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Project Eden

第5章 モーリャ:いちばん大事なのは認識力

1.この三次元が今、地獄界に近い波動の状態である

2.三次元で法が説かれ、あらゆる次元の進化発展を促している

3.死を通して人類は、統一された価値観に結びつくきっかけを得る

4.学んだ中の、いちばん大事なことをまず人びとに伝えなさい

5.単なる理念だけでなく、具体的にこの地上を光らせていく

6.愛というのは行動の中において実現されたとき光を放つ

7.あなた方のパーニャパラミタを開けるキーが霊言の波動である

8.坂本竜馬たちを超えていくような生き方をしなさい

9.逆境は次に飛躍するためのひとつの学びの時期

10.いちばん大事なのは認識力なのです

11.認識力を愛の方向に開いていく、高めていく

1.この三次元が今、地獄界に近い波動の状態である

我はモーゼなり。
今日、このような場にて、また再度話をできることを心より嬉しく思います。
いよいよレムリアも、今までの法理論から、世界に向けて、神の子たちを本来の神の子の使命に目覚めさせる時のために、あなた方が動き出す時がきたということ。

ここまで守り、かつ、我々の世界からのメッセージを、霊言を受け取り、書物にしていただいているといくことを、心から感謝申し上げたいと思います。
先ほどから開かれているけれど、魔とのつき合い方というのは、いささか専門でもあるがゆえ、わたくしが今日出て参りました。

魔というのは、いつも申し上げますが、本人たちの心の持ちようが、こちらの世界のいかなる世界に同通するかにより、憑依という現象、そして、さまざまなこの三次元に映し出した事件というもの、心の状態というものを通して、現象というものを生み出しているものであるということ。そのことをあなた方は、よくお聞きおきでありましょう。

肉体的におけると、長い間憑依されているところ、霊的に長い間憑依されていると、やはり、病というものになってくる場合があります。
それと同時に、事故というようなもの、一瞬にして若い生命が奪われた今回の事故におきましても、やはり何かしらのそういう魔の力というのが働いていて、多くの者たちがその犠牲になるというのが、今、テレビでニュースを賑わしているさまざまな事件というものを見れば、そのような事件が起きるような、そのような三次元の状態というものーー、地下の者たちが安易にこの地上のエネルギーを操作して、事件を起こすことができる。それほど、この三次元というのが今、地獄界に近い波動の状態であるということを証していると思うのです。

事件というもの、事故というもの、そして今、幼い子どもたちが、その夕ーゲットになっています。いちばん幼い者たちを、まるでゴミかボロぞうきんのようにして命を奪っていく。そのようなことが立て続けに、事件だけではなくて事故も含めて数々のことが起きている。
そういうことが、どれだけ生きている大人の者たちの心を痛め、悲しい思いにさせるか、不幸の種をまくかということをよく知っていて、そのような卑怯な手段に打って出ている、地下の者たちの所業というのもあるのです。

そのことを思うと、やはり我々も早くこの三次元のマイナスの波動というものを浄化し、一刻も早く神の世の現れというものをこの地上仏国土に、地上ユートピアとして具現させていきたいものであると、心から願わずにはおられないのです。

もし、地下の者たちが暗躍し、この地上の者たちに何かをしようと思っていても、この三次元というものが、光の意識で、神の意識で人びとが生きていたのならば、その波動の中において、闇というのは光によってかき消され、けっして闇の者たちが力をふるうことなどはできないということなのです。

今見ていると、亡くなった方の多くの者たちが地獄にくるのです。
「天上界に帰ってこい」といくら言っても、この物質主義的なものの中で、肉体がすべてであるという考え方の中で、魂が永遠であると、本来は人間自体は霊性というもの、魂というものがある、それこそが本来の姿であるということを信じないがゆえに、生きているうちにそれを信じられなかった者たちが、死というものを通して、いきなりそこをわかれということはできない、無理な相談なのです。

だからひじょうに悩み苦しみ、そして迷いながら、わたしたちは精一杯の説得をして、上に上がってこられるときもあるけれども、上がってくることができず、地上にしがみつき自縛霊になる者、逆に心の針が地下に向き、地下に堕ちていってしまう者たち、その者たちの数がひじょうに多いのが現代であるとも言えるのです。

ですから、あなた方の思いの中で、いかに神近き心、心の中に愛と優しさというもの、謙虚さというもの、神の子としての誇りとしての、自ら神の代弁者として、神の子として、どう人生を生きるかという、そのような心境というものをしっかりと生きているうちに学ぶということ。そのことがどれだけ、その本人の魂においても大事であるかということ。そのことを肝に銘じなくてはいけません。

いかなる者も、たとえ自分は宗教など信じないと言っている者であったとしても、無神論であると言っている者だとしても、肉体を持ち生まれてきた者は、100パーセントみんな死んで、我々の世界に帰ってくるのです。
それにおいて例外はないのです。ひとりとて例外はない。そのときに死と向き合うのは、周りの人にいくら詭弁で言ったとしても、向き合うのは、本人自身がひとりで、神の子としての自らの神性と向き合うのです。

そこにおいて、どれだけこの地上において嘘やごまかしが効いたとしても、自らの心には嘘をつけないというように、その心、神の前に立ったときに、その心にはけっして嘘がつけない真実が、あぶり出されてくるということなのです。

ですから、生きているうちに、いつ神に見られても恥ずかしくない自分であると、そのような心掛けでぜひ生きていただきたい。

2.三次元で法が説かれ、あらゆる次元の進化発展を促している

そして、今何ゆえに、このように九次元が立て続けに出てきて、根本法というものを降ろし続けるかということ、この一大救世運動が起きているかということを、あなた方は単に知識欲だけではなく、自らの心にしっかりと問いかけ、その法の根本を学ぶことにより、この地上界における神の子として、いかなる価値観により、人類はもう一度生まれ変わっていかなくてはいけないのかということを伝える義務があるということ。

それが、あなた方の使命でもあるということ。我々の言葉を聴いた者たちであるのならば、その責任があるということ。そのことをぜひ思っていただきたいのです。

我々も命がけでこの計画のために皆頑張っているのです。あなた方もご苦労です。あなた方も一生懸命やってくださることを、わたくしたちはよく知っております。みんな見ております。でも、わたくしたちも一生懸命頑張っているのです。

あなた方が頑張ってくださって、もう一歩、歩を進めてくださったら、こういう方たちとも会わせていこう、もう一歩出てきたのならば、世界にいるこういう光の天使たちとも連携させていこうと、すでにそのような者たちに覚悟を促しながら、今一生懸命、裏で用意をしているのです。

地上にいる者たちによってでしか地上の改革というのは行われないのです。アイデンティティーとして、計画としては、我々の世界から降ろしますけれども、やはり、肉体を持ち、三次元に降り立った者たちが、この三次元の改革をしていくのです。

それにおいて、あなた方の肉体を通して、我々があなた方の体を乗っ取ったり、憑依するような形で、あなた方のこの三次元を、神の意思だけで一方的に改革するということは、それはけっして許されていないのです。

そして、我々のメッセージをどのように受け入れ、どのように理解し、どのように行動していくか。それは何度も言うように、あなた方に与えられた絶大なる自由意志というものに守られ、あなた方がそれを拒否するも受け入れていくも、それはあなた方が決めていくことなのです。

でも、拒否されようと、疑われようと、我々は、我々の世界から語りかけることはやめません。語り続け、語り続け、そして、誰かの心に落ち、そして、その者たちが手を取り合い、励まし合い、この地上を変えてくれることに希望を託し、我々は毎日、日々の努力をしているのです。

三次元から地獄界への無限供給とも言わんばかりの、この頃の凄まじい地獄界に堕ちる者たちの供給を止めない限り、地獄界の勢力はますます増大し、そしてもう地球レベルのプラスとマイナスのエネルギーのバランスというのが、もうすでにバランスを崩しているのです。

そして、それを止めるために十次元からエネルギーをいただいているのは、もう知っているでしょう。
それをもって終わりにするのではなく、もう一息頑張るために、時を頂くために、わたしたちは今、光のエネルギーを増幅していただいているのです。

それでもなおかつ、物質中心のものの考え方が根強くはびこり、地獄のエネルギーが増大し続けていくのならば、やはりこの、地獄界のエネルギーにより、この三次元というものが破壊を、崩壊をしていってもしかたないのかもしれない。

それは神が望んだ破滅ではなく、人類自らが選び取り、自分たち自らで選んだ結果であるということ。その意味において、神はけっして罰しはしないということ。

その天変地異においても、作用・反作用の法則による、あなた方、原因結果の法則による、自らが招いた結果であるということを考え、けっして神を恨んではいただきたくないと思うのであります。

それぐらい、三次元というもの、三次元を通して地下の勢力が広まり、そして天上界において、また三次元を縁として、天上界における天使たちの誕生というものもあるのです。

そう考えていくのならば、三次元という修行場がいかに大事なものであるかということ。そのことをあなた方は、もっともっと考えていただきたい。三次元というのが、あらゆる次元を通して、我々九次元の者たちが、八次元の者たちが今、七次元の者たちが法を降ろすのも、メッセージを降ろすのも、地球を縦割りで光の法が知られていくということを、今、実現しようとしているのです。

地下にいる者たちも、遠巻きにしながら、この三次元のところで耳を澄まして聴いているのです。
救われたいと思う。でも、救われたいと思っても、どう救われてよいかわからないと思う者たちが、張りつくように、ガラスのようなものを透明なものを通したように、三次元はのぞけるのです。そこを通しながら、一生懸命救われたくて、法がなんたるかを聴きたいと思っているのです。

三次元に法を降ろすという意味は、そういう意味もあるということ。
この地上の者たちを救うだけではなく、地下の者たちもそれによって法というものに触れる縁を持たせ、そして天上界に引き上げていくという、そして地獄を縮小させていこうという、そういう目的があるということなのです。

そして、天上界にいる者たちにおいても、天上界も波長同通の世界であります。ですから、自分たちの世界だけに比較的安住しやすい、進歩発展がどうしてもーー、刺激的なものが少ないのも、また天上界の特色かもしれません。その反面、ゆったりと時が流れて、人びとは幸せな、牧歌的な思いで生きている世界が多いのです。

でもその世界、五次元、六次元と呼ばれている世界にも、九次元の者たちの、八次元の者たちの法というものが、ダイレクトに聴ける状況になっていき、そこで向上心を持ち、もっともっと上の世界に頑張っていこうと思う者たちが出てくるのです。

そうでなければ、やはり魂の停滞を生んでいる者たちもいるということです。
地下には堕ちないけれども、けっして向上心は持たないと、言い訳をしている者たちもいるということです。
そして、七次元、六次元神界から七次元以降になりますと、逆に地上で法を説かれたとき、最も忙しくなるのはこの世界の者たちなのです。この世界の者たちが、地上にいる者たちの守護霊・指導霊、光の指導霊というのを、だいたい買って出るのです。

そして地下の、地獄界にいる者たちでも、三次元で法が説かれたときに、以前、高橋信次、エル・ランティが呼ばれたときにでも、数々の転生輪廻とか、そういうことを一生懸命伝えていきました。それをみんな脇で見ているのです、みんな。それを見ながら菩提心を取り戻し、神の子としての本来の心を取り戻し、そして強力な天上界からの光の援護を受けて、どんどん地獄界の者たちが天上界に上がっていったのです。

そういうときに、わたしのように地獄担当の者たちが、やはり光の天使たちが出て行って、一挙に地獄界の者たちを大量に、天上界に引き上げていくということをするのです。

だから、三次元で法が説かれるということは、ありとあらゆる次元においての進化発展を促すということ。それだけの意味があるということ。

だから、このだいたい二千年を周期とした文明の中で、要所要所に九次元という者が降りて根本法を説き、段階的に救世運動というものをこちらの世界で計画していくのは、そういうことなのです。

でも今回のことは、これをクライマックスをもって、どういう結果が出るか、その事実を我々は静かに受け入れようと思います。
それまでは、死にもの狂いで努力をする。そのように天上界一貫として、皆が力を合わせてこの救世のために、計画のために頑張ろうという、その不退転の境地だけは持っているつもりなのです。

3.死を通して人類は、統一された価値観に結びつくきっかけを得る

いつの時でも、100パーセントそのような計画通りの結果になるということは、いかなる文明においてもないのです。

計画は我々の世界から立てます。でも、やはり地上に降りた状況、そしてメシアと呼ばれている者たちが一生懸命頑張っても、その時代時代の中で、どのような結果になるかということ。
そのようなことは、各文明において、九次元の世界でいくら決めたとしても、その結果通りの結果にはならないということなのです。

ですから我々も、一生懸命頑張ったけれども、どこまで今回かなうのであろうかということをひじょうに目を凝らして、ドキドキしながら見ているというのが現状でもあるのです。

その意味において、結果ではなくて、精一杯そのプロセスにおいてでも、みんなで力を合わせて頑張り抜いたのだという、そこを通して、やはりわたしたちが魂の学びを、大いなる魂の学びというものができる、今回の計画であるのなら、それもそれでまた意味のあることであると、わたくしは思うのであります。

ですから、結果ということだけではなく、プロセスの中においても、お互いに、わたしたち指導霊と呼ばれている指導者としても、「このような状況を計算してなかった」ということが実際に起きるのが、この三次元での修行でもあります。

光の天使たちでも、自分でもこんなことになると思っていなかったということが起きるのが、ある意味でこの世界の法則でもあります。

それを通して、我々もひじょうに多くの学びを得、そして、判断力というものをまた鍛え上げていくという、そのような意味においても、今回の計画はひとつとして無駄なものはないと、わたくしはそう信じております。

そして、この件に関してはあまり言われてはきていないことでありますが、やはり、以前ORの時に、これからの闇の時代が、閉ざされる時代がくるということを暗に言われていたと思うのです。それは、起きるべくして起きる、総決算のときがくるということも、また事実なのです。その手が、神の地上を叩く手というのが止められていたということも事実です。
でも、ある程度、あなた方が準備ができてくるということは、その時期が近づいてきているということも、また覚悟をしていただきたいと思うのです。

そのときにこそ、先ほどあなた方が話しておられた話ーー、大いなる学びをされた二人の少年たちの話を聞かれたでしょう。
それは医学の世界だけではなく、この地上において、生とは何か、いや、死というものは何であるかということーー。死というものは、一宗一派、教団、宗教というものを越えて、あらゆる人類の上に起きてくるもの。

その死というものを通して、多くの人びとはこの心構えのもとに、新たな価値観、アイデンティティーを学ぶことによって、人類はひとつの統一された価値観に結びついていくという、きっかけを得るのです。

それが、この地上にとって永遠の生命があるとーー、人びとは人間が魂であり、霊性というものをもう一度確認し、永遠の命の中で転生輪廻というものを通して、人びとが生きている神の子であるということをしっかりと学ぶ時がき、そして、それこそが医学の世界も変えて、教育の世界も変えて、女性たちも男性たちの価値観、生きざますらも変えていく。それが最終的に社会を変えていくという、そういう姿になってくるということ。その切り口が、死というものと直面するということ。

それは病気だけでも直面する場合の人生もあるのです。でもこれからは、痛ましい事件がいくつも起きてくるでしょう。そのときに、何ゆえにこうなるか。どうやって、死というものと向き合っていったらいいのか。

いかなる民族であれ、肌の色や目の色が違い、宗教が違い、道徳が違え、教育、思想、習慣が違っても、その死という厳然たる事実の前には、人びとの心構えは、ある意味でひとつなのです。

そのための、シンプルだけど真実の知識というものを、人類は学んでいかなくてはなりません。そのものを通して、人びとは種族や国や国境を越えてひとつにまとまっていくのです。その切り口が、ここにあるということです。

4.学んだ中の、いちばん大事なことをまず人びとに伝えなさい

あなた方が学んだ、霊言でとった大量のものがあるでしょう。でも、あれを全部学べと言ったら、多くの人びとは学べません。あの中のエキスです。エキスの中でいちばん大事なものーー。

人間は神の子であり、神は愛のエネルギーそのものであり、ゆえに、わたしたち人間はみんな愛を胸に抱える神の子である。
そして魂は、本来人間にとってはいちばん大事なものであり、永遠の時を生き抜く、転生輪廻をする魂であるということ。
永遠の時を生き続け、そして修行の過程の中で進歩、進化していくことを、神より義務づけられた、そういう命であるということ。

そこがしっかりと根づいたのならば、ほかのことは自然に問題が解けていくのです。根本定理であるということなのです。

「罪の子ではない。悪を持っている性悪説なんかではない。神の子としての、本来は愛の光を発する神の子であるのが、あなた方一人ひとりの本来の姿であるのですよ」ということ。そのことをあなた方が伝えていくということ。

そしてこの地上における、永遠の生命の中のいっときの中の修行場として、ここ今、命を持っているという、現在という視点を見たのならば、肉体に対して周りに対して、どういうふうに接するべきであるか。そのことをしっかりと学んでいくことのほうが大事であるということ。

いたずらに肉体に執着したり、この地上に抱え込むような、お金や財産や地位や名誉みたいなことに執着するということ、そのようなことが、いかに無意味なものであるかということが、人に言われずともわかってくるのです。

ほんとうに大事なのは、自らの個性を大切にし、やれることの中で、自らの神より与えられた命を輝かして、多くの人びとを幸せにするために生きること。そのことが、ほんとうの意味で自分自身の幸せに、原因結果の法則により戻ってくるということ。もういらないと、結構ですと言っても、その法則は厳然としてあり、自分自身にその報酬というような、神の光という、祝福というものが与えられて、その本人の魂というもの、霊格というものが、おのずと上がっていくのです。

そのことをもって、我々は永遠の魂を、永遠の時の中を修行する旅人でもまたあるということ。
そのような方向で、もし理解したのならば、無意味な戦争などというものはなくなるし、宗教間の争いや殺し合いも、イデオロギーの対立もなくなっていくのです。

そして、この科学万能主義というような、物質主義的なものが変わっていくし、自分の子どもたちだけがすべてであると思うような、親の思い込みによる教育体制というものが、本来の、その子自体がかけがえのなく与えられた素晴らしい個性である、魂であるという、その本来の才能を開発していく。それこそがいちばん素晴らしいのだという新たな教育的な観点に立って、教育者も親も子どもたちも、自分の人生というものを考えていくことができることでしょう。そうすれば、教育改革というのもできてくるのです。

あまりにも多くの人種が、あらゆる国に分かれ、数々の方向性や、数々の宗教の中において、ばらばらの思いの中で、人類は進化発展の途上できたけれども、これをひとつのアイデンティティーとして、地球教として、地球人として、ひとつの教えのもとに統一していくには、やはり人類すべてが、肌の色が違え、髪の色が違え、何か違っても、人間として神というものーー、人間として生かあるならば死というものがあるという、その根本命題に立脚して人びとは自分自らを受け止め、考えていく。そのようなことをもって人びとは初めて、すべての人種が、すべての人間たちが同じ場所に立つことができるのです。

うでなければ、それぞれ、いや我々は違うというふうにくるかもしれない。その意味において、我々は大いなる改革をしようと思っているのが事実なのです。

5.単なる理念だけでなく、具体的にこの地上を光らせていく

そして、これからくる大きな天変地異とか、世界戦争とかいうもの、そして大きな脅威のある病気とかが、やはり聖書に言われていたように、順番に出てくるのです。

その中で、多くの者たちが亡くなっていく姿を見て、地球浄化の過程の中にある、この魂がどのようなところに行けるか。それを広げていくためにも、早くあなた方の、その、まずシンプルであるけれども、その生と死というものを見つめる、根本的な九次元から降ろされた法のエッセンスというものを、伝えていただきたいと、早急にしていただきたいと思うのです。

今だから申しますけれども、ORが今回、道に対して指導をちゃんとできなかったわけでありますけれども、彼の基本的なところに、根本的に焦りというのがあったのです。

あと何年でこれがくると、実際に焦りがあり、その過程の中で、彼は一刻も早く、確実なる伝道できる教団というものをつくり、絶対的な力で早く地上の人たちに伝えていかなくてはいけないと、内心焦りを感じていたのが事実だったのです。

その焦りの気持ちの中に、我こそはという気持ちが増幅されたところに、彼が判断を見誤ってしまったということがあるのです。それぐらい彼が見極めていたことは、ある意味で正しかったことではあるのです。

このあとにくるという天変地異というもの、世界的災害というもの、それはある意味で新たな時代をつくるためには、過去の清算として、ひとつの人類が捨ててしまったゴミの集積と申しますか、悪想念の集積というものを一度浄化していかなくては、新たなルネッサンスを超えた神の時代というのがこないということも、事実なのです。

ですから、これから年末にあなた方もするでしょう、大掃除というのがあります。ある意味で、その大掃除をするための、浄化の過程が始まっていくということなのです。

けっして神が人類を見殺しにしているのでも、見捨てているのでもなくて、そして、彼らに、人類に対しての罰を与えているのでもなくて、あなた方が捨ててしまったゴミを、今、ゴミを燃やすことによって焼却しましょうと、それを、今、回収してきれいな青空を取り戻しましょうと、そういうことを今言っているのです。

そういうのであると事実を受け止め、そしてほんとうに心構えをし、その心構えの中で、また天変地異で嘆いて、人びとの心を荒廃させるのではなくて、そういう時こそ、生と死というものを、死というものをしっかりと見極めていく。死というものを通して、みんなが逆に吹っ切って、我々の世界にすぐ帰ってこられるような、今そのようなきっかけがあったほうが、逆に帰っていけるのかもしれません。

放っといたなら今、普通に亡くなっていく方でも、下に堕ちていく方があまりに多いということが事実なのです。

そのことを思うのならば、あまりにいろいろな事件があったり、天変地異で亡くなるときに、人びとに死というものをしっかりと正面から受け止め、人びとがあちこちで死を目にするからこそ、真剣に死というものを考えるチャンスというものを与えていく。

それによって魂が深い学びをしていくという、そういうチャンスに転化できるのならば、それは単なる悲惨な災害であるというふうに、とらえなくてもよいのかもしれません。

ありとあらゆるチャンスは、ありとあらゆる学びの場を提供してくれるのです。そのような場所をどのように自らに利用し、自らに活かし、他の方がたのことも自分自らも成長していく。愛を表していける場にできるかということ。そのために役立てられるかということ。
そのことがあなた方にとって、この地上界、この今世、何よりもの大切な目的であると思うのです。

多くの人びとが傷ついていかれることでしょう。そのときに、あなたなら何ができますか。
お医者様たちなら専門的なことができます。それだけのことを、力を蓄えてこられました。医療系にいられる方もそうです。介護をなさる方、そして、看護婦さん、いろいろな専門技術のある方たちはぜひそのように動いていただきたい。

そして、この間の阪神大震災のときも見ていても、普通の一般の、普通の市民の方がた、そして高校生のような者たちが、あの事件をきっかけにして、多くのボランティア体制というものを、そういうものに対して少しでも力を貸せる自分でありたいという認識に、目覚めていったではありませんか。

自分のことばっかりで、自分の幸せばっかりで、夢中で、自分さえよければ人はどうなってもいいと思っていた、それまでの流れの中で初めて、被災地を通して苦しんでいる方たちに、すぐにでも駆けつけて行こうというボランティアが、この日本でも出てきたではないですか。

だから、これから多くの事件が起きてくるでしょう。そのときに、そのときこそ、普通だったらば、他の人びとが幸せなときに手を差し伸べるチャンスはあまりないかもしれない。

でも、そういうときにこそ、普通の何にもできないと思っている主婦の人たちでも、炊き出し部隊、病人さんの看護、やれることひとつでも探してお役に立ちたいと思う中で、みんな主婦たちが力を合わせて頑張っていく中で、彼ら自体がますます光を、光ある行動をし、自らを高めていくというチャンスも与えられてくるのです。

自分などどうでもいいという訳ではない。自分自身を大切にするからこそ、自分の身を投げ打ってでも、他の人びとの幸せのために、愛ある行動をするために、自らを駆り立てて頑張っていく。そのようなことが尊いのだということを魂が学んでいく。

その実践の場として、これからの天変地異においても、ありがたい修行の場をいただいたのだと、チャンスをいただいたのだと、そのぐらいの思いで取り組んでいただきたいと思うのです。

そうすれば、もし五十年で、五十五年で死ぬ、六十年、七十年、八十年で死ぬ、あと何年、5年、10年生きられるかと思って生きている人たちよりも、主婦の人たちよりも、残り何年を素晴らしい多くの人びとのためにお役に立てる瞬間を持てたのならば、あと5年10年、ただ怠惰に生き続けること以上の人生の光ある時というものを、自らの人生の思い出の中に刻み込みながら帰って来ることができるでしょう。

多くの人びとのためにお役に立てたというその業績は、その方を、本人が嫌だと言っても高い世界に引き上げてくることでしょう。

だから、苦しいこと悲しいことばかりがあったから、けっしてそれが価値のない地上地獄絵図であると思わないで、そのときにこそやれることがあるのだと、何ならわたしはやれるのだろうかと、常にそう思って心を砕き、多くの人びとの幸せのためにやれることを探していきなさい。

単なる理念だけではなく、具体的にこの地上を光らせていく。その無心な行為の積み重ねだけが、多くの人びとの共感を呼ぶということです。
黙ってやっていても一生懸命ひたすらにやる限り、多くの人びとはそれを、姿を見ております。

そして、あの方をそのように突き動かすのは何であろうかと思ったときに、それがレムリアであったと、その神からの教えであったと、そうなったときに、多くの人びともその姿を見習っていくことでしょう。

6.愛というのは行動の中において実現されたとき光を放つ

マザー・テレサが、インドのカルカッタで始めたときにおいても、あの方がやったときには、ヒンドゥーやいろいろな、さまざまなインドの根強い、ひじょうに信仰心の強い国であります、日本とは違いますから、ひじょうに強いインドの宗教がいくつもある中に、カトリックのシスターがひとりで殴り込んでいったわけです。

その中で彼女の教えが彼女の神が正しいと、インドの人びとが頭を下げたのは、彼女の地道な毎日毎日の愛に溢れる行為の積み重ねであったはずなのです。その姿が多くの人びとを宗教を超えて、人種を超えて人びとの胸を打っていくのです。

そのときに、「キリスト教などー」と言っていたインドの地において、次々と若い女性たちが彼女の姿に感動し、シスターとして入門してきて、ブラザーたちと呼ばれている男性たちが一生懸命その彼女たちを手伝うために来たではありませんか。

インドの地でキリスト教を広めるということは、日本の国でキリスト教を広める以上のたいへんさがあるのです。でも、そんなものを超えてでも彼女はそういう偉業をやっていくことができた。

それはすべて神の子たちが、脇にいる病人たちであっても、街に溢れてる孤児たちであっても、そのすべてが神の子であるという、自分の愛する仲間であると、キリストであると、そういうふうに思い、マザー・テレサは一生懸命自分の同胞であると思って、インドの傷ついた人たちの世話をし続けたのです。

その姿を、あなた方はこれから見習っていくチャンスが、幾多出てくることでしょう。
愛というものは、口だけで愛と言っていても愛というものはわからないのです。
愛というのは、思いにおいて、行動の中において実現されたときに、愛というのは光を放つのです。

親孝行していると口先で言ってたって、なんにもならないでしょう。また逆に口に出さなくても、「お母さん、お父さん、ありがとう」と、内心思っていたのなら、その思いは逆に通じるのです。
「お父さん、お母さん、ありがとう」と、思っている思いを、もしそのときに、肩のひとつももんでいくとか、一度は温泉に一緒に連れて行って、ねぎらいの声を掛けるといったら、それは、どれだけお金をもらったこと以上に、親御さんたちが喜ばれることでしょう。

思いと行動、思いと行為の集積によって、愛の光というのは断続的に放たれていくものなのです。
まず、神の子たち、同胞を愛そう。神に対する感謝の表れとして、自分たち人類、地球人類を皆愛し合おうという、まず思いがなければいけません。

思いを胸の中に秘め、そしてそれを今度は具体的な、彼らに対して何かできるかという、実践行為というもの、行動というもので表していくのです。

ありとあらゆる社会に属するあなた方の、どんな立場でも良いのです。それを通して、具体的な行動を通して実践していったときに、あなた方の中に愛の光というもの、愛というものが地上に放たれていくのです。どちらが欠けてもいけないということです。

口先だけで愛を語るのがいちばんいけないのです。そんなものは、知で愛をごまかしているだけのことが多いということ。

わたくしなどは、どうでしょうか。よく引き合いに出されますけど、地獄の底まで降りて行って、一生懸命、せっせ、せっせと、地獄霊の説得と浄化にあたっております。ある意味でいちばんドロドロとした世界、あなた方だったら、とてもいたくもない世界だと思いますよ。物凄い世界です。そのところにいて、その中で厳しい言葉を言いながらも、地獄界を浄化し、そこにいる者たちで少しでも菩提心のある者たち、そういう者たちを引き上げていく。

そして彼らが、反省ができるように、マイナスのエネルギーをカットしながら、少しでも神の光が入って反省できるような状況に指導していく。そのようなこともしているのです。

そのようなことを思ったのなら、わたくしなどは、まず愛の思い、それと愛ある行動、勇気ある行動
それがやはり両輪として働いていかなければ、この救世運動というのはできないのであると、いや救世運動だけではなく、人生の中において愛に溢れた神の子としての偉大なる行為というもの、人生というものはないのであると思うのです。

7.あなた方のパーニャパラミタを開けるキーが霊言の波動である

あなた方の中において、これからレムリアの活動をしていくと、多くの者たちに狙われてくることもあるでしょう。
でも、あなた方は、常にこの光の本源のところにいるのだということ。この思いを、我々の熱い思いを、頭で感じるのではなくて、できたらあなた方のそのハートの中に、しっかりと留め置いて帰っていただきたいのです。

愛というものがどういうものであるか、神の思いがどういうものであるか、各霊人の個性というものはそれぞれ違います。違うけれども、その思いにおいて、根本において、愛の思いはひとつであります。

その熱意と愛の思いというものを、あなた方の胸の中に携えていっていただきたいのです。そして、その情熱を忘れないでいただきたいのです。その情熱を自らの具体的な生活の日常の場で、さあ、いざとなったときに、やるときに、どのようにしたらいいかと、わからなくなったときに、今日のわたしたちの言葉や、CDで聴いている霊言の波動を、思い出していただきたいのです。

まず、波動に同通することです。我々のこの天界からくる、この天界のバイブレーションを思い出し、これに同通することです。そうすると自然にあなた方の神の子としての、自らの内側にある神性が開き、智慧が、あなた方が蓄えた智慧が、無尽蔵に出てくるのです。

その、あなた方の心の鍵を開ける、箱を開ける、パーニャパラミタとよく言いますけど、開けるキー、それが我々の言葉の波動であるということです。
あさましいことを考えていて、パーニャパラミタは開かないのです。この現世で、自分だけよかれと思っている思いを持って、あなた方の過去世の叡智というもの、神の子の叡智というものは開かないのですよ。

そのときに、あなた方に埋め込まれた最大の宝、自らの神性というものの宝の箱を開く、その箱にはまる鍵、鍵穴に当てはまる鍵というのが何かというと、我々の言葉の波動であるということです。それを入れてごらんなさい。

それにあなた方が、もしほんとうに感応し同通できたのならば、あなた方はその自らの内側にある誇り高い神の子としての智恵を、叡智を引き出すことができるでしょう。
それをもって、具体的にこの三次元で仕事をするのです。対処していくのです。そうしていけば、あなた方は数々の学びも多いし、智恵も湧いてくるのです。

そして、それと同じ同通した波動であれば、わたくしたちの世界も同通しておりますので、どんどんインスピレーションが与えられるのです。

そうやって、神の使徒と呼ばれている光の使徒と呼ばれている者たちは、霊示を受け、霊言を受け、預言を受け、そして仕事をしてきたのです。
キリスト教の使徒と呼ばれている者たちも、皆そういう仕事をしてきているのです。預言者だけではありませんよ。この地上を改革していく上で、具体的なこと、行き詰まったときに、我々の世界と同通する波動を持つことです。

あさましいことだけを考えて、人の裏をかくような、神は何もわたしの嘘など知りもしないのだと、嘘ついてもわかりっこないという、そのようなあさましい思いを持っていると、そのような次元に同通した者がその鍵穴に入ってくるのです。そして、その世界の者たちの指導を受けることになるのです。よいですか。

だから、CDが出るということをひじょうに喜びました。最初のときに破門された者が、CDが出るのをひどく嫌いました。CDが出るのはいけないことであると、この者を守るからと言って、CDが出るのをひどく嫌がった。それは、まさに地下の者たちの姿であるのです。音声により出てしまうと、その波動により、自分たちが近寄れなくなるということを知っているのです。

心が疲れたとき、もし行き詰まったとき、CDの波動の中に、音楽を聴くように聴いてごらんなさい。そうすると、おのずと我々の世界のバイブレーションと同通しておりますから、この世界のバイブレーションを、頭で法は聴くのではなく、ハートで聴いていったとき、その波動の中であなた方は癒され、そして今一度、乱れてしまった自らの心の波動というものを調律することができるのです。

そうしたら、もう一度愛というものに、神の目からの立場というものに立って、もう一度、今、目の前に起きている問題について考え、新たな智恵も湧くということなのです。

そうやって、お一人おひとりが自らの神性を神と直結させていくことにより、この地上を変えていく、その作業がこれからあるということです。
これがなくては、別にこの者だけが霊言を巫女としてとって、それを聴いている、同席する者たちだけであるのならば、あなた方の仕事はそうたいした仕事ではないかもしれない。

これを今、書物として社会に出していくというものをもって、素晴らしい偉業だと思います。でも、それを今度は学んだことを自らの人生、自らの職業、自らの社会的な役割、家庭の中における役割を通して、精一杯できることを発信していく。

8.坂本竜馬たちを超えていくような生き方をしなさい

みんなが一人ひとり、その力を不退転の境地で発信していったのならば、日本だけではなく世界が変わるのです。
そうやって明治維新の者たちが日本を変えたではありませんかということを、あなた方に、自信がないから確証づけるために、素晴らしい先輩の模範例として示すために、この間明治維新の志士たちの霊言集を先に出さすようにしたのです。

それは、次の霊言だけを黙って聴いているときから、行動実践の時代がくるという、そのことの意味をもって、彼らほどの不退転の境地があったのならば、彼らほどの時代の先を見抜いていく目さえ持てたのならば、あなた方一人ひとりでも、坂本龍馬に、勝海舟に、西郷隆盛になっていけるということ。

そのことを我々は伝えたかったのです。次にくる仕事があるからこそ、彼らの姿を学んでいただく必要があったのです。
彼らは日本を変えただけかもしれない。でも、あれだけの人数で日本が変わったのです。
彼らが不退転の境地でしっかりと真実の未来を見つめることが、真実の日本の未来を見つめることができたから、そして命を投げ出してでも、そのために生き抜くことができたからこそ、これだけ短期間の問に大いなる無血革命をやることができたのです。

そしてこれが、世界を変えていく一大ルネッサンスを興そうという、そういう局面にきています。
彼ら以上に物凄いことをするのです。であるのならば、坂本龍馬を超える、もっと大きな坂本龍馬が、勝海舟を超えていく、西郷隆盛を超えていく、それ以上の、彼ら以上の者たちが、今出ることが要求されるのです。

でも、ちゃんと模範例を見せてくださっているではないですか。そのための原型として彼らが出て行かれたのです。それを学ぶためにも出てきているのです。
あなた方はその姿を学び、そして自ら一人ひとりが生まれ変わり、自ら自身を坂本龍馬に、勝海舟に、変えていきなさい。

あなた方の個性をもって、あなた方の名前として、後世語り伝えられていくような、二番煎じの坂本竜馬でなくてよい。あなた方の名前で勝負していく。坂本龍馬たちを超えていくような男たちへ、女たちへと、人生に名前を残していけるような、そんな生き方をしてごらんなさい。

自己限定をしないで、自己を縛りつけている、可能性を封じることを全部鎖を外し、やれん限りのことをもって、残り数十年の命を生き抜いてごらんなさい。
百歳まで生きる者などほとんどいないのです。あと何十年生きられるか。その何十年を命がけになって、どう生きようと決めるか。
毎日の生活の中で、生活の安泰だけを願って生きていくのならば、それもまたよしかもしれません。

でも、このような局面に生まれてき、このような我々の言葉を聴き、そして未来の地球のビジョンを見せられて、命がけになって頑張ることができぬ者は、それはそれなりに自分で決めていけばよいでしょう。

なかなかこのような場所に生まれたいと思っても、生まれ合わすことはできないのです。

9.逆境は次に飛躍するためのひとつの学びの時期

考えようによれば、エル・カンタラーが、ORが、無事にいってたのなら、あなた方にこれはどの局面は出てこなかったでありましょう。これほど頑張れるようなチャッスもなかったかもしれない。

だから、ものは考えようなのです。第一が、第二の計画がだめになったからこそ、第三の計画という、このような画期的な計画が出てきた。

それは、天上界でもみんなそう言っているのです。マヌやゼウス神が前面に出てきているような、本来の計画とは多少違ってきている。でも、それだからこそ逆に彩りも豊かで、そして、九次元十人が必死な思いでいます。

そして、その下にいる者たちも、みんな必死な思いで天上界一丸になり、宗教もすべても、今までの活動全部捨てて、みんなで一丸となって頑張ろうとしている。この姿だけでも、我々は大いなるまとまりの中で調和を生み出し、そして大いなる学びを得たねと、喜び合っているのです。

だから地上に降りた光の天使たちよ、あなた方は本来頑張るべきところにいない、そして頑張るべきところに行ったとしても、数々の妨害によりもみくちゃにされてしまった者、魂を曇らせて傷を負ってしまった者たち、たくさんいるでしょう。

でも、このような場面だからこそ、このように凄い学びを得て、このように逆転ホームランでこの地上を輝かす、そのような自分が、立場に、役割につくことができたのであると、あとで感謝することができるような生きざまをしていらっしゃい。

普通であるのならば、本来仏教の高弟と呼ばれた者たちが、仏陀の周りを固めていたのです。そのような者たちが、たくさん出ていったのです。でも、そのような者たちが次々とー。最初の高橋信次のときもそうでしたけども、そういう者たちが、命がけで出る者たちが先発隊で出ていっているのです。そういう者たちがみんな、我々の世界と通じなくなっていってしまっている。

そして第二の計画でもこのようなことになり、そして、第三の計画で来たあなたたちは、一時余り者なんていう言い方を自分たちでしていましたけれども、そうではなくて、その中を生き抜いてきた、それこそサラブレッドであるのだと、あのような悲しさ、苦しさを乗り越えてでも、それでも神を求め、自分はここまで到達したのであると、誇りを持ってレムリアにいることをあなた方が人生を感謝することができるのならば、神に感謝することができるのならば、この第三の計画で、より多く自分自身の魂を高みに引き上げるためにも、大いなる学びをし、法を聞き、そして多くの人びとをひとりでも多くの方がたを救ってくることができるのならば、あなた方はほんとうに幸せな今回の転生であったと-ー。

このような天上界の計画が失敗した、数々の失敗があればこそ、今このような状況で今自分か修行できたのであると、生かすことができるではありませんか。

それはどんなに、必ず人生においても同じなのです。そのように前向きに生きていけば、人間によって失望とか、不幸とか、悲しみっていうものは、不幸というものはあんまりないのです。

どんな環境においても今は耐えるべきときだと思うのならば、逆境などというのは、次に飛躍するための、ひとつの学びの時期であるというふうに思い、あなた方がどうか、次に飛躍していくためのエネルギーを溜める時として使っていただきたい。

いかなるものも次のステップアップするための踏み石にしていくような、そのような前向きな姿勢でいてくれれば、精神の強さであってくれるのならば、いかなることもけっして無駄ではないということ。そのようにしていただきたいと思います。

10.いちばん大事なのは認識力なのです

これから来ることを怖がることは少しもないのです。ただ、多くの人びとに伝えていただきたいのは、人間の本来が霊性、霊なる神性こそが、いちばんの神の子としての本源であるということ、本体であるということを、しっかりと伝えていく時代にならなくてはいけません。

神の世界、見えない世界があるということを伝えることが、やはり先ほども言っておられましたが、お医者様の世界で、そういうことを言ったら気違い扱いされるのかもしれない。でも、それをどの世界においても、口にできるような社会に変えていくのが我々の最終目的であります。

なぜならば目に見えない世界と言われても、この世界は厳然としてあるのです。そしてすべての者たちが、目に見えない霊の世界というところに100パーセント、帰っていくではありませんか。それから避けて、逃れていくことはできないのです。その事実、その事実を正面から受け入れる勇気を、人類は持たねばならない。わたしはそう思います。

そのために、あの世の霊界構造はどうなっているかということ。目に見えるものだけがすべてであるということ、そのことだけの無知蒙昧な発想の中で、狭い、狭い世界の中ですべてを悟ったかのように思う、増上慢の中における無明の世界でもあります。これが三次元の世界の実態なのです。

本来の世界は地下の世界も含めて、実在界と呼ばれている我々の世界があるということ。そしてそれこそが、この地上の本来の生きる意味であるということ。どのように人生を重ねていったのならば、我々の世界に帰って来られるかということを真に学ぶということ。

それを新たな価値観で、新たな観点から人びとに提示し、気楽に、気軽にそれを人びとの話し合いの中で、教育や家庭の中で話し合っていけるような、そういう世界を実現していかなくてはなりません。

霊性の世界に目覚めていくことを持たなければ、この人類の文明はもうどん詰まりに行ってしまうのです。次なる発展はないということなのです。

そのことを思い、今大いなる九次元の法が降りているということは、それを学ぶチャンスをこの三次元だけではなく、あらゆる霊界の者たちが今学ぶチャンスを与えられたのだということを申しました。まず学ぶのです。それは認識力というものを広くさせるのです。

先ほど、都心にいる者と地方にいる者たち、そして今どこの宗教団体にいても幸せそうにしている者たちがいるのならば、それはどうしたらいいのかという質問がありました。

それは、その方たちがほんとうの意味で現実を見ていて、どれだけ情報量が少ないということはあるけれども、ほんとうの意味で認識力があったのなら、何かがおかしいという違和感というのは、必ず持っているはずなのです。

それは知で判断するのではなくーー、知で判断するだけならば知識量というものがあります。でも心の中で、神の子の心の感性で見てたら、これはおかしいのではないかと、必ずや女性の方であるのならば、もっとそれを感じるチャンスはあるはずなのです。

それをわかっていてもわからないふりをする。わからないと自分で思い込みたい。耳をふさぎたい。そう思うのであるのならば、そのような陽だまりのぬくぬくとしたところでいるのも良いかもしれない。
でもその認識力の甘さが、見識の低さが、その者たちの人生のその後の結果をしっかりと位置づけるのです。

多くの人びとを不幸にし、多くの者から金を巻き上げている教祖がいるところが、ほんとうのメシアであるわけがないのです。
そんな判断もあなたはつかなかったのかということを、こちらの世界にきてから問われるのです。

だからいちばん大事なのは認識力なのです。
その認識力をしっかりとつけるために、我々はこうやって霊言を送り、根本法を降ろしているのです。

多くの世界の人類は、魂が永遠である、転生輪廻を知らない者たちもいるということは、その判断材料として、認識力や見識を磨くその手段もまだ、知識も持っていないということが多いのです。

ですから、それをしっかりと伝えて、その上であとは一人ひとりの努力、逃げ出さない、正面から勇気を持って、実際の自分の人生と向き合うという、その誠実な情熱によって、一人ひとりの魂が、その認識力というもの、魂の器を広げていくということ、そのことを学んでいくのです。

それが永遠の魂を通して、永遠の時の流れを通して、神の子、魂が、人類が、学んでいく意味でもあるのです。存在理由でもあるのです。

そのことを思い、永遠の転生の中で、地球での転生が終わったのなら、その方の身の丈に合った、また別の惑星での転生もあるでしょう。そうやりながら、永遠の階段を魂の進化の階梯というものを上がっていくのです。

あなた方はそうやって上がっていくという、そのように高め合うということを考えたのなら、目先のことを苦しみ、差別、偏見などというのは、ひじょうにちっぽけなものであるという観点がわかってこられるはずなのです。その認識力がついてこられるはずなのです。

我々の世界は目に見えない、ある意味で物質を伴わない世界ですから、逆にいうと認識力だけの世界かもしれません。

11.認識力を愛の方向に開いていく、高めていく

愛というもので、全身全霊をもって、多くの人びとを愛そうという、インマヌエル、イエス・キリストのような、愛の化身のような認識の方には、その方のまわりに愛というものが光とともに存在しているのです。

あの方自体が、そのような、自らは愛の奔流とならなくてはいけない、愛として生きていきたいと、それを心から情熱的に求められている。愛の化身であるからこそーー。

それはなぜか。自分自身に対して、神の子の存在理由は愛そのものであるという認識をお持ちになるからなのです。そうすると、愛そのものになられるのです。
だから、今地上にいるうち、肉体を持っているうちに、そのような認識力というのを学んでいただきたいのです。

よいですか。肉体にあるうちは、いいほうにも認識力は出ますけど、間違った方向にも認識力というのは出るのです。

もし、肉体がなければーー。地獄的な思いを持つこともあるでしょう、人間であるから。欲望丸出しになって野獣のように思うこともあるでしょう。そのときに肉体がないのなら歯止めがきかないのです。野獣のようになるのです。畜生道のようになるのです。

でも、肉体があればこそ、天使にもなれれば、悪魔のように、一念三千の世界に同通しながらも、自らの心の統御というものを通して、トータルに自分の魂のバランスをとることができるのです。
それぐらい、この三次元での肉体を通しての修行というのはありがたいことであるということです。

だから、あなた方が一つひとつのことを、学びを通しながら、肉体という歯止めを通しながら、自らの認識力を愛の方向に開いていくということ、高めていくということ。そのために我々は根本法というものを、法というものを一生懸命降ろしている。
そしてそれを今、レムリアの方がたが、あなた方も一生懸命霊言を起こして、こうやって書物にまとめてくださろうとしています。

あなた方が受けた愛を、もうすでに書籍というものを通して、ひとりでも多くの方たちにお伝えしていこうという、愛の循環作業がもう行われてきているということでしょう。

この書物が多くの人びとを救っていきます。
これが時の流れを越えて、書籍になれば、多くの人びとに残った形で法というのが語り伝えられていくのです。
そのことをもって、あなた方が未来の人びとに対して愛を伝えていった偉業をなしたのと同じことになるのです。

そういうふうにやって、行動、行為というのはなされていくのです。ですから、どうか今置かれているというものを通して、あなたがたが頑張れることを、どうかこれから我々を通した思いというものを、具体的に法というものを発信していくということ。
書籍とかインターネットを通して、精力的にあなた方の愛する仲間たちのために、愛をともに分かち合うために、これからレムリアで、この霊言というものを発信していくために、どうかお力を貸していただきたいと、わたくしは心からあなた方にお願いを致します。

そしてその上で、それぞれの職場で、家庭で、いろいろな友人関係で、神というものを語るチャンスというものがあったのなら、大いなる愛の人として、あなた方が行いにおいて、その思いを伝えていかれたのならば、あなた方の仕事場も、そしてあなた方の人格というものも、社会的評価も、嫌だといっても高くなってくるはずなのです。

ひとりでも多くの方がたを幸せにしていく、愛していく。そのために我々は今このような法を降ろしております。
レムリアの存在意義はそういうことです。

ですから、あなた方のやれること、そしてこれから多くの仲間たちが集まって来られます。そのような方がたと、初めてではないのです。初めましてではないのです。

ここに今回呼ばれておられる方は、初めましてではないのです。皆さんご存知の方がたなのです。
みんなで手を取り合って、ご自分のできることから、誠実に一生懸命やっていただけることを望みます。

何か質問ございますか。
今、ひじょうに波動が精妙になっております。この波動の感覚を覚えておられることです。今、神の光がここの、あなた方の頭上に磁場として降りております。
この、どうですか、暖かいホカホカとした思いは、出てきませんか。
この精妙な暖かい思い、これが神の愛であり、光であります。これを一杯にいつもたたえていられるあなた方でありなさい。

そうであるならば、けっして悪霊などは近寄ってこられないのです。疑心暗鬼な思い、現実から逃れる思い、自らの心に嘘をつく思い、そのようなものがあったら、また悪霊はいつでも寄ってくるのです。

そして、今この地上に悪霊が溢れている時代でもあります。あなた方が歩いているだけで悪霊たちを浄化できるような、そのような愛の人となって、どうか地上を歩いていただきたいと思います。

モーリャ(モーゼ)

今から約四億年前、蟹座の方向にある惑星より地球に招霊された九次元霊である。
モーゼとして古代イスラエルに転生し、宗教的指導者となった。
ユダヤ教の創始者として知られる。
エジプトで奴隷のように苦役を強いられたイスラエル人を率いてエジプトを脱出し、紅海を割って渡るという奇跡を起こし、追手の軍団を振り切ってシナイ半島に入り、その地でエホバの神と契約を結び、十戒を授けられたと伝えられている。
天上界では、赤色光線(正義)を担当し、地獄解消の役割を担っている。

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