入れるのであるのならば簡単かも知れないでも、彼女の霊格でありながら九次元、ないしはこの間とったオリオンというところの通信というのは、あなた方は知らないかも知れないけれども、九次元を越えていく宇宙界の者たちの通信というものをとっているということなのです。

それはもっと別の意味でひじょうにレベルの高い、次元の高いものであるということ。それをとるには、やはりわたくしが地上に降りて来て、彼女の補佐をしなくてはやはりできないということ。

なぜそのような特例なことをするかということ。それはさっきミカエルが言ったことなのです。失敗のできない計画であるということ。そのためにおいて、天上界から今このときに、弾丸のごとく霊言というものをあなた方に伝えて、認識をさせ、霊言集というものを出していっていただくということ。そのことをメインにおいているからこそ、このような器として、通信機としての、器としての補強のためにわたくしが今、彼女との縁を通して来ているのです。それをもっとわかっていただきたいと思います。

しかし思想的なりーダーシップをとられる方は、何度も申しますけれども、やはり時代の責任者というのがございます。そういう意味で、今チーフをやっておられるのが、エル・ランティであられるということ。だから高橋信次という方がひょこひょこ、ひょこひょこ出ては、あなた方のところでは、まあ、「出過ぎだ」と言われるかも知れませんけれど、実は高橋信次というかたちを通してエル・ランティという方が、一生懸命、自分の責任を遂行しようとして、頑張られているという姿でもあるのですよ。

エル・ランティといわれる方は、我々よりも遥かに霊格の越えた素晴らしい方なのです。あなた方から見たら、九次元はいっしょくたかも知れない。でも、九次元の中でも、やはりいろいろな格というのがあるのです。まあ、それはわたくしから言っていいのかわかりませんけれども、やはりエル・ランティといわれる方、マイトレーヤーと呼ばれる方は、別格の格をお持ちの方であるということ。そのことをわたくしは言い伝えておきます。

九次元十人の中にも、やはりいろいろな、まあ、いい意味でのランク付けがあり、我々はその意味においては、ひじょうに敬愛し、あの方がたの指導というものを受けているのです。九次元におられましても、十次元に行ける格をお持ちであっても、十次元に行かれず、人間たちをいとおしみ、九次元に残られて、人びとに対して人格神として多くの方がたを指導していきたいという、愛のために九次元に留っておられる方もおられるということです。

そういう方がだいたい、幹部候補、専務クラスと呼ばれている、その銀河系の中のメインの、銀河系宇宙会議というのがあるのですけれども、そのような銀河系宇宙会議、大宇宙、小宇宙、というのがあるのですが、そのような会議のときには、この太陽系を代表として出て行かれる方がおられるのです。

そのときに太陽系を代表して出て行かれる、宇宙会議におられるのはエル・ランティであるということ。我々のような者ではなく、エル・ランティ自らがお出になるということです。そのような会議があるということ。そのような取り決めがあるということ。
そういう意味においては、太陽系はエル・ランティという方を預かっているところであるのだということ。そのようなことをわたくしは今日、明かして参ります。

けっして、だからといって、自分たちが上だとか下だとかいうことではないのですよ。わたくしは自由奔放な人間ですから、逆にそのような会議に出るのは好きではありませんし、そのような上に行くのも嫌ですし、自分は自分として芸術の神としての指導霊として、この地球というものを美しいユートピアにしたのならば、ほかの星に行ってまた、この真善美の美を、美の使者として多くの神理というものを芸術の波動に乗せて、その星を彩っていくという使命の中に邁進していきたいと思っているのです。

ですからまあ、今回のような計画におきまして、わたくしやゼウス神のように要請された場所におりますとね、やはりまあ、少しあなた方のつらさを、苦しさを、緩和させるためにわたくしは来ているのです。そうです。だからそのような気持ちであなた方は受け入れていただければいいと思います。

7.難行苦行ではなく、ダンスのステップを踏むように

わたくしどもがこれから考えているビジョンというものは、これから地球を宇宙の一員として、大いなる神の子としての使命に目覚めさせて、宇宙連盟の一員としても恥ずかしくないような水準に魂を引き上げるということです。かつての、どの時代のああだ、こうだという、そのような鎖末的なことに、証のために、明け暮れていくようなことはあまり思っておりません。それだけは申し上げておきます。

マニアックなことの追求というのは、それにあまりに明け暮れて、この時代の霊人たちの確証を取るだけで、結果的に未来的なビジョンを打ち出すことができなくなったのが、彼であったということ。そのことを思いますと、もう十分、霊人たちの証明というものは彼がやっているはずなので、わたくしどもは彼ができなかったこと、その先のビジョンというものを出していきたいのです。

宇宙というのは広大無辺です。あなた方が考えているより大いなる価値観があり、大いなるビジョンがあるということ。神へ向かっての道は、我々、九次元に向かっての道なんてとんでもない。九次元、十次元、二十次元、三十次元という永遠なる我々の進化、発展の道ということはあるのです。

そのステップというものを、どうか難行苦行ではなくてね、この間言ったように、ダンスのステップを踏むように、踊るように、そして、軽いほろ酔いのような気持ちで、神の子として生まれた楽しさというものを全身に、感謝とともに、喜びをもって表現しながら、神の子をつくっていきましょう。それだけがこのレムリアの計画を救っていくのです。

切実なる覚悟-ー、さっき見ていたら、ミカエルが涙を流してあなた方に語っておりましたね。彼の気持ち、つらいのです。彼のひじょうに大事な愛する者たちが、次つぎと下に落ちているということ。そのことを思うと、わたくしはミカエルの気持ちは痛いほどわかるのですよ。でもね、だからこそ、そんな深刻なときだからこそ、あなた方にお願いしたいのです。

ワインを飲み、ゆとりを持って、生きていることを感謝して、そして、このレムリアの雰囲気というものを、打ち出すことによって多くの人びとを、傷ついた人びとを癒す、その懐に抱きしめていってあげたいと。

だからこそ、Eさんという方が旗ふり役として、天上界の人事として選ばれているのです。ねえ、Eさん、あなたはそんな難しいことはわからない。そんなに難しいこととか、あんまり細かいことはーー、おおざっぱな方なのです。でもね、底抜けに屈託ない、明るいところはわたしそっくりなんですよ。わたくしにそっくりな陽気さがあるんです。お気楽さがあるんです。

それが今ね、時代の要請の中で、あなたの個性が必要なんですよ。それがね、どうしても真剣すぎるお坊さんたちの中で、あなたが唯一の清涼剤となってね、レムリアの中でね、やはり雰囲気というものを、さっき言った緩和させていく、和ませていく、そういうムードメーカーとしてあなたは選ばれているのです。それとまっすぐな信仰心ね、情に厚い。情に深すぎるときもあるけどね、わたしたちから見てね。

でもね、情に深すぎて、でも、すぐさっぱりしているから見極められる人だし、ね。でもやはり、薄情な人間よりね、情に深くて多少、流されるくらいのほうがわたしは好きですよ、ね。薄情な人は好きじゃない。でも、やはり見極めていく認識力というもの、そういうものは大事ですよ、ね。でも、やっぱりあなたが今ここで代表になるということ、それはとても大事なことだと思います。

明るく、明るく、ムードを盛り上げて、「難行苦行ではないんだよ」と、「神の子の道を歩むことは、悟りの極地にいくことは、そんなにつらいことではないのだよ」と、「当たり前の人生の中で、当たり前の責任を取って、当たり前に表現して生きていくことが最も尊いのだよ」ということ。あなた方が言動の中で、行いの中で、この計画の中で表していっていただければよいのだと思います。

8.みんなで力を合わせて神の国をつくりましょう

あなた方にしてもね、永遠に生きているかのように思っておられるかも知れないけれどね。我々の世界から見たらね、ほんの一時なんですよ。十年生きられる、二十年生きられる、ひょっとしたら三十年生きられる方もおられるかも知れないけどね。でも、わたしたちから見たら、どんぐりの背比べなんです。すぐ我々の世界に帰って来られる。

そのときに胸を張って、喜びをもって、「神様の使徒として生きてきました」というふうに、感謝をして帰って来られるような、軽やかなステップを踏んで、天国への階段を昇っていらっしゃい。そのとき我々は拍手をもってあなた方を迎えることでしょう。そのときを待っています。そのときあなた方一人ひとりを抱きしめましょう。

そのためにあなた方は今あるのだと思って、命がけでやっていただきたいのです。その、必死でありながら、かつ、ゆとりがあるということ。それがレムリアの持つ最大の個性であるということ。今後の方針であるということ。それを一人ひとり認識していただけたらと思います。

みんな、一人ひとり長所、短所あります。その短所を責めることなく、長所をほめ合い、短所が浮き彫りになったときはね、みんなで「大いなる成長のときをいただいてありがとう」という気持ちをもって、互いに順番に成長しましょう。そして、天国の階段を昇ってください。

今日彼女(アマーリエ)に、ドレスに着替えてくるようにわたしは言いました。わたしが出るときは、彼女にはジーンズは許しません(笑)。「ドレスを着て出ていらっしゃい」と言いました。それは、やはりこのレムリアのムードというものを考えてのことなのです。

いいですか。ファッションというもの、おしゃれをするということ、身をつくろうということはね、けっして無駄なことではないのです。美の使者として、この地上を彩るという意味において、やはり自分の身なりとか周りのことを、美意識をもって接していくということ、生きていくということ。それをけっして軽んじないということ。それは大事なことであるとわたくしは思うのです。

あなた方は見えないかも知れないけど、わたくしは今日来るとき、ちゃんと盛装して出て来ているのですよ。それはわたくしの、あなた方に対する敬意でもあるということなのです。わたくしはあなた方の前に出て来るとき、常に盛装して出て来ています。そのことは、わたくしのあなた方に対する感謝でもあり、神に対する感謝でもあるということなのです。

ですから、新たなレムリアのムードをつくりましょう。
禁欲的な、いつも墨衣を着て、こういうことは、すべて、まあサタンの惑わしであるような、そんな灰色のね、そんなモノトーンの世界に生きていてはいけません。人生は七色、七色を越えたもっと素晴らしい神々の世界というのは、色彩に満ちているのです。美しい色彩に満ち、そして、さまざまな個性が、さまざまな素晴らしい色を放ち
そして、彩り、神の国というのをつくりあげているのです。

さあ、みんなで力を合わせて神の国をつくりましょう。
虹を架けましょう。
素晴らしい色合いを出して、おのれ自身の個性を光らせながら、神の国の灯台から光を発信しましょう。

ホームページを通して、今素晴らしいホームページになってきたと思います。皆さま方の協力の賜物だと思っております。一部の狼籍者はおいといて、素晴らしい虹色の灯台となるべく、あなた方の努力というのをわたくしは心から望みます。

そして、今まであなた方が、ホームページを通し、霊言集を通し、今回努力していただけたことを、心から感謝したいと思います。どうか我々の霊言というのを嫌がらずに、これからもますますとっていただいて、どうか本というものを連続して出していただけるような状況というのを、つくっていただきたいと思います。

日頃の感謝、我々の次元から見て、我々の世界から見て、あなた方の労に対する心からの感謝とねぎらいというもの、今日、わたくしはほかの者たちの気持ちを代表してお伝えしていきます。ではこれにて、今日は失礼させていただきます。

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