Project Eden

第5章 モーゼ:神の子の愛の光に火をともせ
1.地上に降りたメッセージを世界中の神の子たちに伝える時がきた
われはモーゼなり。
今日この場に、そなたたちの前で、これからの天上界の計画を告げることを私の使命とし、今日まいりました。
そなたたちもいろいろ気づいていると思うが、これからレムリアの流れ、使命の方針が変わっていくということ。
そのことを私はあなた方に伝えたいと思う。
今まで霊言をとり、今回の救世の計画の変更と、また第三の計画の本来のあり方というものを地上に示してきたわけだけど、これから、そのそなたたちが編集してくださった、その法というもの、我々のメッセージをもって世界中の神の子たちに伝えていく、そういう号令が下ったときであると理解していただきたいと思います。
かっての団体において、やはりそういう、「大伝道期」というようなことがあったと思うけれど。
それと方針としては、天上界においての方針としては同じものであるけれども、でもレムリアと、かっての団体とでは明らかに種類が違うということを、そなたたちは理解していただきたいと思う。
けっして無理やり会員を増やしたり、売り上げや収益を上げるために数々の物を売ったりとか、そういうことではなく、純粋に天上界からのメッセージというものを地球の人びとに伝えていくということをもって、レムリアの使命としていただきたいのである。
もう地球が今、最終的な土壇場の時にきているということ。
そのことを再三、我々は伝えてきた。
そして今、時を稼ぎながら、この第三の計画を発動し、そして、地球の神の子たちに対するメッセージというものを、そなたたちに編集していただきました。
一冊でも多く書籍を出し、そしてそれをもって日本の、世界の人びとに向かって発信していく。
そういう時がやってきたということを認識していただきたいのです。
この土壇場の時、人類はどちらの道を選択し、どのような計画、結果を生み出していくのか。
それがこれから問われる時代なのです。
我々のメッセージをただ一方的に受け入れて、地上の者たちが天上界のなすがままになる。
そのようなことが地上の、学びの場であるわけがなく、我々が伝えたメッセ―ジを、今度は地球の神の子たちがどのように受け入れて、どのように推し進めていくか。
それでこれからの、この地球の命運が変わってくるということ。
その時期がきたということなのです。
我々は精一杯、この者を使って、天上界からのメッセージを伝えてきました。
それをもって、あなた方がどのように多くの者たちに伝えてくださるか。
そしてそれを、書籍でも、すでに本屋さんに並んでいるのに、それをもって無視し続けるのか。
それとも、それを本来の学びの糧として、人類の宝として受け入れていく人類の姿があるのか。
そこが我々にとっても手出しのできぬ、地上の者たちの、ひとつの試練の場所であると思うのです。
2.どのような指導者に人類がついていくかでその星の運命が決まる
かつて、他の惑星においても、このような時期というのは平等にきているのです。
戦争という試練の前に、このような天上界からのメッセージというのが起きて、同じようなことを、我々のような救世主界というところから計画し、降ろしていく。
その時に、この最後、土壇場になったときに、どのような指導者が出るか。
そして、どのような指導者に地球人類がついていくかをもって、大体その星の命運というのが決まっている。
それは、まず最初に、ひとつの軍事的英雄が出るタイプ。
軍事力をもってひとつの神の正義、ジャスティスというものが多くの人びとに受け入れられて、そして、自分たちこそが神を代表するものであると、軍事力をもって人びとを支配していこうと思うタイプに人びとがついていこうとするか。
もうひとつは、神の子として、神の愛というものを説き続けることをもって人類に、その星の人びとに、神の子であるという霊的な目覚めというものを通して、地球の人びとに、心の精神的な意昧での愛の革命を起こさせることによって、その惑星というものを神の星にシフトアップしていこうとする指導者が出るか。
だいたいその二つのタイプが出てくるのです。
まがい物は、たくさんいつの時代でも出るけれども、大体その大きな二つの流れがあるのです。
そして、それはどちらもが天上界より降ろされている流れでもあるのです。
それに対して、その惑星の、地球なら地球の人類がどちらについていこうとするか、それを選び取るか、それによって結果が変わってくるということです。
どれだけ兵器を持ち、核を待ち、力でもって人の心を支配しようとしても、力でもって神の正義というものを代弁しようとしても、人の心はついてこないし、そういうもので地球が統一され、統合され、次の段階に行けるような、愛豊かな、調和と慈悲に満ちた愛の星にすることは不可能であるということ。
ひじょうに遠回りのように思うかもしれないけれども、神の子であるという共通理念に訴えかけて、神の子である愛の思いという、すべての者たちの心の中に眠っている、愛の思いというもの。
そこにしっかりと目覚めるように訴えかけ、その惑星の者たちを、神の子という共通認識、共通価値観のもとでまとめ上げていく。
そういう道を示せるのが本来の救世主といわれる者たちなのである。
その後者の場合に、エル・カンタラーはK会というものを使って、世界の地球人類をまとめ上げようと計画なさったわけである。
それをやるために救世主界から降りて来られたというのが現状なのです。
そして今、立ち消えかけたこの計画が、第三の計画によって引き継がれたということから、あなた方がどちらの立場によって世界人類を救っていかなくてはいかないかということは、おのずとわかるであろう。
そなたたちが九次元の代弁者となり、エル・カンタラーがやりたかったことを、夢を、意志を継いでいくということは、どのようなことをしなくてはいけないか。
そして、それを提示することによって、その結果における責任はそなたたちにはないということ。
そなたたちが精一杯頑張られたのであるのならば、それを受け入れる、受け入れられないということは、世界の人びとがどのような精神状態で、何をもって最大の価値観として、最終的に選び取ったかということによって、地球の今後の命運というのは決まるということなのです。
3.地球時代から宇宙時代へと変わっていくターニングポイント
過去の歴史において、私がユダヤ教と呼ばれる源流の元になりました。
イスラエルの民をエジプトの地から導き出し、カナンの地へ連れて行った。
それがユダヤ教というものの流れの源流になっているのです。
それから、イエス・キリスト、インマヌエルがキリスト教の源流というのをつくりました。
マホメットがいるところで、やはりイスラム教というものができてきた。
それはそれでひとつの宗教の、ローカルな宗教の中で、多くの価値観の中で、民族的な背景、歴史的な背景の中で、ひとつの必然の流れの中で説かれた法なのです。
でも、わが律法は今日にはもう通用せず。
そして、そのような個々に分かれた価値観、個々に分かれた民族的背景、正義というものがバラバラに共存しているのが現在の地球なのです。
それがバラバラにあるがゆえに、その自分たちの正義が、小さな正義がたくさん存在することにより、自分たちの信仰感、正義というものを主張するがゆえに戦争が起きているのです。
それを一度、どんな民族であれ、どんな宗教であれ、大きなひとつの統一された価値観により、共通の認識された価値観により、地球人類はまとめ上げなくては、地球というものがひとつの惑星として、地球人類としてひとつになれないということなのです。
そのためにはキーワードは「神の子である」ということ。
神の子であるということは、愛の魂をもった、愛をたたえた神の子たちである。
そういう自分であるということ。
永遠の転生をしているさまざまな民族を、さまざまな宗教の中を、永遠の転生輪廻の中で生き抜いてきた、そういう自分たちであるということをほんとうに理解したのならば、つまらぬ戦争などしなくても、ほんとうに人類が理解したときには、宗教間の争いというのは、ばかばかしくなって消えていくのです。
その共通認識をもって統合しなくては、地球人類がひとつになるということは不可能なのです。
彼らには彼らなりの言い分があるということです。
歴史的な背景、宗教的な背景があるのです。
でも、もうそのような小さな価値観の中に、人類が閉じ込められていがみ合う時代は終わりを告げるということを、以前から私たちは伝えてきているはずなのです。
それをもっと前面に出さなくてはなりません。
そしてその、心の闇の中にある、小さな、小さな正義の中の争いによって、人類は最終的に宗教戦争によって、自分たちが造り出した科学兵器によって滅びていかんとしているのです。
それを自分たちがやった因果の応報であると、そのように受け取るのか、それともそこから抜け出て、天上界から明かされた、本来の神の子であるという愛のメッセージの中で、自らの中に眠る愛というものに目覚めて、愛のエネルギーを発動して宇宙時代を築く、地球時代から宇宙時代へと変わっていく。
そういう姿に成長し、発展し、生まれ変わっていくことができるのか。
それが今問われている、大事な、大事なターニングポイントであるということなのです。
そなたたちはそれをもっと伝えなくてはいけない。
4.神の愛を分かち合うための活動をしていただきたい
本来であるのならば、九次元の者が降りていって、前面に立って、語って、世界中を行脚しながら、「救世主ここに立てり」ということを地球規模の中でアピールしなくてはいけないときであるのです。
それをやるはずであったということなのです。
でもそれができぬ今、今は逆にこういうネット社会というのがあるから、書籍を通して伝道していただきたいと思います。
自分たちだけが霊言を聴いて喜び、自分たちだけがその中でマニアのようになっているのではなくて、神から与えられた使命、そして神の、天上界からの与えられたこのメッセージをもって、地球の神の子たちに知らしめるために、神の愛を分かち合うために、そなたたちは活動していただきたいと思います。
そなたたちも、もう、一度なり、二度なりの挫折を繰り返し、宗教団体で嫌な思いをしてきている方がたが多いと思う。
だから、伝道というとアレルギーになるという、そういう方がいてもしょうがないと思うのです。
それはよくわかる。
でも、だからこそ、もうあとがない、そなたたちの第三の計画であるということをどうか理解していただきたいと思うのです。
やるべきことはキリスト教の時代でも同じであった。
インマヌエルのたった三年間の、三年半の活動が、そのあと世界中を席けんし、世界中の人類を延々と救い続けたのは、その過程に、死ぬ気で命を張って伝えてくれた宣教師たちの姿が、キリスト教の宣教師や修道女たちの姿があればこそ、命がけの活動があればこそ、インマヌエルの言葉が世界中に伝わったのです。
それをもって人類は救われ続けているのが現状であると思うのです。
それを思うのならば、法というものは降りたあと、やはり多くの方がたのもとに命がけになって伝えねばなりません。
あなた方の中においても、かつて十字架につけられても、辺境の地に流れ着いてでも、命がけで言葉もわからぬ国にバイブルひとつを持ち、愛の言葉を、キリストの言葉を伝えに頑張られた方がたがおられるのです。
そのときのことを考えるのならば、命をかけ、ほんとうに生命の危機にさらされながらでも、その伝道ということをやってこられた。
それから見たら、あなた方の時代は、たとえ少々のことを言っても、殺されたり、焼き討ちにあったりとか、そういうこともない時代なのです。
そういう時代から見たら、とても恵まれている時代であるということです。
そのことを思い、あなたたちがこれから世界伝道に向けて、神の言葉を、我々のメッセージを伝えていく、あらゆる手だてを発動していただきたいと思います。
5.世界を愛のネットワークでつないでほしい
この間から言っておりますが、英訳をするということは大変なことであり、あなた方の活動が、まず日本国内に広がっていくうちに、必ずやそういう協力者も出てくるし、相手によってだめであるならば、やはり英訳ということの手段を考えながら書籍化していくということも必要でしょう。
今はネット社会というものが、この本来の世界中のネッワークをつなぐために、このネットワーク社会というものが、科学部門の方からの発達、進歩の中にプロジェクトとして組み込まれ、この救世の事業のために、貢献するために発達してきたのが、このインターネット社会の発展でもあるということなのです。
ですから、あなたたちは書籍と同時に、インターネットも使って、ネットで世界中を、愛のネットワークでつないでいくような、そのような思いで、どうかこれから仕事をしていただきたいと思うのです。
我々が一から十まで全部指示しないと思われるかもしれない。
でも、地上にいる方がたに伝えたいのは、「すべて答えを与えられるわけではない」ということを、「もっともっと自立してものを考える力を養っていただきたい」ということなのです。
もし、すべて答えが与えられるのが霊言であり、天上界の指導であるとするならば、なぜORは間違っていたのか。なぜ高橋信次の過去世民定は間違っていたのか。
それは、すべて答えを与えられず、彼らであっても必死に、地上において苦しみながらも答えを求める、答えを要求されるというプロセスがあったということを指しているのでです。
あなた方も一から全部、十まで全部、答えを与えられないと不満気に思うかもしれない。
何でも天上界に聞けばいいと思うかもしれない。
大事な核心的なところは伝えるけれども、それを理解し、判断し、地上の者たちの努力と工夫により、世界中の方がたにこのメッセージを伝えていく。
神の使徒のメンバーとしての仕事をなしていく、貢献をしていくという、そのことをそなたたちの使命としていただき、厳しく厳しく自分の中で、これから頑張っていただきたいと思うのです。
人類の中において、我らの言葉をこう簡単に、しばしば聴くということは、これからの転生の中においても、そなたたちはそうないと思います。
かって、なかったのです。かって、このような公開された場所で、我々は地上の者たちにメッセージを送ったことはなかったということです。
それを聴けているそなたたちが、いかに魂の中に深い思い出として刻み込まれるか。
それであるならば、そのあと死に物狂いで、その神の計画のために自分も頑張ったのだという、充足した思いを記憶に持って、記念として持てるような、そのような地上生命の活動の仕方というものをそなたたちに期待したいと思うのです。
6.大改革をしていく若い世代に引き継ぐのがレムリアの仕事
歴史の中において、明治維新を行った坂本龍馬たちのように、時代の端境期というのがあります。
今はまさに、今までの古い体質から、新たな地球規模から、地球規模の宇宙時代への幕開けという大きな流れが、ふたつの流れがぶつかり合っている時代なのです。
今までの従来の体質、物質文明中心できた流れから、これからは地球人類がみな神の子であるという、その自覚に基づいた、宇宙を見据えた上での地球、神の子の一体化した共通価値観の中における、新たな霊文明の発展というものを通した、神の子たちの生まれ変わっていく姿。
それはもう一度、「自分たちが神の子であった」と、「愛のエネルギーの一部であった」と、「最初からそうであったのだ」と再認識し、気づいていく。
そういう生まれ変わっていく、再生していく、ルネッサンスの、その時を迎えるということ。
その時に血は流れることはない。
戦争、力によって支配し、軍事兵器をもってこのような革命が起きるのではない。
あくまでも心の中における精神革命であるということ。
それを人類が選び取ることができるか。
その価値観を持つことができるか。
それが人類に課せられた最終的な課題でもあるのです。
それをエル・カンタラーが指し示し切った上で人類が失敗したのならば、違うほうを選び取ったのであるのならば、我々も第三の計画を発動しなかったのです。
指し示し切ることがなく、人類に対して、その課題を提示することなく、途中で挫折してしまったから、我々は、あなた方に第三の計画を発動し、人類にこのメッセージを、この価値観を提示するという行動に出たのです。
でも、それを力の限りに伝えていく、パワフルに伝えていくということは、大切な、大切な仕事であります。
そして、あなた方の頑張り方次第によっては、大きな地球規模の、ほんとうに地球人類の神の子たちが根底からみんなで、草の根から手を取り合って、一致団結してこの地球を守るために、地球時代の将来をつくっていくために、生まれ変わり立ち向かっていく、感動的な劇的な瞬間を迎える、そういう可能性もあるということなのです。
戦争により、力により支配をしていく。
それが神の、神の代弁者としての正義ある姿であると、もし言うのであるのならば、その答えはどうなのかということを人類に問うているわけです。
力で支配するということ。
そのようなことは、何も内側から満足した結果というものは導き出せないということを、あなた方はもっと認め、学ばなくてはなりません。
これから多くのことが起きるでしょう。
でも、命をかけて大改革をしていくのは、あなた方の次の世代の、若い子たちの世代にあります。
その彼らに引き継ぐのがレムリアの仕事でもあります。
本来曲がってしまった法を整え、そして我々のメッセージ、そして第三の、第三のというか今回の救世の大計画というものの全容、概要というものを地上の者たちに提示し、伝え、そして新たな価値観をしっかりと、正しい価値観を伝えていく。
伝道していく。
そのごちそうを地球の神の子たちに示したらば、あとは地球人類の者たちがどちらを選び取っていこうとするか、その先駆者として、あなた方がその模範を見せていかなくてはなりません
このように、神のメッセージを聴いた者たちが、どのように感動的な神の使者としての生き方ができるか。
それを多くの人びとは見ていると思います。
あなた方の生きざまを見て、多くの者たちは、ここにこそ神があり、神の使者ここにありと感動するような、そのような生きざまをしていただきたいのです。
それはけっして、もうお坊さんや、修道士や、修道女であるということではなくて、あなた方が普通の当たり前の地球人として、バランスある生活をしながら、そこにおいても普通の生活をしながら、そこに神の子としての、神の使者として、普通の当たり前の姿の中に、神性というのを宿した愛豊かな生き方ができるということ。
あなた方のそれぞれの個性を通して、生きざまとして見せていただく。
その姿に感動して仲間が集まってくるということです。
これから、宗教団体といったら嫌かもしれないけれども、世界に対する大伝道期というものがきます。
それは無理に会員を増やしたり、無理な勧誘を行っていくのではなくて、多くの人びとに愛の言葉伝えていく。
ただただ無心に、無私な思いで伝えていく。
そのチャンスを少しでも多くの方々へ提供していくという、その姿なのです。
それでお金を儲けようとするのではなく、そして、多くの人に対して少しでも、この我々の、天上界の言葉というのを聞いていただくことは、自分の喜びとしてお伝えしていくような、その姿があれば、数で縛られるわけではなく、多くの団体がやっているように、信者数や建物や、ビルやそういうものを維持するために金をかき集めるというわけでもなければ、純粋に、純粋に神の言葉を伝えていくということに喜びを持てるはずなのです。
その姿をもって多くの方がたが集まってくるということ。
そういう段階がくるということです。
レムリア・ルネッサンスは組織を持ちません。
そして支部とか、そういうものもいらないけれども、みんなで助け合う、ネットワークのようなものをつくっていただきたいと思います。
大阪地区なら大阪地区、東京地区なら東京地区、それぞれの、自分たちの住まう静岡とか、あと九州とか、北海道とか
今はまだ駆けつけてはいない方がたも、話をすればそういう方がたが来られると思います。
ですから、霊言をとる、こういう内輪の会以外にも、今ネットの向こうで興味を持っている方がたをフランクに受け入れていくような、そういう集まりをしていただけたらいいかなと思います。
その上で、その地区の方がたにも手伝っていただきながら、さっきの図書館での伝道も、あなた方の数だけではなく、日本中にいる、普段霊言を聴く場には来られないけれども、自分の地区で何とかお手伝いをしたいと思っている方がたに対して、そういう方がたの手も借りて広げていくということ。
そのうちに、一人でも多くの方がたの縁を通していく中に、多くの方がたと出会っていくことができるのではないかと、そして、多くの神の子たちの手に、あなた方のメッセージが伝わっていくのではないかなと、そのような期待を持っているのです。
7.あなたたちの情熱が眠っている神の子たちの心に火をつける
これからの伝道期の中において、たじろがず、どうか勇気を持って進んでいただきたい。
わが言葉は、常に神の正義を代弁するものであって、本来の正義というものは、神のお心がどこにあるかということを見極めてこそ、正義というものが価値を持つということ。
今までの、民族的な、歴史的な、小さな、小さな価値観に縛られた正義というもののぶつかり合いの中で不幸を呼んでいく、悲しみや苦しみを生んでいく地球時代はもう終わりを告げて、ひとつの大きな人間神の子としての共通認識の中で、みんなが同じ価値観を持って喜び、愛し合うことができる。
そういう時代を、そういう未来をつくっていきたいのです。
そのために、あなたたちに、次の世代の者たちが、今度は国境や、国や、組織や、さまざまな社会機構の大変革を行う者たちが出てくるでしょう。
その者たちはほんとうに捨て身で出てきているのです。
その者たちにバトンを渡すために、ぜひ、さきほどから言っている、この修正された新たな方針というものを伝えていく。
そして、そのために、彼らが動き易くするために、世論というものを、このような価値観の中の問いかけとして動かしていけるような、そこまでがあなた方の使命であるということなのです。
霊言を降ろす場所を魔より護り、ここにおいて我々の言葉を収録し、書籍、CD、小冊子というものを通して、そして、さまざまな集まりというものをする中で、本物はやはり多くの人びとを共感させていき、そして、ひとつ火がつけば社会の中のひとつの現象になるのです。
確かに一度、二度と失敗をしているので、日本の人たちにおいてもひじょうに用心深くなっているというのはあるでしょう。
でも本物は、必ず最後は多くの人びとの心に残り、そして、求められていくということを私は信じて疑わない。
常に神の子たちというものの愛の心というのは、どんな人びとの心の中にも眠っているものなのです。
そして、もうひとつ言いたいのが、どんな人であれ、どんな世俗にまみれ、物質社会の中に翻弄されている者であれ、自らが自らの人生というものを振り返っていったとき、自分の人生をかけて、命をかけて、何か世の中を動かしていく、歴史の中に名をとどめるような、何か大きなもののために関与できる、そういう人生でありたい、そういう力を発揮する人生になりたいと、どこかでみんな思っているはずなのです。
その心というもの、そこに火をつけるのは、あなたたちの情熱であるのです。
情熱がなければ、やる気がなかったのなら、腹が決まっていなかったのならば、そういう方たちの心に情熱の炎を点火することはできないのです。
その情熱に火を点火していくためにも、あなたたちの心に決然とした意志というものを持って、この光の行進を始めていただきたいのです。
神より与えられた光というものがあります。
天上界より覚悟を決めた、光の愛の戦士たちの中において、あなた方が行進していくのならば、あなた方が死ぬ気で多くの人びとに愛のメッセンジャーとして、かつての宣教師たちのように命を張っていく気持ちになったのならば、天上界の光はますますあなた方という地上の体を通して、地上をあまねく光り照らし出すのです。
そうすると、地上に多くの光のパイプが降り、あなた方の体を通して、地上に光というものが満ち満ちていくのです。
それは多くの方がたに愛のメッセージを伝えんと、命がけで光の使者として生きんとして、多くの方がたに聞かれた思いで接していこうとしたとき、あなた方の肉体を通して、天上界から光のパイプが地上に放出されていくということです。
天上界から降りてきた光が、あなた方の体から、今度は横の広がりとして地上を照らしていくのです。
それは多くの方、自分だけがわかればいい、自分だけが悟ればいいという思いではなくて、天上界のメッセージを、神の愛のエネルギーを、少しでも地上にいる、この三次元の仲間たちにお伝えし、ともにわかり合い、喜び合い、そしてこの地上をみんなで手をつないで愛の星にしていこうという、そのほんとうの思いがあったときに、その天上界からの、上から降りてくる光は、あなた方の体を通し、心を通し、この地上に今度は横の動きとして放出されながら、地球全体を愛のエネルギーで包んでいくのです。
神のエネルギーで包んでいくのです。
そういう段階がある意味で伝道と呼ばれているときです。
伝道なくして広がった世界宗教は今までもなかったでしょう。
であるのならば、伝道という言葉をアレルギーのように思うのではなくて、無理な勧誘というような、そのような邪道なやり方はやめて、ほんとうに多くの神の子たちに、仲問たちに感動を与える、そういうメッセージというものを伝えていける、そういう自分たちであろうと、それが今回の、今世の自分の残された使命であると、そのように思われるぐらいの気持ちで伝えてください。
8.仕事や家庭の中であなた方の存在を光り輝かしていただきたい
そして、それと同時に、あなた方が今地上で行っておられる職業、その仕事、家庭、そのような場所を通して、あなた方の存在というものをレムリアの教えのように光り輝かしていただきたい。
それを発信していくことにより、社会にますます根づいたものとなります。
今は多くの古い流れと新しい流れ、新たな価値観と古い価値観がぶつかり合って、新たな時代の方に発展していくか、それとも古いものの中に逆流現象のように戻っていってしまうか、それは今はわからない。
でも、物質的な価値観だけが、目に見えない世界などは信じないとつっぱね続け、物質的な価値観だけを力により求めて、他の国をりょうがしてでも支配していこうと思う時代がピークまでいったのなら、必ずや国対国との関係の中において、核兵器というものを使う時代というのがきてしまい、地球人類が滅びてしまうという過程になるでしょう。
でも、それを選び取っていくのは地球人類であるということ。
もう結果が見えているのに、「そのようなことになってたまるか」というぐらいの気持ちを持って、あなた方は地球の同胞である仲問たちに伝えなくてはいけません。
「そのようなことをするために、我々は長い間、地球において、この地上において修行してきたのではないのである」と。
「この神の愛の言葉というものをもち、自らの心の中に神の子として眠る、愛のエネルギーにもう一度目覚め、自らの神の子の誇りをかけてその光に、光を点火せよ」と。
そして、自ら神の子であるという、神の光に自らの心を点火したのならば、高々とその心を掲げて、多くの人びとに示しなさい。
恥ずかしがることなく、恐れることなく、堂々と「神の子である」と、「神はおられる」と、そして、「私は神の子であり、そして、愛のエネルギーの一部である」ということを高らかに言えばいいのです。
その姿をもって、多くの方がたは感動をもって受け取られるはずなのです。
そのようなことをちゅうちょしているうちに、地球は滅亡、崩壊の時を迎えてしまうかもしれない。
だから一刻の猶予もなく、そこに気づけたのならば、これだけの書籍ができてきたのだから、それをもって多くの人びとにお伝えしていただきたいのです。
あなた方の中において、今はまだためらうことが多いかもしれないけれども、ひとつの流れとなったのならば、ブームとなるのはあっという間なのです。
9.多くの魂が神理の言葉に飢え、物質文明の中で疲れ切っている
多くの人々は今、物質文明の中において疲れ切っているのです。
その中において愛のエネルギーというもの、愛すること、愛するということはどういうことかというと、信じ切ることにあるのです。
愛すること、信じることができない今の社会の中で、地上生活の中において、ほんとうの意昧での安らぎというものを求めている。
そういう地球人の姿があるのです。
今、魂は飢えているのです。
本来はみんな神の子であるのです。
ですから、愛の神理の言葉に飢えているし、自分たちが何者か、気づかなくてはいけないという強迫観念のような思いの中で、みなが右往左往しているのが現実なのです。
言えばわかるのです。
みんな魂が求めているのです。
自分はこんなことをするために、この地上に生まれてきたはずではないのだと。
そういうことがわかっている。
それゆえに、その価値観を見いだせない者たちが、今仕事にもつかず、うつろな日々を過ごしている。
それは、小さい時からちゃんとした、魂が躍動するような価値観の中で子どもたちを育ててこなかったというその結果が、こういう無気力な人種をつくっているのであると、ニートのような連中をつくっているのであるということ。
それは社会自体が、教育自体が根底から問われる結果でもあるのです。
多くの人びとが、これだけ多くの人たちが働かなくなっていく、引きこもっていく現状の中において、どこか健全でない社会の価値観というものがあるということ。
やる気がないということ。
やる気を起こさせる道、社会ではないということ。
そこに多くの人びとが気づかなくてはいけません。
子どもたちに対しても、ほんとうの誇りある夢というものを持たせていく、それが大事であると思うのです。
どんな人びと、一人ひとりにおいても、一人として生まれて来なくてもよかった者はなく、みな素晴らしい才能と個性を与えられてこの地上に生まれてきます。
そのことを言ってあげるだけでも、多くの子どもたちは未来に対する希望をつなげるし、自らの魂に対する誇りを感ずることができるのです。
あなた方においてもそうです。
多くの方がたにおいて、コンプレックスというのはあるでしょう。
優越感もあるのならば、やはりコンプレックスというもののカルマの中で、動けなくなっている方がたも多いように思います。
でもコンプレックスがあるからこそ、多くの人びとの良さもわかるし、自らの個性の違いというものも認識できるということなのです。
コンプレックスと思うのではなく、魂の個性の違いというものとして、しっかりとあなた方は受け止め、多くの人びとに対して、「違うから素敵なのだ」と、「違うからこそ、神はつくられた。私たちに対する意義があるのだ」ということを伝えながら、青年や、若い子どもたちに対して将来に対する自信が持てるような、そういう積極的な働きかけをしなくては、国は、地球は滅びてしまうのです。
けっして核兵器だけで滅びるのではなくて、そこにいる人類が、間違った価値観で無気力化し、社会に出て働かず、そして、子どもも生まれない社会になっていったのなら、遅かれ早かれ地球は滅びてしまうということなのです。
そのことをもって、どうかあなた方が素晴らしい神の子として、地球人として、生き生きと生きる姿というものを、あちこちで見せていただきたいと思うのです。
その姿を見て、多くの方がたは新たな価値観を求めているので、そこに合流してくるように思います。
今までは霊言をとることを優先していたので、あなた方の中においてはあまり広げていこうという認識もなかったし、またこれで新たな流れがきたら、「こんなはずではなかった」という方がたも出てくるかもしれないけれども、ついて来られないならばついて来られないでかまわぬ。
これからが本来のあなたの使命でもあるということ。
そしてこれは、大救世主がやるべき仕事の内容であったということを、逆に負担に思うのではなく、誇りに思って、そなたたちは力を合わせてやっていきなさい。
それこそが、自らの命をかけて明治維新をつくった坂本竜馬たちのように、そなたたちは命がけになって、この地球のターニングポイントにおける、このルネッサンスの運動の成功のために頑張っていただきたいと思うのです。
自分の人生を大切にし、自らの魂の個性に対して誇りを持ちながら、でも無私なる思いにおいて、欲得ではなくて、愛を命がけにおいて、神の、地球の神の子たちに伝えていかんとする、その決死なる、必死なる思い、それがあなた方のエネルギーを格段に、数倍光らせるものであり、そして、あなた方のエネルギーというものを増幅する力になるのです。
捨て身になって、無私なる思いで神の使者として生きようとする者たちに、天上界からの光が降りてこないわけはないのです。
何倍にもなって、あなた方の肉体をめがけて天上界から降りてくるのです。
その天上界から降りてきた何倍もの光を、地上に生まれていった肉体が、あなた方の体を通してこの地上の三次元を照らし続けていくという、そのことに救世運動の意味があるということなのです。
それには「不退転の境地」と、我はいつも申していたはずなのですけども、不退転の境地の中において、そなたたちが心から覚悟を決めて、「伝えていこう」、「この運動で地球を救っていこう」と、「分かち合っていこう」という愛の覚悟ができたときに、この地上には多くの多くの天上界からの光が降りてくるのです。
10.心がけ次第で三次元は天国にも地獄にもなる
今この三次元というところは、地獄界からのエネルギーをあまりに多く引き過ぎているのです。
地獄界のエネルギーというものが、ひじょうに多くのさばっているということです。
地上の者たちの欲得、狂色、そのような思い。
そのような思いを引いて地獄界が動いているのが事実なのです。
でもそれだけではなくて、地上の者たちもひじょうに地獄のエネルギーに影響されているということが事実なのです。
ですから、神の子であるはずなのに、地獄の悪魔の子のような生き方をしてしまっている者たちが多く、その者たちがいるがゆえに、地獄界からのエネルギーをたくさん引くことによって、地上のあちこちに、その者を中心として、小さな「ミニ地獄」のようなものが展開しているということなのです。
この地上に肉体を持つということはそういうことなのです。
この地上に、「ミニ天国」をあちこちに、「ミニ天上界」を実現することも、「ミニ地獄」をこの三次元に展開することも、この地上に生まれた者たちの生き様、心がけによるということなのです。
どちらの世界から多くのものをこの三次元にひっぱって展開するか。
それは、この三次元に肉体を待った者たちの力でなくてはできないということ。
それこそが三次元に生まれた本来の意味でもあるということなのです。
今、人びとは、「目に見えない世界などはない」と言って、自己中心的な、欲というものに追われた自己満足的な生活の中で、人びとは欲望に目がくらんで生きています。
その姿が地獄界をますます強大にし、この三次元自体を地獄界を映し出すような世界にしてしまっているということなのです。
そうではなくて、ほんとうに神の子であるという認識のもとに、地上で神の使者として生き仏のような気持ちで、この地上を一生懸命生きたのならば、その方のまわりには「ミニ天上界」が展開するということなのです。
その方が、職業や、家庭や、友人関係や、多くの方がたと接していったとき、その相手とのコミュニケーションを通してまた天上界の空間が広がっていく。
そういう関係を通して光というものが伝道していくということを表しているのです。
それぐらい伝道ということは大事なことなのです。
地上において天上界を展開するために、我々の言葉をもって、我々の言葉を生きざまとして、不退転の境地の中において、この三次元にお伝えしていくという、分かち合っていくという無私なる思いで、どうか次の計画にあなた方の力を貸していただきたいと、私は今日それをお願いするためにまいりました。
ミカエルのほうから伝える内容かもしれないけれども、でも私のほうから今回はお伝えしたい。
救世の情熱ということを、以前仏陀が唱えておりました。
救世の獅子吼、救世の情熱ということをもって、彼もまたやりたかったのです。
しかし、これから先、吼えていくのは彼ではなく、あなた方であるということ。
そして、これは間違いなく同じ形であるということは、これは天上界の大計画が、同じものが今継承され、展開されようとしているということなのです。
組織やそれぞれの形は変わったかもしれないけれども、天上界において、ありとあらゆる霊言を地上においてとり、そして書籍化し、銃弾のごとく書籍や講演会を展開していく中において、CDを出していく中において、多くの方に天上界のメッセージを、波動をお伝えしていく。
それができたのならば、今度は大伝道期に入り、日本中の、そして世界に向けてこのメッセージをお伝えしていき、多くの地球人類の認識を変えていく。
そのために今回の計画はあり、そしてそのために、仏陀自らが地上に下生されたということなのです。
そこまでなくては、彼、自らが下生するということ、その前座として、まあ、露払いとしてエル・ランティが出るなどということはあり得なかったのです。
あなた方の思いの中で、「かつての宣教師と同じことをすればいいんだろう」、というような思いでは、地球規模的なことは救えないということ。
今回の計画というものが、大救世主が、天上界が一丸となって計画をし、必死な呼びかけをしてきたということを思うと、今回の計画の特殊性というもの、重大性というものを理解していただけるのではないかと思います。
あなた方の中において、これから仏陀のできなかった部分、自らの命を、心血を注いで仏陀のために、仏陀のなせなかったことをやって、弟子の本懐を遂げていくと、そのぐらいの気持ちになり、あなた方は仕事をしていただきたいと思います。
11.愛のエネルギーの仲間であるという共通認識を持つ
これからくる時代の中において、数々の多様な価値観、多様な民族、そして、多様な歴史的背景を待った方がたもやって来ることでしょう。
その時、常に忘れてはならないのは、みんな地球の神の子であり、同じ愛を分かち合った、本来みんな同じ本源から、元からつくられた、一体化した愛のエネルギーの仲間たちであるということ。
その共通認識をしっかりと持つことによって、そのコンセプトがあることによって、あらゆる国境、あらゆる民族、あらゆる宗教の壁を乗り越えていくことができるということなのです。
それがなくては、また過去と同じところに戻ってしまうということ。
そのことをわたくしは今日あなた方にしっかりと伝えていきたいと思います。
その共通認識だけが地球をまとめ上げていくのです。
統合していくのです。
地球自体をひとつの惑星として統合していくことができなければ、いつまでたっても領土問題などでいがみ合うのです。
今日本でも竹島問題とかやっているのを見ていましたけれども、あんな島ひとつが自分の国のものである、国のものではない、それで海まで自分たちの領海権をつくっていがみ合っていく。
そのようなものでますます意地を張り合っていく。
そのようなあさましい争いは、もう終わりを告げていかなくてはなりません。
日常的な物質のみに、物質があればあるだけ国が豊かであるという思いの中において、過剰な物質を得んがために、そのような醜いぶつかり合いが出てくるのです。
経済制度においても、社会制度においても、日常的なものに関しては、お互いに分かち合っていくという、愛の共通理念に満たされたとき、地球はそんなにがむしゃらに働かなくても、多くの者たちを養うだけのものはもう携えているということに気づかねばなりません。
いつまでたっても物質の価値観の中だけで、物質をもっともっと多く抱えていなければ、所有しなくては不安であるから、その不安感がますます人びとの幸福感を奪いながらでも仕事をさせ、あさましく、他の者たちといがみ合いながらでも、少しでも多くのものを、物質をわが手中に収めようとして、さまざまな不幸なあつれきをつくっているのです。
ですから、物質的なものはすでに、もう神より与えられているとイエス・キリストが言ったように、野の白百合のように、空を飛ぶ小鳥のように、そのように、あまり明日あさってのことを思い煩わなくても、しっかり神は養ってくださるという、そのような思いの中で、自分たちの仲間たちに、今飢えている者たちに回していくぐらいの、そのような思いで食べ物や物を分け与えていくのならば、その何倍にもなってその方の元に戻ってくるということ。
それが法則であるということを人類はしっかりと学んだのならば、不必要に多くの物を貯め込んだりしなくなることでしょう。
人びとは、そういう愛の根本原理における、大いなる制度の、社会秩序の変化というものを通して変わっていくことでしょう。
でもその根底にあるのは、まず精神的な革命、精神的な価値観の転換というものを通さなくては、社会制度の変革、秩序の変革にはならないということなのです。
あなた方はまず精神面の部分で、神の子であるということ。
そして人間がみんな神の子であり、永遠の転生をしている、永遠の命があるという、そしてだから、亡くなった者たちも天上界にいて、またいつか会えるのだということを、死というものは基本的には単に世界の生まれ変わり、お引越しのようなものであるということをほんとうにわかったのならば、多くの苦しみ、悲しみから立ち上がれない、恨みの中に埋もれている方がたの人生というものの不幸を開放することができるのです。
そこをまず伝えることです。
12.許し合い、分かち合いの人生を歩み出せばカルマから解放される
生老病死から抜け出していくということ。
そして、いかなる事故に遭い、いかなるアクシデントに遭って、不幸な災いを招き、愛する家族の命を奪われたとしても、それを恨んだら終わりであるということ。
愛というものは許し合っていくということ。
そして、今までが因果の法という、カルマの法則が恐ろしいほど正確に実現されてしまうような社会であったのです。
でも、人びとがほんとうに自らが神の子であると、愛のエネルギーの一部であるということをほんとうに気づいて、分かち合いの人生を歩み出したのならば、人びとはカルマの、因果の法から解放されるのです。
そういうふうになっていかなくてはいけないのです。
わからないからこそ、今あなた方が気づかないような場合において、多くのカルマの法則というものが実現されてしまっているということです。
カルマというのは、多くの人びとにとってみたら宿命のように思うかもしれないけれども、これは、カルマの法則は原因結果の理論、あなた方が学んでいる原因結果の、因果応報の世界の法則の表れでしかないのです。
ですから、それがいいとか悪いとかではなく、法則ですから、そのような原因があれば、そのような因果という結果を招いてしまうということ。
その結果を今摘み取っているとしても、そこが悪いとか、そういう問題ではなくて、その自分でしてしまった失敗は、自分なりに精一杯、果たしていけば、それはそれでまた美しい人生があり、学びがあるということを学ばなくてはいけません。
でも、そこでもし結果を、一生懸命、悲しみやなんかを通して学んだとしても、そこでまた人を恨んでしまったのなら、また新たなカルマを生み出してしまうということです。
許すということです。
魂が永遠であるということを、ほんとうに理解していないから、一瞬の事件に巻き込まれて、愛する者をなくしたときに、必要以上に悲しみ、苦しみすぎてしまうのです。
苦しいのです、わかります。
悲しいのです、わかります。
でも、何にも悪いことをしないで亡くなった者たちは、間違いなく百パーセント我々の天上界に来るということです。
であるのならば、魂的に見たのならば、早く地上の肉体の牢獄から解放され、我々の世界に来て、幸せに笑って、子どもたちでも蝶々を追いかけ、花を摘んでいるかもしれない。
幸せでいるかもしれない。
でもその時に、必要以上に親が悲しみ、苦しみすぎて、天上界に帰っていこうとする子どもたちを引き留め、そこで自縛霊のように、水子霊のようにしてしまったりすると、その子の魂自体も苦しんでしまうということ。
そうすると、不慮の事故に巻き込まれたとしても、それこそ不幸の種を親子ともに結んでしまって、そのような結果をまた生み出してしまう。
そのような悲しいカルマの連鎖になってしまうかもしれないということ。
それは基本的には、神の子であるということをちゃんと理解できない、ある意味でいうと無知さから出ているのです。
それは、人類は今まで、無知というのも過酷ですけれども、知らされていなかった。
まあ、仏陀やなんかの教えにおいても知らされてはいたのですけども、ほんとうの意味で神の子として永遠の命があるということは、転生輪廻をしていて、生き通しの命であるということを、ほんとうの意味で知らないから、表面に出てきた数々の事件のことで翻弄されすぎて、恨まなくていいものを恨んで、苦しみをつくり、自分を、そして、その家族もともに地獄の底に落としてしまうようなことになるのです。
被害者であるからといって、必ずしもその悲しみの中に浸って、その悲しさをまき散らしていることが正当で正しいことではないということ。
私は厳しいことを言うように思うかもしれないけれども、悲しみをこらえつつ、その魂として、この過程の中において乗り越えて、早く愛の光の中に生まれ変わっていくことができるようにと、相手も何かの理由で、このような悲しい加害者になってしまったのであろうと、すぐに思えないと思うけれども、でもなるべく許していこうとする思いの中において、その悲しみを乗り越えていただきたいなと私は思うのです。
すぐにしろとは言いません。
その悲しみがあるからこそ人情があり、情があり、人間であるのです。
その苦しみがあってこそ人間であるということ。
サイボーグのように、ロボットのようになれとは言いません。
その悲しさを十分味わってください。
なればこそ、この悲しみを他の同じような者たちに与えてはいけないと。
だからこそ、嫌な世の中を素晴らしくしていく原動力にしていこうと、そのようにぜひ使っていただきたいのです。
そうすれば、その愛するわが子を奪われたとしても、その子の命はけっして無駄ではなかったということになるのです。
ただただ、わが子を失ったということを悲しんで、相手を憎んで、憎んで恨み続けて、何年たっても、何年たっても、恨みばかりをこの地上に想念として巻き散らすということは、それは本人だけの問題ではなく、積極的な意味においてマイナスのエネルギーを地上に放出していくことにもなるのです。
放出し続けたエネルギーの量と年月の分だけ何倍にもなって、また逆に本人に返ってきてしまう。
これもまた因果応報の法則にあるのです。
私たちはそのような不幸な連鎖の中から救っていきたいのです。
13.人生のすべての青写真を組んだのは自分自身
ですから、それにはまず真実の姿を学ぶということ。
真実の姿を、ほんとうに人間がどういう存在であるのか、肉体だけではない、物質だけに翻弄されるのではない、霊的な、霊的な目覚めを待った神の子であるという、そういう生き通しのエネルギーであるということをほんとうに理解したのならば、病気に対しても、事故に対しても、自分では理解できないひとつの流れに対しても寛容になれるはずなのです。
その寛容さというものがまた愛でもあります。
それを発動していくのが、神の子としての愛のエネルギーをたたえたあなた方の、地上での修行ともなるのです。
すぐに笑って許せとは言いません。
でも、なるべくそれを許していけるような方向に努力していく。
そのように社会が導いていけるような、そういうひとつのバックグラウンド、そういう社会というものをあなた方の手でつくっていただきたいのです。
それは霊的なこと、生まれ変わりということ、それを個人個人でしらみつぶしに知っていたほうが地上での修行ができやすいのならば、あなた方の過去世を残したまま我々は地上に生まれさせていくのです。
でも、過去世というものをーー、けっして自分ではわからない、不可抗力と思えるような事態に巡り合っていたときに、確実にそれを愛の思いで前向きに乗り越えていったのならば、必ずその過程でカルマが解消されて、あなた方の霊的な成長につながるように、そのように青写真というものは組まれているのです。
そのように、あなた方自らの手で計画してこられているのがあなた方の人生であるということです。
それをつくったのは、支配して命令しているのは神ではなくて、あなたがた自身の手で青写真をつくって出てきているのです。
どのような形で、自らの過去世のカルマがあったとしたなら、カルマを返していくか。
カルマを乗り越えていけるように今回の人生をしていくか。
それを決めているのはあなた方自身であるということ。
そのことをもっと理解したのならば、今、過去世がなんであるということを知るよりも、今現在の人生を一生懸命生きる、前向きに愛豊かに生きる。
不可抗力のようなことがあったとしても、できるだけ愛の思いで前向きに、まわりを愛しながら乗り越えていかんとする、そのようなことを通してーー。もし易しい、安易な生き方ばかりがあったとしたのならば、あなた方の人生は鍛えられる。
魂が鍛えられる時というのを失ってしまうでしょう。
数々の悲しい出来事があったとしても、それを真に乗り越えたとき、あなた方の魂はほんとうの意味で鍛え上げられ、鋼のような強い、愛と言っても弱虫の愛ではなくて、ほんとうの意味での鍛え上げられた、強い高貴な神の子としての、愛のエネルギーとして成長を遂げているものなのです。
そのように人生の要所、要所で試練というものが組まれている。
それを絶妙に、ケースバイケースで、個人個人の性格に合わせて、人生の計画の中に盛り込まれているということです。
そういう計画を信じることです。
あなた方の中において、その自らの人生を計画してきたのが、青写真を組んできたのが自分であるのだと。
そして兄弟、家族関係においても、すべて親子関係においても、全部自分で決めてきたことであるのだということが理解できたのなら、そのすべてに対して責任回避は許されないのです。
なぜなら、自分で決めてきた関係なのですから。
その中において、どんな悲しいことがあっても、なるべく前向きに生きようとしてごらんなさい。
14.一人で乗り越えられないときに助け合うのが仲間
そして、一人では悲しいとき、一人では乗り越えられないとき、そういうとき、助け合うときに仲間がいるということです。
そのために神の子たちはみんな一人ではない、理解し合える、ほんとうの仲間たちを、神が与えてくださっているということをほんとうに理解したのならば、あなた方の人生に対する勇気というものも、また湧いてくることでしょう。
愛というものは、ひとりで試練の中に立ち向かうものではありません。
常に自分ひとりで生きているのではなく、多くの方がたによって支えられ、多くの方がたによって自分という存在が、この地上に生きていられるのだということをわかったときに、どうか、苦しいとき、悲しいとき、周りの方がたの手にすがること、仲間たちとともに一緒に、一人で乗り越えられないときでも、仲問たちの力を借りることをためらわないでください。
それが多くのコミュニケーション、多くの愛というものを分かち合っていく姿にもなり、その姿をもってありとあらゆる愛というものを学ぶことができるのです。
閉鎖的な中において、自分ひとりだけでやろうとするその姿の中に、ほんとうの意昧での愛の姿はないということです。
失敗してもいいのです、人生は。
失敗しても、また次のときに頑張ればいいのです。
カルマがあったから因があり、果が結果を結んだからといって、それが悪いのではないのです。
自分で一生懸命やったけど失敗してしまった。
だったら次の人生でまたそれを学び、お返しをしていこうと、おわびをしていこうという気持ちがあったのならば、一生懸命、一生懸命生きるのならば、どんな人生も美しいのです。
それを勝手に、いい悪いを裁くのはあなた方人間たちであって、神はそういうものは裁きません。
あらゆるチャンスを通して魂が学んでいくことを選んでいるのです。
あなた方に許しているのです。
あなた方がどんな人生を選び、どのように結果を結んでいくのか。
この最終局面の、今回の文明の総決算期にあたり、天上界はできる限りの指導をやってきております。
ここまで世界伝道の入り口に立ってきました。
かつて立ったときがありました。
でも、もう一度ここに、正しい法をもって、正しい心がけをもって臨めたことを、私はあなた方に対して心から感謝をし、そして神の、地球の神の子たちの指導霊として誇りをもって、今あなた方を見つめたいと思います。
これを今度はお伝えし、分かち合っていくことによって、世界的な精神革命を起こすことができるか、それはあなた方の覚悟と、それを受け取った者たちの気持ち次第によって、その結果が出るということなのです。
前にも言われたと思いますが、その結果についてまではあなた方の責任ではないということです。
精一杯やってお伝えすれば、そして、その過程の中で少しぐらい失敗してしまったとしてもそれは構わないのです。
そんなことをあなた方が気にしないで、どうか、失敗して仏陀に怒られるのではないか、こんなことをしたらインマヌエル、イエス・キリストに怒られるのではないか、はては私にどやされるのではないかと、ミカエルにどなられるのではないかと、そんなこと気にしなくて構わないですから。
失敗したら、また別な形で使命を果たせばいいのです。
ですから、どうか弱気になることなく、この愛を分かち合っていく運動の中において、あなた方一人ひとりの覚悟において、あなた方の個性を通して何を選び取るか、あなた方自身がどういう関わり合い方をしていこうと決めていくか。
それをあなた方の自由意志で選択し、決めてください。
そして、それを決めたのならば、不退転の境地でやっていっていただきたい。
15.情熱とは、真っ赤なメラメラ燃えた愛の炎なのです
情熱を持ってやっていただきたいのです。
情熱あるところにーー、情熱とは、真っ赤なメラメラ燃えた愛の炎なのです。
それがあなた方の中になければ、その情熱がなければ、他の方がたの神の子としての愛の炎に点火することはできないのです。
オリンピックの時の聖火リレーというのがあるでしょう。
次から次へと炎が点火していきます。
その愛の炎を点火していくという、その過程の中において、伝道という言葉があるのならば、愛の光をどうか地球中に伝えていくために、この天上界のメッセージとバイブレーションをもって、もう本来すでにある神の子たちの、その心の中の炎に点火していくだけのことなのです。
新たな神の子のエネルギーをつくれというのではなくて、もう持っている魂、地球人類すべての者たちの中にある、神の子としての共通認識のうずきに点火するということです。
それは、違いのある正義で裁き合っているうちは、その光は点火されないのです。
共通認識です。
みんな男と女が分かれていて、みんな人間であるということです。
どの者にも、悲しみや、喜びや、苦しみがあったのならば、その人間としての人生の流れの中においては、多少違いがあれども、みんな同じ人間としての人生の苦しみの中において、何をもって心の価値観とし、何をもって生きがいとするかは、そんなにみんな変わらないということなのです。
誰かにとってうれしいものは、やはり、みんな愛されればうれしいのです。
裏切られ、傷つけられたら悲しいし、苦しいでしょう。
それは民族も文化も宗教も関係ないということです。
人間であるということ、人間神の子であるということをしっかりと認識した共通の価値観、その愛を求めるうずき、そこが点火する場所でもあるのですよ。
それを私は言いたいのです。
それまでは、私はユダヤ教の出身だから、キリスト教の出身だから、だからこういうことは受け入れられません。
肉を食べちゃいけない。
牛肉なんか食べたらいけない。
いや逆に言うと、牛肉は食べるけど豚はダメ。
いろんなことを言います。
それは、ひじょうにその時代、その時代の中における、我々の法の説き方があったけれども、そういうものを超えた、多くのがんじがらめのところから、人類を鎖から解放していく道筋でもあるということなのです。
釈迦教団にいた者たちはどうでしたか。
みんな独身でいて、女性に触っただけでも、結婚妻帯するだけでも神の道から離れていくとして、そのようなことを禁欲的に拒否してきた流れがあるのです。
そういうものからも、実はそういうものはその時代の中には意義があったけれども、今日的に見たなら全くナンセンスなことであるということが、今の段階になったらわかってきているはずなのです。
そういうことを今、総合的に学ぶことによって、人類は開放されてきます。
さっきからの小さな正義というのはそういうことです。
小さな、小さな民族、小さな、小さな宗教のカテゴリーの中だけで、その小さな価値観の中で自分たち自身を縛り、自分と他者は違うのだと、別のものであるのだと、そういうふうに思う心が他の者を裁き、自らだけが正義であると主張する、小さな正義のぶつかり合いが、今日の、地球規模の宗教戦争を生み出しているのです。
今イスラム教圏とキリスト教圏の戦い、そのキリスト教もアメリカが代表して戦っているような形になっています。
どちらも神の正義があるといって正義のぶつかり合いでもあります。
でも、そのような小さな価値観から、もっと大きな神の子としての正義感で、自らの中にある内的なものに気づいていく過程がなくては、地球規模的に統合されることは、いくら戦争をしても、力で争ってみても、地球人類はほんとうの意味で幸せになることは、いつまでたってもできないということです。
この地上ユートピアというものは永遠にやってこないということなのです。
そのことをあなた方がもっと理解し、この計画の重大性というものを認識してください。
16.新たな精神革命の時がくる
かってORも言ったはずです。「このK会の運動をもってでしかこの地球を救うことは、まとめ上げることはできないのである」と、「それをやるのは私であるのだ」と、彼は言ったはずです。
その認識においては間違ってはいないのです。彼がやるしかなかったし、彼がまとめ上げていくしか、この地球の、統合していく救世の計画、ノストラダムスが予言していったような計画はなかったということです。そのために彼は降りてきたということなのです。
あなた方は、その救世主界の使命を分担しながら、どうかーー、でも、一人ひとりはもし小さかったとしても、ほんとうに信頼できる仲間同士が手を取り合い、チームを組むことによって、救世主界から出た者以上の器と、救世主界から出てきた者たちのエネルギー以上のものを、あなた方の信頼感の結集の中において、地上に神の受け皿としてつくることができるということです。
この奇蹟的な、この第三の計画の実現というものを、天上界はひじょうに喜びをもって、感謝をもって見つめています。
あとはこれを地上に広げていく。
これはあなた方の信頼感であり、愛し合う仲間たちと結束する、共通の理念のもとに統合されていく。
その協力し合う体制によって、どれだけでもOR一人がやった以上の力ができるかもしれないということです。
そのことをどうか、自分に自信を持っていただきたいのです。
自分は何なんだからと、自分はどっちみち九次元ではないのだからと、そのような情けない思いを持つのではなくて、自分だってやればできるのだと、九次元以上の力を発揮することだってできるのだと。
いい意味で誇りを持って、そうやって私は神につくられたんだと、増上慢になることなく自信を持って、そして仲間を信頼して、助け合って、この計画を進めていただきたいと思うのです。
数々の工夫をしてやっていく中において、多くの協力者がまた出てくるのです。
次の段階の協力者というのが用意されているのです。
あなた方が今できないことでも、やれる仲間たちが集まってきます。
それにはあなた方が、まず外に向かってアピールしなくてはなりません。
アピールしていくうちに多くの仲間が集まってきます。
それだけの方がたがこの日本に生まれてきているということです。
まだ命ある限り、多くの光の天使たちがこの地上にいる限り、彼らはたまには根腐れを起こしている者もおりますが、でもやはり、うずきの中においては、神の計画のためにお役に立ちたいと思う、その気持ちで地上に生まれてきている者たちが多いので、ほんとうの光を高々と掲げたのならば、彼らは集まってくることでしょう。
そして自分自身のために、多くの人びとのためにとか、神のためにではなく、自ら自身のために、自ら自身が充実し、感謝を持つために彼らは使命を果たしていくことでしょう。
あなた方が多くの方がたに対して使命を果たしていく、その道というのは、あなた方が地上に出てどれだけ愛するーー、地上に出て、光の天使たちのやる気、本来のうずきに点火することができたか。
その情熱を分かち合うことができたか。
それがこれからのあなた方の正念場になるのです。
資料も十分過ぎるほど出ているのです。
こういうものは時々には出しますけれども、これだけで消耗し、この人をなくしてしまったのならば、これから先の計画はなくなるということ。
だから、この霊言も良いですけれども、もうこれだけ地上に降りてきたのならば、これを早く文書化し、CD化し、ダウンロード化するというのはたいへん素晴らしいことだと思います。
それをやりながら、英訳も考えながら、多くの方がたに積極的に、どのようにしたら多くの方がたにこのような書物を、ネットワークを見ていただき、広げていけるかということを、もうすでにその流れの中にあなた方は入っております。
それは指導されて今入っているということです。
この次なる展開にきているということ。
それが今、日本の外側に向かって動き出しているということです。
今まで我々もそこを強くは言わなかったのです。
まだちゃんとした確たる資料ができる前に、外に広げて変な人が入ってきて、この磁場を荒らされることをひじょうに警戒したということがあります。
でもこれだけの資料が出てきて、書籍が出てきたのならば、あとはもう銃弾のごとく本を出しながら、少しでも多くの方がたの目に触れて、多くの方がたの魂のうずきを震わすような、心を震わすような、そのような伝道の段階に入っていただきたいと思います。
必ずや、この書物が、メッセージ集が、多くの神の子たちの心を震わす、そのような書物になると我々は信じております。
そして、日本の中で広がっていったものが世界に出て行き、日本というひとつの霊的な立場をもって、世界の多くの人びとの、世界の多くのところに出た神の子たちに連動しながら、地球すべての中において共通の価値観として、あっという間に、りょう原の火のごとく伝わっていく。
そのような新たな改革の時という、革命の精神革命の時というものがくるということ。
そのことを楽しみに、私たちはあなた方にこの仕事の次なる展開に入ったということをお伝えして、今日は帰りたいと思います。
17.体が弱っている時、心が乱れている時には魔に狙われやすい
もうすでに来ているのです。もう今までも数々来て、そなたたちは気づいていなかっただけであって、ひじょうに、ここはやはり霊的に護られているし、今回は戦闘系の者たちがいるので、ひじょうに注意深くなっているということ。
そして組織として、宗教団体として広げて、誰でも彼でもが入ってきていないから、あなた方はひじょうにその中において、少しでもおかしくなった場合は、霊的な潔癖な結界というものをつくることが可能であったということが、レムリアのここまで成功している原因でもあると私は思うのです。
やはり戦闘系の者が巫女をやるというのは珍しいケースであるのですけれども、今回はたまたまそういう人材がおりましたので、この者に第三の計画を任命したわけですけど。
これを任命したのは実は私であります。
本人は嫌だと言いましたけれども、私が任命して、これはひじょうに成功していると内心とても喜んでおります。
で、これからも多くのことがくるでしょうけれども、ここは鼻の効く方が多いから、あなた方が不快に感じたときにはだいたい魔が入っているということをお思いください。
それはけっして排他的であるとか、そういうことではなくて、魔は今でもこの者に、体に対してでも、少しでも弱いところ、隙があるところを突いてきている。
それが現実ですし、あなた方の心の中においても人間ですからね。
みんな完璧ではないです。
情に流されるときも、弱くなったときも、心が乱れてぶれたときもあるでしょう。
そういうときにやはり狙われるのです。
だからレムリアの、この核の、中心メンバーとしてこのテーブルに座っているということ。
そのことに対するしっかりとした、あなた方が認識をすることです。
今どういう場に自分たちがいるのかということを、しっかりと認識することです。
それがもし理解できないのならば、ついていけないのならば、そういう者たちは順番に退席しているということ。
その現実をもうすでに見ておられると思うのです。
それはレムリアが、そういう方たちをけっして排斥しているのではなくて、これもやはり法則です。
波長同通なのです。
この磁場の高さについて来られない者たちは、やはり最後までついて来られないということです。
注意するという、まあ、注意するというのは、ありとあらゆるね、あなたなんかとても、ひじょうに魔に対する臭覚が強いでしょう。そして知らないうちに言葉という剣でズバズバ切ってますよね。
あなたも戦闘系の者ですから。
やはりその剣で切るということをよく知っています。
この人も実はよく切っているんですよ。
知らないうちにどんどん切っています。
だけど、やはりそういう力のない、そういう勘を持ってない方もおられますから、そういう場合はみんなで話合いをして、何が今いちばん危ないかということをしっかり認識してください。
まあ、あまり申しませんけども、この人が切るときには、切るだけの理由があるということです。
それを見たときに、何ゆえにということを、現象的に言うことはないです。
やはりあなた方の中で、ようく見ていればわかるはずです。
あとになってわかる場合もあります。
でも、そのときにはもう切られているはずなので、瞬間的にこの磁場という結界は守られておりますから、どうかそんなにご心配なさらないでください。
今は裏神道の方がたの力も含めまして、多くの方がたが、戦闘系がぐるりと回って、ここを護っております。
我々ももう二度までもやられましたからね。
戦闘系の者たちが、この磁場の結界というものを、ひじょうに守護するということを、ものすごく最前線の重要事項としてやっております。
だからこれからも、もっともっと戦闘系の者が来てほしいです。
18.仲間同士支え合ってほしい
それと、仲間同士支え合ってほしいと思います。
やはり先ほども見ておりましたけれど、やはりこの者も普通の、一人の女性でありますし、まあこう言ったらなんですけども、背負うものが多いのですね。
九次元の、我々男性たちであったとしても、これを、この任務を背負うということは、ひじょうな負担になることがあるのです。
その時に、この年齢にして、この時期において、女性として、いろんなものを背負いながら霊言を降ろし、こういうことをするということが、ひじょうに本人にとっても辛いことであるということは、見ていてよくわかるのです。
ですから、あなた方のこともあるでしょうけれども、どうかこの者に対しても、そのようなエネルギーで支えてあげていただきたいなというふうに思います。
やはりあなた方が考えている以上の負担が、この方の体にかかっているということ。
これはもう、どれだけ我々が助けてあげたいと思っても、本来九次元、天上界と地上がコンタクトを取れない理由でもあるのです。
波動が違うし、やはり物質界は物質界の法則の中で生きているのです。
どれだけ我々が、愛のエネルギーでこの人を救ってあげたいと思っても、やはり物質の中における生体エネルギーというものは、この地上に生まれた者たちでなければ持ちあわせていないのです。
それはある意味で輸血のようなもので、血液型が違う、全く別の惑星からきている者が、「血液をあげる」といってもあげられないでしょう。
それと同じことなのです。
我々はひじょうにーー、だから霊である、霊体であるということはあなた方から見たらば万能のように思うかもしれないけれども、確かに過去世とか、そういうものも、ね、いろんなもの知ってはいます。
記憶をなくしてはいません。
あなた方は記憶を失って、肉体という牢獄の中に閉じ込められた、ほんとう無力な存在だと思っているかもしれないけども、この三次元という、この物質界の肉体をまとった、この地上において動くことのできる体を持った、道具を持った、素晴らしい神の使者たちであるということに、逆に誇りを持ってください。
物質を、この地上界の肉体を持って、かつ、この我々の世界の霊言をとるということ。
それは、この物質界の波動がない、この物質界の生体エネルギーを持たない我々に命を吹き込んでくれているのです。
自分の生体エネルギーを使って、我々の声を、あなた方に聞かすために、命を吹き込んでくれているということです。
それは自分の中にある命の、生体エネルギーというものを消耗しながら伝えているということです。
その分、肉体に対するダメージが強いということです。
そこがなかなか聞いている者たちにはわからないということです。
その上でただ巫女だけを純粋にしているのではなく、全体を見渡し、いろいろね、人間関係でも苦労しているみたいですけども、気を遣っているでしょう。
あなた方をまとめていくためにも。
そしてまた、新たな計画に対しても指令を飛ばしていかなくてはなりません。
本来であるならば、二人、三人でやっていくべきものが一人にかかってきている。
そしてその上、「もうあとがない」と言われている。
そのプレッシャーは甚大なものであると我々も想像しております。
肉体が動かなくなるということは、それだけ生体エネルギーを消耗しているということ。
それは、どれだけ素晴らしい優秀なお医者様たちがいても、こればっかりは治すことができないし、我々がどれだけ九次元から霊指導していたとしても、このエネルギーだけは、なかなか我々のほうでは与えてあげられないというのが現状なのです。
ですから、このエネルギーと、残されている時間との中の総量を上手に配分しながら、そのために今日、このレムリアの使命の、どこまでが使命かということを今日お伝えに来たのです。
19.人びとの中に基本的な法が根づいていく地盤を築いてほしい
次の世代が、新たな組織の中で、ひとつのバックグラウンドとして、あなた方が説かれた正しいレムリアの書籍の、法の中において、ひとつの共通認識として広がっていったのならば、そこに坂本竜馬のような者たちが、次の世代に生まれていったミカエルや、孔子のような者たちが、また新たなオピニオンリーダーとして、この、今度は、破壊ーー、新たなものを立ち上げるための、ひとつの戦いの時代をつくっていくことでしょう。
そして、秩序が崩壊しながらもガラガラと、次なる時代にまた幕開けをしていくのです。
その時、彼らはほんとうに捨て身の行動をしていくかもしれない。
でも、そこにつなぐ、彼らがほんとうの認識を持つ年齢に成長するまで、この天上界の計画を、何ゆえにエル・カンタラーが、何ゆえにエル・ランティが引き継いできたこの大計画があるかということを、しっかりと、間違えることなく純粋に伝えていく。
それがレムリアの使命でもあります。
その基本的な法を今降ろし、そして、これをあなた方の力で書籍化し、そして、これを今、世界に向かって発信しようとしています。
そして、これを受け入れていく人類というものがいて、それを共通認識の中で、ひとつの多くの人びとの中に受け入れていけるものとして根づいたのならば、そこで次の世代の者たちが大改革を行っていくことでしょう。
そこまでやれとは言わないのです。
彼らがやるまでの地盤としてーー、地盤って大事ですよ。
そういうものが根づいていく。
「人間と言ったら、ああ、みんな神の子だろ」、「神っていうのはなんだい、愛のエネルギーだよね、だから、神の子だから、僕たちも、私たちも、愛を表現していく者たちだよね」という、そこだけでもわかれば。
そして、「転生輪廻していく永遠の命があるんだよね。だから病気が出ても、今病気が現れたから消えていくんだから、また来世もあるから今度一緒にまた生まれようね」と、そのぐらいの余裕のある言葉で語っていくことができたのならば、不幸の種を背負いこみすぎて、悲しみばかりの人生にならなくても済むのです。
そのように、どうか多くの人びとが思えるだけの、その地盤を築くまでの、そこまであなた方にお願いしたいと思います。
おおかた霊言で我々の趣旨というものは降りているのです。
もう大体降りているということをもって、あなた方が認識していただければ、あとはこれをお伝えしていくという過程の中で、あなた方の時間とエネルギーを使っていただければと思います。
魔に対してはお任せください。
そして戦闘系のね、ラフちゃんもいるし。覚えました。
あなた、頼もしいね、ほんとうに。
ほんとうに下手な男性よりよっぽど頼もしい。
あなたのような人がいる限り、レムリアは安泰であると私は思うので、もうどこでどうだというより、戦い方をあなたは体で知っているから。
そういう人はいいんです。この者もおりますから、どうも女性のほうが魔に強いという、レムリアの体質があるように思うけど。
戦闘系の方がたは、今見ていると男性たちも何人か来ているみたいなので、心あたりのある方たちはみんなで力を合わせて魔を、まあ彼らが結界を破らないように頑張っていただきたいと思います。
キリスト教系、仏教系いろいろいますけど、魔というものは人の心の弱みにつけ込んでくるのが大体常でありますから、人びとが互いに愛し合って、信頼し合って、そして無私な思いでいるところ、こういうふうにみんなで結界をつくっているところには入れないということです。
だから方法論ではなく、その思いを忘れずに、謙虚に、愛深く、楽しく。
ワイン飲んでもいいんですよ。
毎回飲んでもいいんですよ。
我々は水代わりに飲んでいましたから。
お酒自体が別に悪いとは言いません。
だから、そういうものは構いませんから、そんな小さな価値観ではなく、男性と女性が手をつないだから地獄に堕ちるとか、もうそのような、小さな、小さな価値観で自らを縛るのはやめましょうということを、みなさん方にお伝えください。
では今日は、これにて失礼します。
ありがとうございました。

モーゼ(モーリア)
今から約四億年前、蟹座の方向にある惑星より地球に招霊された九次元霊である。
モーゼとして古代イスラエルに転生し、宗教的指導者となった。
ユダヤ教の創始者として知られる。
エジプトで奴隷のように苦役を強いられたイスラエル人を率いてエジプトを脱出し、紅海を割って渡るという奇跡を起こし、追手の軍団を振り切ってシナイ半島に入り、その地でエホバの神と契約を結び、十戒を授けられたと伝えられている。
天上界では、赤色光線(正義)を担当し、地獄解消の役割を担っている。