Project Eden











1.アトランティス文明のあと
アトランティス大陸が沈んだあとの九次元霊界です。地球九次元霊十人が、次の文明について話し合っています。次の文明は、今までの文明とは異なっています。次の水瓶座の時代が迫っていて、この時期にシフトアップするという目標がはっきりしているからです。その目標地点から逆算して、計画を順番に地上に降ろしていかなければなりません。
地上の人間にはもちろん自由意志がありますから、すべてが天上界の思い通りに進むわけではありません。地上の状況に応じて、天上界が対応策を講じる必要があります。九次元霊全員の意見が一致しているのは、地上がどんな状況になろうと、次のチャンスで必ず地球をシフトアップさせたいということです。九次元霊たちは、その目標に向かって一致団結していました。
アトランティス文明があのような形で失敗に終わってしまったことは、九次元霊としては少なからず残念な結果でありました。しかし、その思いに沈む間もなく、次の文明を立ち上げなければなりません。実際、徹底的に反省し、十分に準備をして、次の文明を立ち上げる時間的余裕はありません。それでも、いくつかのことは、九次元霊全員で決めておく必要がありました。
九次元霊たちが話し合った結果、決定したことは以下の通りです。
この文明は、ブッダとアモールを責任者とする。
ほかに、エル・ランティ、セラビム、モーリャも担当グループとする。
最後のシフトアップは、いちばん古くから地球にいるブッダが地上に降りて、直接指導しながら行う。
アトランティス文明の反省から、例外的な場合を除いて霊道は開かせない。
文明の前半に、愛の教えを徹底的に説くことにする。
今回の九次元霊たちの気合の入り方が違います。太陽系の惑星の中で、今までシフトアップに成功した惑星はありません。さまざまな困難はありながら、なんとか地球をシフトアップさせたいのです。
今回担当のブッダをはじめ、アモール、セラビム、モーリャの4人が、いつでも地上に降りて、直接人びとを指導する覚悟はできています。担当九次元霊が、エル・ランティも入れて5人というのも、これまでの文明より多い数です。もちろん残りの5人も無関係ではなく、万が一のことがあればバックアップする体制はできています。
ただ、それまでの文明を見ていて九次元霊全員が感じていることですが、地上に降りると、どうしてもそれぞれの個性を出しながら指導することになり、結果的に宗教対立の原因となってしまうこともしばしばありました。人びとの認識力の限界、九次元霊たちの指導力の限界を示しているともいえます。
次の文明では、それぞれの九次元霊が地上で説いた教えがどのような形で伝わるかということまで考慮し、順番に地上に教えを降ろす必要があるということでも、九次元霊たちの意見は一致していました。
2.最後に中心となる場所
最終的に、ブッダがそれまでの教えを統合しながら、宇宙時代にふさわしい新たな教えを説いて、地球全体をシフトアップさせる、ということになりました。最終目標は決まったのです。最後にブッダが地上に降りる場所を決める必要がありました。宇宙時代に向けて、新たな教えを世界中に発信する場所でもあります。
地球の各地域には、それぞれ固有の霊的磁場というものがあります。霊的磁場以外にも、地理的特性など、さまざまな要素を考慮しなければなりません。新たな創造を行うには、まず陰陽の法則を考えなければなりません。陰陽の法則については、他の章でもすでに述べられています。
陽から発せられたものを陰が受け入れます。さらに、陰の中で変換が起こり、新たな創造が行われるのです。陰陽の法則は、オーム宇宙全体で成り立つ創造原理です。地球上では、陽に相当する場所が西洋、陰に相当する場所が東洋です。ですから、西洋から発せられた教えが東洋に流れ、そこで新たな創造が行われるということになります。
最後にブッダが降り立つのは東洋の地がよかろうということになりました。その地では、あらゆる教えを受け入れる素地ができていなければなりません。
地理的要因も考慮して、ブッダが最後に生誕する場所は、極東の地が選ばれました。
多くの民族に征服されるような場所はふさわしくなく、かといって強大な勢力を誇るようになっても、なかなか新たな教えを受け入れることはできないでしょう。結果として、大陸から少し離れた島国がいいだろうということになりました。そこで、セラビム系龍神たちが総出でその場所を創出することになりました。彼らは海底火山を噴火させ、いくつかの島を浮上させたのです。日本列島の誕生です。日本列島が龍体を表しているのは、龍神たちがつくった島国だからなのです。日本列島が現在の姿になるまでに3年かかりました。
女性性を象徴する陰の地を任せるのは、やはり女性霊がよかろう、ということになりました。その地を任されたのは、今回もやはりアマテラスでした。ムー時代にアマテラスが種をまいた教えが、日本の地に引き継がれ、そこで花を咲かせようということでもありました。
これで、最後にブッダが降り、地球全体をまとめ上げる場所ができました。おそらく今回は、それまでに九次元霊が何度も地上に降りて指導することになるでしょう。いくつもの教えが降ろされることになります。それらの教えが最後に流れ込むのが日本の地ということになるのです。
そのためには、それらの教えを柔軟に受け入れられる条件が整っていなければなりません。その地では一神教の教えが広まっていてはなりません。他の教えを受け入れられないからです。その意味でも、素朴なアニミズムを基調とし、自然の中に神を感じ、自然とともに生きるというアマテラスがムー時代に説いた教えがぴったりなのです。すべてを考慮して、日本の地が選ばれ、アマテラスが責任者として任されたということなのです。
ムー文明の初期、アマテラスが女王として統治したとき、対抗した勢力がありました、霊界では裏界に属していたグループです。
「新たな国をつくるにあたり、あれらのグループの力も終結させる必要があろう」というモーリャの提案で、ムー時代、アマテラスに対抗していたグループも日本の地に派遣することになりました。ムー時代に互いに対立し合っていた者たちを、日本列島に入れてしまおうということです。かっては対立していたけれども、今回は協力して新たな国をつくるのです。それが、裏界の者たちのカルマの刈り取りにもなるという、モーリャの配慮でもありました。
3.まずは愛の教えを
アトランティス文明で、最も大切な愛の教えだけが抜け落ちていったため、あのような悲惨な結末を迎えることになりました。「次の文明では、最初に徹底的に愛の教えを説き、その後の過程で、けっして抜け落ちることがないようにしよう」と、九次元霊全員が心に決めていました。
九次元霊の中でも愛を専門とするアモールが、「今回の文明では、私は究極の愛を人びとに説きたい。さらに、私自身が愛そのものを体現する者として、自らの生きざまで愛を表現したい」と、ブッダやモーリャに熱く語りました。
それを聞いたモーリャは「私は、大いなる神の力を現象として見せることにより、人びとに神の存在を知らしめたい。未熟な者たちに対しては、そのほうが効果的なのだ。私はまず現象によって、神に対する信仰心を目覚めさせたあとに、アモールが愛を説いたほうがよかろう。あまりに未熟な者たちにアモールが愛を説いても、受け入れられないであろうから」と言いました。「なるほど、そうかもしれない」とアモールは納得するのでした。
ブッダは「私は、まず法の種まきをした上で、最終的に日本の地に降り立ちたい。それには、モーリャが現象を示したあと、しばらくしての東洋の地がよかろうと思う」と提案しました。今回の最終責任者であるブッダが、まず東洋の地で自らにふさわしい教えを説いておきたいということなのです。
結局、西洋の地でアモールが説いた愛の教えと、ブッダが説く慈悲の教えの中心とした法が、最終的に日本の地で合流するようにしよう、ということになりました。結局、ブッダが慈悲の教えを説く場所は、インドに決まりました。
それまで黙って聞いていたセラビムが、「インドでブッダが愛を説くのでしたら、その直後に、私は仁と礼節の教えを東洋で説きたい」と主張しました。
日本を任されたアマテラスたちが所属するのは、紫色霊団です。九次元で紫光線を担当しているのはセラビムです。慈悲の教え以外にも、どうしても紫光線としての礼節を伝えておきたいということなのです。インドのブッダの直後に、中国にセラビムが孔子として降り立ち、礼節の教えを説くことになりました。ブッダの慈悲の教えと、孔子の礼節の教えを東洋的教えの二本柱にし、どちらも日本に伝わるようにするという計画になりました。まず東洋的教えを確立したあとで、アモールの西洋的愛の教えを地上に降ろすという順番にしたのです。
インドのブッダの教えと中国の孔子の教えは、同時期に説かれても競合することはないだろうと思われました。
どちらも心の内へと向かう東洋的、陰の教えですが、拮抗することなく、併存が可能なのです。ともにすたれることなく日本に伝えられるであろうと、予想できました。
問題は、モーリャの教えとアモールの教えをどこから発信させるか。そして、どのくらい時間的間隔をあけるかということでした。どちらも外に向かう陽の教えで一神教です。九次元霊が説いた教えであっても、人びとは違うものとして受け止め、互いに争うことになるでしょう。アモールの愛の教えが日本に伝わらなくなってしまう可能性があります。
結局、モーリャとアモールの間隔は千年あけることになりました。人びとの間に信仰心が根づき、モーリャの教えそのものは形骸化した頃にアモールが本格的に愛の教えを説くのです。それによってアモールの愛の教えは生き残り、世界を駆けめぐって日本にも伝わるでしょう。場所としては、中東でまずモーリャが教えを説くことになりました。このあたりは地球自体の霊的スポットでもあり、教えを広めるのに適した場所なのです。
モーリャもアモールも、地上に降り立ったとき、エル・ランティが中心となって九次元から指導することになりました。エル・ランティの意見で、アモールもモーリャと近い場所に生まれることになりました。
4.人間性回帰のために
今回の文明を担当する九次元霊たちの間で、具体的な計画ができつつありました。今回は直接担当しない九次元霊たちも、彼らの議論を興味深く聞いていました。聞きながら彼らは、「今回の文明は、とてもストイックな教えが説かれそうだ」と思いました。
マヌは、「ちょっとストイックすぎはしないだろうか」と、ポツリと言いました。それに呼応するようにゼウスが「確かに、こんなにストイックな教えばかり降ろして、大丈夫なのだろうか。人びとが戒律にしばられて、がんじがらめになってしまうのでないかと心配だ」と懸念の声をあげました。黙って聞いていましたが、マイトレーヤーも同様のことを感じていました。
「今回こそは、どうしても道を間違えるわけにはいかない。必勝態勢で突っ走るしかないのだ」という気持ちで盛り上がっていた担当九次元霊たちでした。
マヌやゼウスの発言に、互いに顔を見合わせ、「マヌやゼウスの意見にも一理ある」と思わざる得ませんでした。エル・ランティも「その通りだ。ストイックな教えでしばりつけないと、またアトランティスのようになってしまうと思っていた。それだけでは、マヌやゼウスの言うように、どこかで破綻してしまうかもしれない。どこかで余裕を持たせておく必要がある。戒律でしばって、暗い世界にするのが目的ではない。また、そのような世界にしてしまったら、最後にブッダが地球全体をまとめるのにも苦労することになるであろう。人間性解放の文化を、どこかで開花させておこう」
「そういう方向だったら任せておいてほしい」と、ゼウスやマヌは喜んで協力を申し出ました。今回担当の5人の九次元霊たちは、確かにそちらの方面は得意とはしていない者ばかりでした。さまざまな教えを降ろす前に、ゼウスがギリシャにおいて、芸術を中心とした文化を根づかせておくことにしました。
そこには、人びとが信仰でがんじがらめになったときに、その文化に回帰できるように用意しておこうという、九次元霊たちの配慮があったのです。
5.エーゲ海に輝くギリシャ文化
アトランティスから逃れた一部の人びとは、エジプトの地で暮らしていました。アガシャーの息子であったアモン二世は、エジプトでアモン・ラーとして国王になりました。そこで太陽信仰を説いたのでした。エジプト文化はその後も続きましたが、文化レベルとしてはアトランティスのレベルから次第に落ちていくのでした。ピラミッドは現在も残っていますが、その意味も用途も伝わることはありませんでした。ピラミッドパワーは封印するというのが九次元霊界での決定でもあったのです。
地上では、エジプト以外に文化と言えるようなものがない時代でした。
ヨーロッパでは、エーゲ海周辺にいくつかの小国ができていました。その中のギリシャに、九次元からゼウスが国王として生まれました。そのときに妻として出たのがヘラでした。
また、ゼウスの娘にアマーリエ、息子に大天使ミカエルが生まれました。名前をアテナとアポロンといいました。このときは、女性でありながら戦闘的なアテナと、男性でありながら静かでやさしいアポロンというふたりの姉弟として生まれたのでした。
エーゲ海を舞台として、周囲の国々との戦闘に明け暮れたゼウスでしたが、芸術を広く奨励し、華麗なるギリシャ文化の華を開かせたのでした。ゼウスの後半生では自らの霊能力を駆使して仕事をするようになりましたが、初期の頃は霊能力を用いることはありませんでした。妻のヘラが巫女的才能の持ち主で、そちらの方面からもっぱら夫を補助していたのです。ヘラの援助もあり、ゼウスは数々の戦争において勝利をおさめました。
ゼウスは、戦争のときに負った傷がもとでこの世を去ることになりました。天上界に戻ってきたゼウスは、振り返って、当初の目的は達せられたと満足でした。ゼウスのあとは、アテナとアポロンが引き継ぐ形となりました。その後、ギリシャ文明は次第に衰えることになりました。
ゼウスの気がかりは、弟として生まれたポセイドンとハデスのことでした。ポセイドンには海を任せていましたが、些細なことから仲違いをすることになってしまいました。天上界にポセイドンが還ってからも、疎遠になってしまいました。ともにギリシャ文化を担うために出ていきましたが、結果的に袂を分かつことになってしまいました。もっと、残念なのは末弟のハデスです。エジプトの地に遠征したのがきっかけで、そこで邪教にふれることになり、そちらにのめり込んでしまったのです。
ハデスは死んだのち、天上界に還ることなく、地獄に堕ち、魔王となってしまったのです。そのように残念なことはありましたが、芸術を中心とした、自由な文化を華開かせることに成功したギリシャ文化でした。
6.モーリャからアモールへ
ゼウスから数百年ののち、モーリャがエジプトの地に生まれました。このときの名前をモーゼといいました。その後、ブッダがインドで慈悲を中心とする法の種まき、アモールが愛の教えを説く前に、神の臨在を知らしめるというのがモーゼの役割でした。
今回の文明では、モーゼは奴隷の子として生まれました。そして、舟で流され、王宮で拾われ育てられるという環境を選びました。大人になり、エジプトで奴隷としてとらえられていたイスラエルの民を解放して、エジプトを脱出するという旅に出たのでした。
旅の途中で、紅海をまっぷたつに割るという、今回の文明の中でも最も大きな奇跡をやってのけたのです。このとき、天上界からモーゼの願いを聞き届け、援助したのはエル・ランティでした。確かにこの奇跡は、スケールから見ても特筆すべきものでした。
あなた方はもう今では単なる伝説だと思っているようですが、実際に起こった歴史的事実なのです。今でもエル・ランティは、ベーエルダから友人が来ると、このときの奇跡を語って聞かせるほどです。この奇跡を目の当たりにした人びとは神の力を実感せずにはいられませんでした。シナイ山に上り、有名な十戒をモーゼに授けたのもエル・ランティでした。未熟な人びとに対し、神は存在し、偉大な力を持つということを、奇跡を通して示したのです。
ヤハウエという名で、天上界からモーゼを指導したエル・ランティは、実際には九次元霊であり、神ではありません。
しかし、神のようにふるまって、人びとに奇跡を示すことによってしか、当時の人びとに神の臨在を納得させる方法がなかったのです。当時の人びとに難しいことを言ってもわからなかったのです。当時のイスラエルの人びとは、モーゼの奇跡を通して神の力、神の実在を実感することができたのです。
モーゼはカナンの地に行き着く前に帰天することになりました。その後、モーゼの教えはユダヤ教の律法として守られていくのでした。人びとの中に、神に対する信仰心が定着していったのです。
しかし、九次元霊たちが予想していたように、神の心を人びとがほんとうに理解していたわけではなかったので、律法は形骸化していきました。単なる形式的なものになっていったのでした。途中で、九次元霊の指示により、エリヤやエレミヤという預言者たちを地上に降ろしながら、ユダヤ教は引き継がれていきました。
エリヤは大天使ミカエルの分霊でした。地球に来てから長い時間が経つうちに、大天使ミカエルの本体エネルギーが大きくなり、その一部が独立した人格を持ったのが分霊です。本来同一人格の分身とは異なります。
旧約聖書の中でその降誕が予言されている存在、救世主として生まれたのがアモールです。そのときの名前をインマヌエルといいます。一般にはイエス・キリストとして伝えられています。
インマヌエルはユダヤ人だけを救うために生まれたわけではありません。地球人類すべての救世主として、愛を体現する者として地上に肉体を持ったのでした。現在の聖書には30歳以前のことは削除されていますが、彼は幼いときから霊道を開き、救世主としての人生を歩んだのでした。しかし、霊道を開いているからといって、最初から救世主としての自覚があったわけではありません。天上界の指導を仰ぎながら、次第に自らの使命を自覚していったのです。
インマヌエルの実際の伝道期間は3年半と短いものでした。しかし、弟子たちの命をかけた伝道により、その後二千年経ってもその偉業は称えられるものとなったのです。
九次元霊が地上で仕事をする期間というのは、一般にそう長くはありません。九次元霊たちの業績は、その後の弟子たちの働きにかかっているといっても過言ではありません。その意味では、インマヌエルの弟子たちはとても頑張ったといえるでしょう。
ヨーロッパを中心に教会が建てられ、キリスト教は世界に伝えられることになりました。福音書と教会によってキリスト教が広まっていったのです。その後数百年経つうちに、その教会や組織の存続に目的が移ってしまい、キリスト教の形骸化が始まるということになりましたが、初期の教会がキリスト教の布教に果たした役割は大きいと言えるでしょう。
7.東洋の二本の柱
九次元からモーリャが西洋に降り立ち、アモールが降りるまでに間に、東洋の柱を打ち立てるべく、ブッダがまずインドに生誕しました。モーゼが奴隷の子として生まれたのとは対照的に、彼はそれほど大きな国ではありませんでしたが、王子として生まれました。何不自由ない生活の中で人生に対する疑問を抱くようになりました。
まず、どんな人生でも生老病死の四つの苦しみがあることに気づいたのがきっかけでした。九次元霊が地上に生まれても、最初から悟っているわけではないのです。人間としての苦悩を経験しながら人生に疑問を持ち、悟れるような計画を立てて、地上に生まれるのです。
当時のインドにはさまざまな信仰があり、修行方法も肉体行を中心としていろいろなものがありました。自ら出家し、たくさんの師のもとで修行をしても、ブッダの心が満たされることはありませんでした。
35歳のときに、ブッダはひとつの悟りに至ります。しかし、肉体行によってその悟りが得られたわけではありませんでした。菩提樹下の悟りとして有名な中道の道にいたることになるのです。その後、80歳でこの世を去るまで、多くの弟子たちを彼は指導しました。
霊的悟りの段階により弟子たちを分けたのもブッダでした。たくさんの戒律を定めました。ブッダが示した修行方法を実践すれば、間違いのない道ではありました。弟子たちの中には女性も多くいましたが、男性と同じ修行方法をとっていました。女性たちに対する特別な配慮はなかったのです。このやり方は、すべての修行者が同じ悟りの階梯を上らなければならないという、その後の仏教徒たちをしばることになる可能性を秘めていたことも確かでした。
自らの心を反省し、神へといたる方法を説いたのがブッダでした。東洋的な自らの内に入り込む、陰陽の陰としての教えでもありました。当時のインドで多くの弟子たちが、ブッダのもとで育てられました。彼らの中の多くの者たちが、その後の仏教の流れの中で、中国や日本に中興の祖というような形で再び肉体を持ち、最終的に日本でブッダが宇宙時代の法を説くために整備を整えたのでした。
インマヌエルの説く愛が、あまねくすべての人びとを平等に育む教えだったのに対し、ブッダの東洋的な愛は「慈悲」と表現され、衆生を下から支えるものだったのです。
ブッダの慈悲は、上から下々の者たちを救うように思われがちですが、本来の慈悲はすべての衆生を下から支え尽くす愛だったのです。反省の重要性、その後誤解されることになりましたが「無」の思想、あの世の存在など、伝道期間の長かったブッダは多くの教えを人びとに植えつけることになりました。千年以上のときを経て、ブッダの説いた教えは、中国から日本に伝えられることになりました。
ブッダが天上界に還るのを待っていたかのように、数年ののちに中国にセラビムが孔子として生まれました。当時の中国もさまざまな教えを説く者たちがたくさんいた時代でした。春秋時代と呼ばれ、安定した時代ではありませんでした。
その中で、孔子は心の教えというよりも、実践的な教えを説いたのです。礼節を重んじ、年長の者を敬うという教えは、為政者たちに利用されることになりました。実際に、中国をはじめ、朝鮮半島や日本でも、道徳的な教えとして子弟の教育に取り入れられたのでした。日本人が持つ本来の勤勉さもあり、孔子の儒教の教えもすんなりと日本に受け入れられていったのです。
今回の文明を始めるに当たって、ブッダやセラビムが予想していたように、彼らが地上で説いた教えは、相前後して日本に伝えられ、確実に人びとの間に浸透していったのでした。
8.大和の国づくり
今回の文明で、地球全体を最終的にシフトアップさせるため、用意されたのが日本の地でした。そのため、日本の地を整えるというのはとても重要な仕事だったのです。
責任者はアマテラスをはじめとする紫光線の者たちでしたが、地球規模の大事業でしたので、霊界における中央官庁からもたくさんの応援が、国づくりのために駆けつけたのでした。
実際に日本の国づくりが始まったのは、西洋でアモールが愛の教えを説く少し前のことでした。まず、アマテラスが地上に降り立ちました。
彼女が地上で説いたのは、ムーの時代と同じく大自然の中に神を感じ、大自然と一体となることを理想とするものでした。あらゆるものの中に神を感じるという、どちらかというと多神教の教えであります。
西洋の多神教の元祖とも言うできギリシャ文化をつくり上げた魂たちの多くが、実は日本の国づくりに貢献しました。ギリシャでアポロンとして生まれた大天使ミカエルも、日本の古代の神々のひとりとして生まれました。邪馬台国という国をつくったのは、女王日向(卑弥呼)の功績が大きかったのですが、彼女こそギリシャ時代にヘラとして生まれた魂の分霊だったのです。
日向は子どもがありませんでした。日向のあと、男性が統治しようとしましたが、うまく治まりませんでした。日向の養女であったトヨがあとを継ぐことにより、国が平穏になりました。このトヨこそ、アテナとしてギリシャに生まれたアマーリエだったのです。
日本という国は東洋にあり、陰陽の陰に位置していますが、女性が統治すると国が治まりやすいという特徴を持っています。男性ではうまくいかなくても女性が人びとの上に立つことにより治まるのです。
その後、天皇制を柱として日本の国は栄えることになりました。アマテラスたちの教えは「日本神道」という名前で今日まで伝えられています。
ムー時代に敵対していた裏界の者たちも、力を合わせて国づくりに協力しました。人びとの道徳の柱としての儒教、信仰心の柱としての仏教は、ともに六世紀に日本に伝えられました。当時、特に仏教を日本に定着させるために、八次元からシュヴァンツェルが日本に誕生しました。
彼こそ、『十七条憲法』を制定した聖徳太子です。その第一条に「和を以て貴しとなす」と定めていますが、これは天上界からの指導で、日本の国に最も重要な内容を記したものだったのです。
その後、仏教と儒教は日本人の精神的よりどころとして、大きな二本の柱となりました。面白いのは、仏教や儒教が入ってきても、日本神道は日本神道として存在しているということです。仏教、儒教、日本神道が、日本人の中に自然に共存し得ることを示しています。西洋諸国ではこのようなことはなかなか考えられないでしょう。やはり、日本神道の受容性の大きさを示していると言えるでしょう。
9.さらなる一神教
七世紀初頭、七大天使のガブリエルを通して、エル・ランティはアッラーと名乗り、地上のムハンマド(マホメット)に通信を送ります。その教えはコーランという書物にまとめられました。ユダヤ教徒、キリスト教という一神教の教えに加え、さらに一神教を地上に降ろしたのです。それもユダヤ教やキリスト教の聖地に近い場所に、将来もめるのを承知の上で、イスラム教を興したということなのです。
イスラム教は、その後中東から東南アジアにかけて、多くの人びとに信仰されていきます。彼らは、ユダヤ教やキリスト教徒よりも熱心な信仰心を持っている人びとです。世界のどの宗教よりも熱烈な信者を有しているのがイスラム教であ ると言えるでしょう。
わざわざ混乱させるかのように、どうしてエル・ランティはさらなる一神教を中東に降ろしたのでしょう。
それは、この文明の最後に、モーゼがヤハウェと呼んだ神も、インマヌエルが「我が父」と呼んだ存在も、イスラム教の神アッラーも、すべて同じエル・ランティであったのだと明かし、互いに争うのは意味のないことだと知らせるためでした。最後にすべてを明かして、宗教上の争いを終結させ、地球人類をひとつにまとめてシフトアップさせようという心づもりだったのです。
10.ギリシャに回帰するルネッサンス
十五世紀のイタリアを中心に、新たな文芸復興運動が起こりました。キリスト教の流れの中で、芸術の分野では長い停滞を生んでいました。人間性を再生させようという潮流が一気に押し寄せたのです。もちろん、これは天上界から光の天使を集中的に降ろし、意図して興した運動です。古代のギリシャ、ローマに戻ろうとするものでした。
九次元霊たちが予想したように、人びとは長く暗い中世の中で、気持ちが沈んでいました。そこに人間性を解放させる運動を天上界から降ろしたのです。
七大天使たちも芸術家として生まれました。大天使ガブリエルがレオナルド・ダ・ビンチとして生まれたのは有名です。これらの大天使たちは、もともとはベーエルダからやってきた人びとで、芸術の専門家ではありませんでした。しかし、彼らはレムリア文明時代に、地上で芸術のトレーニングを受けていたのでした。そのために、りっぱな芸術作品を残すことができたのでした。
もちろん、ここぞとばかり、ゼウスやマヌが九次元から彼らを指導したことは言うまでもありません。ゼウスやマヌは、やっぱりギリシャで芸術の花を咲かせておいてよかったと思いました。今回の文明では表に出て責任者となっていなくても、この時代に重要な役割を演じることができました。
当時、芸術だけではなく、印刷技術や羅針盤というその後の文化発展に大いに寄与する技術も地上に降ろされたのでした。印刷技術は文芸作品を広く伝えるために役立ち、羅針盤は大航海時代の幕開けを告げるものとなりました。
11.大航海時代と宗教改革
キリスト教は教会組織を介して世界中に広まっていきました。
「大航海時代」と呼ばれる時代に、ヨーロッパからアジア、アフリカに進出していきました。当時のヨーロッパは、スペインやポルトガルが栄えていました。それらの国々に天上界からパイオニア精神に秀でた者たちを生まれさせたことは、言うまでもありません。そのときに、キリスト教も宣教師を通じて伝えられたのでした。
日本にも16世紀にキリスト教が伝えられました。仏教や儒教よりも約千年遅れたことになります。当時の日本は戦国時代でした。各地を大名たちが統治していました。大名の何人かはキリスト教を認め、その領地内で広まっていきました。
しかし、日本全国に広まるには時間がかかりました。すべての大名がキリスト教を認めたわけではなかったからです。また、その後日本を統一した江戸幕府においても、キリスト教の布教が禁止されたからです。
時間が経つと本末転倒が起こるという点では、キリスト教も例外ではありませんでした。組織の存続や形式的なものが優先され、インマヌエルが説いた本来の教えが形骸化するという道をたどったのでした。
天上界は宗教改革を行うことを決めました。そのために何人もの光の天使を地上に送ったのです。代表的なのは大天使ミカエルでした。彼はマルチン・ルターとしてドイツに生まれました。聖書による信仰に戻ることを主張し、当時の教会と対立したのでした。彼はラテン語の聖書をドイツ語に訳し、一般の人びとも読めるようにしました。
ルターたちが唱えたキリスト教信仰に賛同する者たちは、その後プロテスタントと呼ばれました。古いキリスト教はカトリックと呼ばれ、今日にいたるまで存続しています。大天使ミカエルの魂が肉体を持ったのは、日本の国づくりに貢献して以来であることを考えれば、宗教改革がいかに重要なものであるかがわかると思います。
12.産業革命とスピリチュアルの流れ
ルネッサンス運動で解放された人間性復興の流れの中で、宗教改革でキリスト教を本来の流れに引き寄せることにある程度成功しました。その延長上で、科学技術を発展させる必要がありました。どうして科学技術が必要かというと、地球全体をシフトアップさせ、宇宙時代への扉を開くためには、科学技術もある一定のレベルに達している必要があったのです。
十八世紀から十九世紀にかけて、科学技術を一気に発展させようと、九次元で科学担当のカイトロンがニュートンとして地上に降りるとともに、銀色光線の多くの者たちが生まれたのでした。蒸気機関車の発明を始め、多くの発明をしたエジソンも、二十世紀に相対性理論を発表したアインシュタインも、みんな科学を発展させるために、地上に降りた光の天使たちでした。
科学技術を発展させるだけではなく、歴史的にはあまり光を当てられていない分野ですが、ヨーロッパを中心としたスピリチュアル系統の流れも、天上界が意図して興したものです。科学を発展させると、ものがすべて、目に見えるものがすべてというように、物質主義に陥ることが予想できたので、それに対し、スピリチュアル系統の中にも光の天使たちを降ろしていたのです。科学の発展とスピリチュアリズムという一見まったく異なるように見えるものを、天上界は同時に興していたということです。
実際には、科学技術の発展がめざましく、そっちの方向に予想以上に目を奪われてしまう結果となりました。その姿を見て、「文明の最後に科学を発展させても、やっぱり人びとはそちらに惹かれ、信仰心がおろそかになるものなのか」と、九次元霊たちはため息をつくのでした。
13.日本の国を守り育てて
日本の地は古来より日本神道の神々が守ってきました。
日本神道は他の土着の宗教とは異なり、もともと中央省庁にいた霊人たちが今回のシフトアップのために日本に派遣され、管理していたのです。仏教や儒教という教えを受け入れてはいましたが、他国の侵略を許したことはありませんでした。それは日本神道の神々、特に裏界の霊人たちが結界を張って守護していたからなのです。
何度か他国からの侵略の危険に遭っていたことは確かです。まず、十三世紀に西アジアから朝鮮半島までを征服したモンゴル帝国が日本に攻めてきました。もし、日本が島国ではなく、大陸と陸続きになっていたら簡単に征服されていたでしょう。このようなことも考えて、当初から九次元霊たちは、日本という島国にシフトアップの拠点を置くことに決めたのです。モンゴル帝国の人びとは騎馬民族で、船の扱いに慣れていなかったということもありましたが、天上界から「神風」と呼ばれる暴風雨を起こし、モンゴル軍に多大な損害を与えたことも事実でした。
この鎌倉時代と呼ばれる、鎌倉に幕府が置かれていた時代は、仏教が日本に伝来して約五百年後に当たります。どんな宗教でも時間が経つと当初の教えが曲げられてしまうものです。日本に伝えられた仏教も例外ではありませんでした。ブッダの教えも色あせてしまったのです。
そこで、天上界は日本の仏教も改革が必要であるという結論にいたりました。インド時代にブッダとともに地上に出て、ブッダが帰天したのち第一回仏典結集を行った魂や、イエス・キリストとともにイスラエルに生まれた者たちなどを、集中してこの時代に生まれさせることになりました。
結果として、既存の仏教の改革以外に、新たな仏教の宗派も生まれることになりました。この時代に出た日蓮も、仏教の改革のために天上界から地上に降りた者でしたが、彼こそ大天使ミカエルの分霊だったのです。
西洋ではキリスト教改革のためドイツにマルチン・ルターとして出る魂の分霊が日本では仏教の改革を推進したのでした。実際、当時の仏教改革で成果を挙げた魂たちの中には、その後日本にブッダが生まれるときにともに生まれることになる魂も数多くいました。日本でブッダが宇宙時代に向けて法を説くための地ならしのような役割で鎌倉時代に出ていたという面もあったのです。
その後、戦国時代を経て、日本は江戸時代という平和な時代を迎えました。
江戸時代、幕府は鎖国政策をとり、長崎の一部を除いて原則外国との交流を禁じました。その間に、諸外国では産業革命が急速に進みました。時はすでに十九世紀です。二十世紀の最後には日本を中心としてシフトアップの準備に入らなければならないのです。このまま日本の中だけで泰平の世を謳歌しているわけにはいきません。すでに東南アジアから中国までアジアの国はことごとく西洋列強の植民地になっていました。このままでは日本も植民地になってしまうでしょう。
九次元霊界は、どのようにこの難局を乗り越えるかと、思案に暮れました。このまま日本を放置するわけにはいきません。なんとか植民地にすることなく、江戸幕府を終わらせ、西洋に追いつかなくてはならないのです。フランス革命やアメリカ独立戦争のように、国の中で多くの血を流しながら新たな体制にさせることはできません。そのような内輪もめをしている間に諸外国に侵略されてしまうからです。時間的余裕もないのです。このときは、日本神道の神々も困りました。今まで自分たちが守り育ててきた国が、他国の植民地になってしまうかもしれないのです。中央省庁に応援をお願い出ざるを得ませんでした。
日本の国は始まって以来最大の危機でした。霊界で、力ある光の天使たちが集められました。仏教徒のように頭でっかちの者たちが地上に降り立っても役に立ちません。行動力のある者たちが必要とされたのです。それまでの歴史の中で、古今東西の名だたる英雄豪傑たちが天上界の一か所に集められました。
シフトアップとか、細かい説明をする余裕もなく、またそのような説明をしても理解できないだろうということで、「とにかく日本の地に降り立ち、この国を他国の侵略から守るのだ。そして、なんとか発展させてほしい」という説明だけされて、みんな日本各地に生まれました。「とにかく大変なときを迎え、俺たちの力が必要とされている。みんなで力を合わせて頑張ろう」と、彼らは天上界で誓いを立て、日本の地に降りていったのでした。急遽集められたということもあり、みんなそれほど細かい人生計画を立てずに生まれました。
天上界としては、彼らが持つ先を見通す能力と行動力にかけるしかありませんでした。結果として彼らのおかげで、日本の国は他のアジアの国々のように植民地になることもなく、日本国内で多くの血を流すこともなく、江戸幕府を終結させることができました。その中で命を落とす者たちは何人もいました。しかし、大きな目標のためには自分の命を落とすことなどなんとも思っていない者たちです。みんな自らの使命を果たし、さっぱりとした気持ちで天上界に還ってくるのでした。
命を落とすことなく乗り切った者たちの多くは、その後の明治新政府の立役者となり、日本の発展に尽くしたのでした。
江戸時代から明治時代にかけての流れを天上界で見ながら、九次元霊たちはほっと胸をなでおろすのでした。もちろん日本神道の神々たちも同じ思いでした。









